創世記1:1-2:3 アイデンティティ1『創造された者』 2006/02/05 松田健太郎牧師

創世記 1:1~2:3
1:1 初めに、神が天と地を創造した。

ある女子高生がこんな投書を新聞に送ったそうです。
「何のために強く生きなければならないのか」
彼女の友人が自殺した時、彼女の周りの人々が「どうしてもっと強く生きてくれなかったのか」と語った事に疑問を感じたのでした。
「何のために強く生きなければならないのでしょうか?」
その投書に対して多くの反響が寄せられましたが、彼女にとって満足のいく答えはひとつも得られず、彼女は再び「何のために強く生きなければならないのか」と投書しました。
彼女の知りたかったのは、「なぜ」という事、つまり行き着くところは「人生の意味」を知りたかったのに、寄せられた答えは「どうやって」強く生きていくかという答でしかなかったからです。
人生の意味とは何でしょうか?
私達はなぜ生きているのでしょうか?
その問いは、自分自身のアイデンティティというものに行き着きます。
それは、「自分が自分であるとはどういうことなのか?」
「私はなぜ私でなければならないのか?」
「自分の存在の根拠はどこにあるのか?」
「“わたし”とは誰なのか、何なのか?」という問です。
そこに答を見出せた時、その答えは生きる事の意味に自ずと繋がっていくものではないでしょうか?
今日から数ヶ月かけて創世記を一緒に学んでいくのですが、私達にとって大きな疑問であり、多くの人々が答を持っていない私達は誰なのかという問題について、創世記の最初の部分から考えていきたいと思います。
ここが、聖書の世界観を知るのにもっとも重要な所であり、この理解が私達の宇宙観を作り上げていくのです。

さて、それでは聖書の一番最初に書かれている言葉を一緒に見てみましょう。

1:1 初めに、神が天と地を創造した。

ここで言われる“初め”とは、全ての初めであり、神様の創造の後に全てが始まったということです。
ですから「神様が世界を創造する前には何があったのか?」という問いは意味をなしません。時間もこの時に創造されたのですから、創造“以前”ということはありえないのです。
そして、神が創造したという“天と地”とは、“上と下”を創ったとか、“天国と地上”を創ったということではなくて、世界にある全てのものを指しています。
そして創造したという言葉は、何かを“形作った”というような言葉ではなく、無から有を存在させたということだけを意味する言葉、つまり神様にだけしか使うことができない言葉が使われています。
世界に存在する全てのものが神様によって創造されたというのが、聖書が私達に伝える最初の真理なのです。

ここで私達は、ここで語られている神様がどのような存在なのかをしっかり把握しておく必要があります。
日本の宗教観では、八百万の神といって、全てのものに神がいるという価値観の元に神という言葉が使われています。
他の宗教や神話にも、色々な名前の神々が出てきます。
実際に、聖書の中にもバアルやベルゼバブ、アシェラ、アルテミスというほかの神話の神々の名前が出てきます。
しかし、聖書の中でエロヒムとか、ヤァウェと記されている神様は、その様な神々とはまったく別の存在なのです。
永遠の中に存在し、神様そのおひとりで全てが完成している、存在するものすべての創造者であり、主権者である方、それが聖書の語る神様の姿です。

さて、この後から記されている7日間の話を期待していた方がいらっしゃったら申し訳ありませんが、僕はこの7日間のことを細かく取り上げてひとつひとつの事を説明するつもりはありません。
今回のテーマとはあまり関係がないということもそうですが、実際に何が起こったかということは僕にはわからないからです。
この7日間のことに関しては色々な捉え方があるんですよ。
今理科の授業に教わっていることは完全に間違いであり、世界は文字通り7日間で形成されたのだということを、科学的に考えている人たちがいます。
創造科学という分野があるのですが、これは非常に興味深い話です。
ここに『進化論か創造論か』というタイトルのDVDがあります。
京都インターナショナル・ユニバーシティで生物学部長をしている安藤博士による講義なのですが、一般の人に判りやすいように話をされていて、すごく面白い話ですので、興味のある方はぜひご覧になってください。
一方で、7日間を文字通り24時間が7日間であるとはとらないという捕らえ方もあります。これは現在科学が主張している世界観と、それほど大差はありません。
実際、ヘブル語での“日”という単位は、“年”とも“1000年”とも、“時代”とも色々な訳せるほど沢山の意味を持っていますから、私達の言葉で訳されている“7日”ととる必要はそもそもありません。
このこともひとつひとつの言葉の意味を文法的に考えながら解き明かしていくと面白いとは思いますが、今日は紹介だけにしておきます。
僕個人がどう考えているかと言いますと、こんなことを言っていいのかどうかよく判りませんが、「そんな事はどうでもいい」というのが僕の考えです。
宇宙の生成にどんなことが実際に起こったのかということは、科学者が考えればいいことです。
その科学も、どんどん内容が変わっています。
宇宙は膨張しているとか、収縮しているとか、ビッグバンはあるんだとか、ないんだとか、いややっぱりあるんだとか、超ヒモ理論だとかなんだとか、現在際先端の科学宇宙の生成をどのように主張しているのかはわかりませんが、毎年コロコロ変わっていく科学理論と聖書を照らし合わせて考える事は、私達にとってはあまり意味のあることではありません。
聖書は近代の科学がおこるはるか以前に書かれたものであり、当時の人たちにとって判りやすいように書かれています。
そして聖書は宇宙の成り立ちを説明するために書かれたのではなく、人類の魂の救済のために書かれたものです。
そこに書かれているのは時代を経れば廃れてしまうような価値観ではなく、科学という現代の常識にも捕われない絶対的な真実です。
今私達がここで取り上げるべき事は、全てのものは、神様によって創造されたのだという真実なのです。

