使徒1:3-11 『次は私たちの番です』 2005/6/12 松田健太郎牧師

使徒の働き1:3~11
使徒の働き 1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」



ヤング先生たちが帰国して、この教会を去られるのはとても寂しいですね。
とても名残惜しい。
ヤング先生たちがこの教会にもたらして下さったものは色々あります。
ヤング先生の毎週のメッセージは、私達をいつも力づけてくれました。
過ぎ越し祭がどの様なものか知ることができたのは素晴らしい経験でしたね。
アルファコースをこの教会で始めて下さったのもヤング先生でした。そして、アルファコースがなければ、今この教会にいらっしゃらない人も何人かいますよね。
そしてレナータさんの料理、焼いてくれるパンやケーキ、あれがもう食べられなくなってしまうのは本当に残念です。
ふたりのやさしさ、思いやりのある言葉のひとつひとつ・・・。
もっと長くいてくれればいいのに。もっと私達と一緒にいて、もっと沢山の事を教えて欲しい。皆さん、そう思いませんか?
2000年前、イエス様の弟子達はどうだったでしょうか。
イエス様が十字架にかかり蘇ったのを彼らは見ました。これまで見てきた奇蹟の中でも、極め付けと言えるような出来事です。弟子達の中でも、イエス様が神の子であるという確信ともなったでしょう。その後、イエス様は四十日もの間弟子達とともに過ごしたと書かれています。
弟子たちの期待と予感は頂点を極めました。これから何か、重大な事が始まろうとしている。さあ、今こそイエス様が新たに動き始められる時なのだと弟子達は思ったのです。そしてイエス様に尋ねました。
「主よ、今こそイスラエルのために国を再興して下さるのですか?」
しかし、弟子達の予感は外れていました。
この後彼らに待っていたのは、イエス様との別れだったのです。
私達は、ヤング先生がこの教会の牧師として就任された時から、ヤング先生はいつかは去ってしまわれる事を知っていました。しかし、弟子達はお別れだと思っていた十字架からイエス様は蘇られ、「さあ、これからだ」と思っていた矢先の事です。どれ程ショックを受けたことでしょうか。
しかし、大切なのはこれが最初から神様の計画だったということです。
当然、イエス様もそのことは十字架にかかるより前から承知していました。
ヨハネによる福音書の16章7節にはこのように書かれています。
ヨハ16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
イエス様が蘇ってから四十日を弟子達と共にしたことも、別れのための準備でした。
出遭うのに時があり、別れるのにも時があります。
それはただ単に悲しみの時ではなく、そこにも神様の計画があるのだということです。
ここでイエス様は、「わたしが去っていく事はあなた方にとってむしろいい事なのだ。」といっていますね。イエス様がいなくなってむしろいい理由とは何ですか? それはイエス様が行けば私達にとっての助け主が与えられるということ。では、助け主とは一体何なのか、これから見ていきたいと思います。

使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
福音を述べ伝え、イエス様の十字架と復活による罪の贖いを地の果てにまで伝える事が弟子達に、そして現代にいたる私たちに与えられた使命でした。
私達がそれを成すためには、助け主が必要なのです。
助け主とは聖霊のことです。
私達は聖霊の助けを得て、初めて神様の働きをなす事ができるようになるのです。

旧約聖書の時代には、律法を通して、あるいは預言者の語る言葉を通してしか、神様を知ることができませんでした。
ついにイエス様がきて、実際に神様を見、触れ、その優しさと愛を知ることが出来るようになりました。
しかし、そのイエス様が去ってしまったら、私達はどのように神様を知ることが出来るのでしょうか? 旧約聖書の時代に戻ってしまうのでしょうか?
神様が聖霊によって、信仰を持った私達ひとりひとりを通して人々に姿を現すのが、使徒の働きから現代に至る時代なのです。
皆さん、自分がクリスチャンであるということを、その様な意識を持って考えた事があるでしょうか。
私達が、イエス様に代わる存在としてこの世にいるんですよ。
どう考えて見ても、いや考えれば考えるほど、その責任の大きさには尻ごみしてしまいます。
イエス様がしたように人々を癒し、愛し、教え、いさめ、励まし、育て、仕える事が私達にはできるでしょうか?
もし私達がイエス様がしてきた事だけを考え、それを真似ようとするなら、それが不可能だということを知るでしょう。
もし無理をして真似ようとするなら、間違いなくつぶれてしまいます。
だからこそ、聖霊の助けが必要なのです。
私達が聖書を学び、祈り、賛美しつつ、聖霊の満たしに身を任せる時、私達は自然に、神様の働きをしている事に気がつきます。
聖霊が望まれたら、私達はそれに十分な力を受けるのです。8節にある、地の果てにまでイエス様の証人となるのだという事は、聖霊によって力を受けた結果なのだという事をどうか忘れないで下さい。

イエス様は聖霊の話を終えるが早いか、弟子達と別れ、天に昇っていってしまいます。
弟子達は呆然として、その姿を見送り、立ちすくんでいました。
そこに白い服を着たふたりの御使いが現われ、弟子達をいさめます。
使徒1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
「心配しなくても、イエス様とはまた会うことができますよ。」と御使いたちは言ったのでした。イエス様は私たちを見捨てて去っていかれたのではない。私達に任せるために、この世から退かれたのです。

イエス様からその働きの一端を引き継いだパイク先生が、13年前に西葛西国際キリスト教会を始めました。
ヤング先生がそれを引き継ぎ、これまでこの教会で必要な事の殆どをやって下さいました。次は、私たちの番です。
牧師としての立場を引き継いだ僕だけの問題ではなく、西葛西国際キリスト教会というひとつの群れが、イエス様から任されてきたこの働きを引き継ぐということです。
私達にできますか?
できます。
ひとつには、これまでヤング先生と共に過ごした日々の中で受け、心に根付いた知恵と知識によって。そして何よりも、聖霊の働きによってそれがなしえるのです。

今日はこれから、ヤング先生のお別れ会があります。
心から名残りを惜しみ、盛大に楽しみましょう。
でも私達がヤング先生たちに恩返しできるのは、ヤング先生と離れては信仰を続けていけない、別れを嘆く姿ではなく、ヤング先生たちなしでもやっていけますよという、勇ましい姿を見せることではないでしょうか?
この会を、ただただ別れを惜しむ会ではなく、むしろヤング先生たちを送り出す、喜びの会としようではありませんか。

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