創世記8:14-22,9:8-17 『虹の約束』 2006/04/09 松田健太郎牧師

創世記 8:14~22、9:8~17
8:14 第二の月の二十七日、地はかわききった。
8:15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。
8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
8:17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」
8:18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。
8:19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。
8:20 ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。
8:21 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。 8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

9:8 神はノアと、彼といっしょにいる息子たちに告げて仰せられた。
9:9 「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。
9:10 また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。 9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」
9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。 9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。 9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。 9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。 9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」
9:17 こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」


窃盗、強盗、暴行、殺人、自殺、犯罪、援助交際、売春、詐欺、テロ、戦争、 新聞は、否定的な言葉で溢れています。
私たちの生きるこの社会は、否定的な思いで埋め尽くされるようです。
人を殺して何が悪いのですか?
愛がなくてもセックスはできる。
神なんてこの世にいない。
私達は、詐欺や殺人が横行し、好色と姦淫が当たり前の世界に生きています。
ごみの問題、森林の伐採、魚の乱獲などの環境破壊によって神様がお創りになられた地球は、100年前とは違う惑星になっているのではないかと思うほどです。
私達が生きるこの時代は、ひょっとしたらノアの時代よりももっと酷い状態なのではないでしょうか?

人類が神様から離れ、地が堕落して、暴虐で満ちてしまった時、神様は地上を洪水で満たし、地上にある殆どの生命を滅ぼしてしまいました。
1年にも及ぶ洪水という裁きを考えると、私達は恐ろしくなってしまいます。
神様は何と残酷なのだろうかとか、裁きなんて起こらなければ良いと考えてしまうものです。

洪水が終わり、ノアたちが箱舟から出てきた時、彼らが捧げる礼拝の中で、神様はこのような約束をしました。

8:21 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

パウロが、罪の性質のために私達は自分が本当にしたいことではなく、憎むべき罪の行いをし続けてしまうと言ったように、神様に逆らい、罪の性質に支配されている私達からでてくるのは悪でしかないのです。
私達から出る悪に対していちいち裁いたとしたら、神様は何度人類を滅ぼさなければならないかわかりません。
だからもう、道徳的な堕落のためにすべての人類を滅ぼす事はしないと神様は約束しました。

もし因果応報的な価値観でこの世が成り立っているなら、善い事をしている人は必ず成功し、人生に苦しんでいる人たちはみんな自業自得だということになります。
しかし、現実はそうではありません。

私達が生きる世界は弱い者が虐げられ、貧しい者が搾取され、まるで強いものだけが正しいかのように、まるで生き残ったものだけが正義であるかのように、悪い事をしなければ幸せにはなれないかのように見えてしまいます。
正しい事をしている人が必ずしも評価されるのではなく、時には虐げられて一生を送っていかなければならないという不公平がまかり通ってしまうのです。

もし神様が裁きをいつまでも下されないとしたら、この世界は絶望だけしか残りません。
正しいものが正しいとされるためには、悪は裁かれなければなりません。
神様の決意は、もう人を裁かないということではないのです。

やがて、人類が私達の内にある罪に従って、裁きを受けなければならない時がきます。
私達はそれを決して忘れてはなりません。

マタイ24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

その時がまだ来ていないのは、私たちに猶予が与えられているからです。
世界がこれ程の状態になっても、まだ神様はあきらめていないのです。
私達全員が神様に立ち返り、ひとりでも多くの魂が救われるために。
世界がこれほど罪で汚され、歪められ、神様が侮られても、神様は忍耐をもって私たちを待ってくれているのです。

IIペテロ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。


私たちがキリストの十字架を信じ、イエス様を救い主として受け入れるなら全ての罪が赦されて救われるという福音は、人々が理解に苦しむような、奇妙なことです。
私たちには、善い行いをすれば天国にいけるとか、悪いことをしたら地獄で苦しむとか言われたほうが、理屈に合うように聞こえるからです。

ノアが箱舟を作り、やがて裁きの洪水が来るからみんな箱舟に乗らなければならないと伝道したその様子も、人々には異常で滑稽なものに見えたことでしょう。
ノアは120年もの間伝道を続け、人々が箱舟に乗るように訴え続けていたのです。
しかし、結局箱舟に乗って救われたのは、ノアの家族8人だけでした。