私達が学校で教わる進化論の根底にある価値観は、生命は偶然できたという価値観です。
何億年前に地上に偶然アミノ酸ができて、そこから偶然生命が生まれてきた。
それが偶然の進化を繰り返していまの私達がいるというのです。
私たちが生まれてきたことも偶然の産物です。
だから、自分の生きる理由は自分で見つけなければなりませんし、存在価値は自分で作らなければんりません。
私たちはどれだけ社会に貢献しているか、地位、名誉、学歴、財産、容姿、健康、家族、恋人、友人、動物への愛着などを自分の生きがいとして見出し、そのために生きます。
これはどれも素晴らしい事です。
あるいは自分の夢に生きる人。
自分の個性を見出して、そこに自分の価値を見出す人、いろいろな人たちがいるでしょう。
しかしここで疑問が生まれます。
彼らにとって、社会に貢献できない人、地位の低い人、お金が無い人、容姿のさえない人、そういう人たちは、生きる価値の無い人間なのでしょうか?
どれだけ多くの若者が、自分には夢がないというので自分がダメ人間だと思い込み、個性的で無いということで自分に絶望してしまっていることでしょうか。
価値を見出せた人たちにとっても、それはずっと続くということではありません。
リストラで仕事を失った50代の男性は、生きがいを失って絶望して自殺します。
美容整形に失敗した女性は生きる理由をなくして人生の幕を下ろします。
偶然生まれてきた生命が生き残るのは大変です。
過酷な生存競争に勝ち残るためには、他人のことに気を使っている暇などありません。
他人を蹴落としてでも、いや他人を蹴落とさなければ時には生きていくこともできないのが、進化論が示唆している人生観です。

私たちは偶然生まれてきたのではありません。
そこには、神様の計画があるのです。
もちろんその計画を見出せるとは限りません。
しかし、だからといって、神様の目に私達の価値が変わるということは絶対にありません。
私達が自覚していようと、していなかろうと、私たちは神様の計画の上に生きています。
だから私たちは命を持った時点で、神様の目には『高価で尊い』と言うことができるのです。
たとえ何の社会貢献をしなくても、たとえ多くの人たちの手助けを必要として、自分の存在が他人に迷惑をかけているように思えても、たとえその命が、生まれて10分で尽きてしまう命だったとしても、その命には意味があります。
あなたには、価値があります。
私達が神様に創造されたというのは、そういうことです。

私達が神様の計画に従って創造されたということには、別の一面もあります。
わたしの夢、わたしの予定、わたしの計画の通りに行かないことも私達の人生にはありますが、それは当たり前のことだということです。
箴言にはこのように書かれています。

箴言 16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

私たちは自分自身を中心にして物事を考えてしまいがちです。
私達が体験できる視点は自分自身のものだけですから、それも当然かもしれません。
しかし、私たちを作ったのは神様です。
神様の計画によって私達が作られたのです。
神様が計画したのでなければ、私たちは生まれることもなかったということです。
人生の中心に自分自身を置いていませんか?
それが思い通りにはならないからといって嘆く必要はありません。
自分の思い描いている幸せが手に入らないからといって、神様が私たちを愛していないことにはなりません。
私たちは自分の思いも含めて全て神様に委ね、神様が私達の上になしてくださることを待つ必要があるのではないでしょうか。

最後にもうひとつ。
皆さんが今思い悩んでいることはどんなことでしょうか?
自分の人生の全てをかけた問題でしょうか?
人の命にかかわる事でしょうか?
自分だけではなく、会社の命運をかけたことでしょうか?
あるいは、国家の存亡の危機でしょうか?

私達が人生を委ねているのは、この宇宙を創った神様だということを忘れないでください。
一瞬で、人類が歴史上消費した以上のエネルギーを放つ太陽を創った神様。
光の速さを持ってしても、何万年かけても端に到達しないほど広い宇宙を創った神様。
宇宙を形作る全ての法則を支配する神様。
私達が神様の広さ深さ高さを目の当たりにする時、私達が抱え、悩んでいる問題はなんとちっぽけなことでしょうか。
神様に解決できない問題はありません。
一方で、それが神様の御心でないならばどんな簡単な事でも私達の思う通りにはならない事もあるでしょう。

自分が中心になり、自分の力で、自分の思う形での答を求めるのではなく、この世界の全てを創造した神様に信頼し、創造されたものとしての人生を歩み始めるべきではないでしょうか。

来週は引き続き創世記の1章を、私達がどうして神様を信頼することが出来るのかということを含めて考えていきたいと思います。

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