創世記37:1-12,18,19 『夢見る者ヨセフ』 2006/10/15 松田健太郎牧師

創世記 37:1~12、18,19
37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。
37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。
37:12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。

37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

2006年度は信仰の土台を建て上げるということを目的に、1年間かけて創世記を学んできています。
その創世記の学びも、今日から新しい場面に移っていくことになります。
先週までは、ヤコブという人物を中心として物語が展開してきていましたが、最後はヤコブに、イスラエルという名前が与えられて一区切りとなりました。
今日からは、創世記中最後の中心人物、ヨセフの物語ですね。
天地創造からノアの洪水までの間に聖書の背景を説明され、アブラハムが“起”、イサクが“承”、ヤコブの“転”で長子の祝福がどこにいくのかという事態になり、今日からの部分で“結”が明らかにされていくわけです。

このヨセフを始めとするヤコブの子供たちの記述のために、創世記50章の内の16章が費やされています。
このヨセフ達の物語が私たちにとってどれほど重要なのかを表してもいますね。
それは、これまでひとりひとり、個人との係わり合いでしかなかった神様と人との関係が、ここから神様と民族の関係へと発展していくことになるからです。
ヨセフの物語は、その橋渡しとなると共に、神様とイスラエル民族との関係がどのようなものになっていくのかということを暗示してもいます。

ヨセフの物語には、もうひとつ大きな役割があって、皆さんの中ではすでにご存知の方もいらっしゃるだろうと思いますが、これに関してはメッセージの中で徐々に明らかにしていくことにしましょう。

① ヤコブの子ら
さて、今日からのシリーズはヨセフが中心人物になることは確かなのですが、それより先に、他の登場人物たちのこともご紹介しておかなければなりません。
それは、ヨセフの兄弟達の事、先週までの主人公だったヤコブの、子供たちの事です。

まずは長男のルベン、お母さんはレアです。このルベンは長男なのですが、ヤコブのそばめと寝た事によって、長男としての権利を剥奪されています。
次にシメオンで、3人目がレビ、このふたりは妹が近くの村の男に手篭めにされた時、その復讐として村の住民を皆殺しにしました。
4人目がユダです。彼はヨセフの物語の中で大きな役割を果たしていく事になるので覚えて置いて下さい。
ここまでの子供たちのお母さんはすべてレアです。

その後、そばめ達の子供が続きます。
まずは、ラケルのそばめであるビルハの子供ダン、さらに6番目の子ナフタリ。
次にレアのそばめであるジルパの子供であるガドとアシェル。
それからまたレアが子供を産んで、イッサカルとゼブルンと名づけられました。

本当は、この兄弟達の事をもっと良く知っていただくためにも、ひとつひとつの出来事の事をしっかり取り上げてお話するのが良いのでしょうが、今回はあまり大きく取り上げません。
その理由は、今年中に創世記を終わりたいので時間的に余裕がないことがひとつと、第2の理由としては子供たちがこの場にいるからです。
聖書の中にはアダルトな話題も決して少なくはないのですが、ヤコブの子供たちの話題もあまり深入りしすぎると、R指定やX指定になってしまうので、あまり詳しく、具体的にお話しすることができないのです(苦)。

要するに、この兄弟達は決しておだやかな、お世辞にもいい人たちと言えるような人たちではありませんでした。
特に上の4人、ルベン、シメオン、レビ、ユダは、特に血の気の多い若者だったでしょう。
今で言えば、暴走族に入り、あるいはやくざと関係を持ち、ドラッグやけんかに明け暮れ、いつも警察のごやっかいになっているような、やんちゃというには少し度が過ぎてしまうくらいに悪さをしてきた問題児達ではないかと思います。

その後の6人に関しては、あまり記述されていないんですね。
良くも悪くも、あまり目立たなかった。
(言葉は悪いですが)おめかけさんの子供たちだったので立場的にあまり強くなかったのかもしれません。
あるいは、年が多少離れているということもあったでしょう。
いずれにしてもダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルンの6人は、兄ちゃんたちをお手本にして悪さを覚えていったり、悪い事だとはわかっているんだけど自分がいじめられたくないからいじめる側に回るというような、そういう若者達だったのではないでしょうか。

さて、世の人々はこの10人の兄弟達をいつでも、悪し様に悪者呼ばわりするのですが、当人達に言わせれば「好きでこうなったわけじゃねえや!」というのもあるわけですね。
ひとつには、父親が4人も妻を持つような複雑で不道徳的な家庭環境だったということ。
当時の社会では当たり前の事だったとは言え、神様の御心に適わない事をすれば、必ずその代償を払わなければならなくなるんですね。
そして彼らがぐれてしまったもう一つの理由は、父ヤコブが11番目の息子ヨセフばかりえこひいきし、偏愛したからです。