イエス様はこのように言っています。

マタイ24:37~39 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

当時、イエス様の周りにいたほとんどの人たちは、イエス様が救い主であり、キリストであるということを本当の意味では理解していませんでした。
イエス様が伝える福音は、当時のユダヤ人の常識からあまりにもかけ離れ、多くの人々には神様への冒涜とさえ聞こえました。
ユダヤ人も、私たちが善い行いを通して天国に行くことができると信じやすいように、律法を守ることによって天の御国に入ることができると信じていたからです。

善い行いをした人間でなくても、ノアの箱舟に入ったものは洪水を免れることができました。
同時に、どれだけ善い行いをしたとしても、ノアの薦めに従わずに、箱舟に乗ることを拒否すれば、洪水の中を生き残ることはできなかったのです。

ヘブル11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。

ノアは信仰によって神様の前に義とされた人物です。
ノアの言葉を聞いて信じ、箱舟に入ろうとするものは誰でも救いを受けることができたように、イエス様の時代にも、イエス様の語る福音を聴いてイエス様を救い主と信じる者は誰であっても罪の赦しと永遠の命を受けることができました。
私たちがイエス・キリストを信じるなら、たとえ行いが伴わなくても、道徳的に不完全であっても、神の子と呼ばれるにはまだまだ生活がふさわしくないような弱いものであっても、決して見捨てられるのでなくそのままの姿でキリストの十字架の赦しのゆえに「義」とされ神様に受け入れられるのです。

ロマ3:24 ただ神の恵みにより、キリストイエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです

イエス様が福音を語り続けた3年余りの間、何万人の人々がイエス様の話を聞いたでしょうか?
イエス様がロバに乗ってエルサレムに入られたとき、どれだけの人が椰子の葉を手にイエス様を迎え入れたでしょうか?
イエス様が十字架にかかる姿を見た人は、一体どれくらいいたでしょうか?
その中で信仰を持った人々は、わずかです。

日本で何人の人たちがミッション系の学校を卒業したでしょうか?
何人の人々が子供のころ日曜学校に行っていたでしょうか?
何割のカップルがキリスト教式の結婚式をあげているでしょうか?
どれだけの人たちがキリスト教会の礼拝に出席したことがあるでしょうか?
しかし、救いを手にした人は、日本の人口の1割も満たしません。

ノアの箱舟に乗ったのがたったの8人。
ただ信じるということは、そんなに難しいことなのでしょうか・・・?

9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。
9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。
9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」

英語で虹のことをrainbow(雨の弓)と言いますが、ヘブル語で虹を表す言葉も、やはり弓という意味の言葉だそうです。
神様が戦いの道具である弓を、私たちに対して使うのではなく、雲の間に置いたのは、神様からの和解と平和の印です。

虹の契約が表すもうひとつの大きな恵みは、虹を見るたびに“神様が”この契約を思い出して下さるということです。
契約というものは、本来両者の間で合意を受け、共通した約束として結ばれた時に初めて効果のあるものです。
しかし、神様の契約は無条件で一方的なものなのです。
罪の性質を持ち、不完全である私達がこの約束を破っても、神様がこの契約を破る事は決してありません。

事実、わたしたち人類は神様に背を向け、今も神様に反逆を続けています。
それでも虹は、私達と神様を結ぶ和解の架け橋となり、私達の間に置かれているのです。

虹が誰にでも見上げる事ができる輝かしい存在であるように、イエス様の十字架は輝かしい存在として私達と神様の間に置かれ、誰もが仰ぐ事のできるものです。
来週迎えるイースターを前に、どうかもう一度十字架の意味に想いを馳せて、神様の無条件の愛と、恵みと、憐みを思い出す機会としてください。

箱舟なしに洪水を乗り越えることが誰にもできなかったように、神様の恵みがなければ、誰も主の裁きに耐えることはできません。
どうか、ひとりでも多くの方々が、一刻も早く救いの箱舟に乗ることができるように心から祈っています。

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