ヨセフというのは、父ヤコブの最愛の妻であったラケルが産んだ最初の子供です。
最愛の妻の子であったということに加えて、ヤコブが年をとってからの子供でしたから、孫のように可愛かったのです。
ヨセフは他の子供たちと比べてもできが良かったのでしょう。
要領が良いから仕事は早いし、作物や家畜の知識も豊富ときている。
しかしヤコブがヨセフ以外の子供たちに与え続けたメッセージは、「どの様な事があっても私はヨセフを愛する。他のお前達には価値がない。」というメッセージだったのです。
自分に価値を認めることができない子供たちには、多少乱暴だったとしても、自分の力で勝利を奪い取るしかもう方法がなかったのです。

ヤコブの家庭もやはり偏愛がまかり通る家庭環境でしたね。
父はエサウを偏愛し、母はヤコブを偏愛し、そのことによって兄弟がいがみ合うようになったのですから、ヤコブは偏愛がいかに家族の絆を壊し、結局は自分が愛する者をも苦しめていく結果になる事を、身をもって知っていたはずです。
それでもやはり、自分も両親と同じわだちを踏んでしまった。
これが私たち人間というものの性であり、罪の恐ろしさなのだろうと思います。
この様にして、兄弟達のヨセフに対する妬みと憎しみは、日に日に大きくなっていったのです。

さて、そんな兄弟達に、もうひとり仲間が増えました。
ヨセフの母ラケルが、2人目の子供ベンヤミンを産んだのです。
ヤコブにとっては12番目の息子になりますが、ヤコブ最後の息子と引き換えに、最愛の妻ラケルは命を落としてしまいます。

さて、状況を整理しておきましょう。
ヨセフは11番目の息子であり、お父さんヤコブの最愛の妻であるラケルから生まれていたということ。
ヤコブはヨセフを偏愛し、そのことで他の兄弟達はヨセフを妬み、憎んでいたということ、父ヤコブは12番目の息子ベンヤミンと引き換えに、最愛の妻ラケルを失ってしまっていたということ。
それらのことをバックグラウンドとして理解したうえで、今日の箇所をもう一度一緒に見ていきましょう。

② 愛され、憎まれたヨセフ

37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。
37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

ヨセフというこの少年は、一身にヤコブ父さんの愛を受けてきたんですね。
才能にも恵まれ、多分男前で、悪を憎み、正しい事を愛する、いわゆる人から愛される体質の少年だったのです。
ヨセフ自身も、愛に満ち溢れた毎日を送ってきて何のコンプレックスもありませんから、性格も明るくて優しかったでしょう。
正義を愛する真っ直ぐな彼の性格は、心歪んでしまった兄弟達にはとても疎ましく感じられました。
しかもヨセフは曲がった事が嫌いでしたから、兄弟達が何か悪い事をしでかすと、正義感をもって父親に報告するのです。
そうすれば、「あの野郎、チクリやがって」となって、さらに恨みを買ってしまう。

挙句の果てにヤコブがヨセフのためにあつらえたのは、そでつきの長い服でした。
そでつきの長服というものは、本来長男が着せられるものなのです。
ルベンは確かに、父親の尊厳を踏みにじったために長男としての権利を剥奪されてしまったのですが、ルベンを始め他の兄弟達をも差し置いて、長服がヨセフに与えられたのでは、皆の腹がおさまりませんでした。

そして、無邪気だけど甘やかされて無神経なヨセフの行動が、彼らの心の火に油を注いでいく事になっていくのです。

③ ヨセフの夢

37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」

夢のひとつやふたつでどうしてこの人たちは大騒ぎするのかと、皆さんは思われるかもしれません。
しかし夢の解き明かしをすることが、イスラエル人に与えられた特質のひとつであり、聖書の時代にはイスラエル人たちが異邦人のために夢の解き明かしをしたということが何度も書かれています。

これが、異邦人の家庭であったら、訳のわからない夢を見たというので、笑い話で終わったかもしれません。
しかしヨセフの兄達は、ヨセフの夢が意味している事がわかってしまったのです。
それは、ヨセフが兄弟全てを支配する事になるという意味に他なりませんでした。

「俺達がお前に跪くことになるとでも言うつもりか!」
兄達は大声でヨセフに怒ります。
ヨセフの傲慢を許すことはできない。
事もあろうに、それが神様の意思だとでも言いた気なことをいい始めるとは。
しかし、この時彼らがこれ程までに怒ったのは、この預言が十分に起こりうるということに気がついていたからでしょう。
父がヨセフに長服を着せているのが何よりの証拠だ。
このままでは、あの生意気なヨセフが、長男としての権利と祝福を独り占めすることになる。
そう思った時、ヨセフの兄弟達が抱いていた妬みと憎しみは、確かな殺意へと成長していきました。

チャンスはその後間もなく訪れます。
羊に草を食ませるために出かけた兄達が戻らないのを心配してヤコブが送り出したヨセフが、ひとりで彼らのもとへ来たのです。
辺りは人気のない荒れ地、ここで殺してしまっても誰も真実を知る者はない。

結論だけ言えば、長男ルベンの説得よってヨセフの兄弟達は自ら手を下す事はしなかったのですが、しかし四男ユダの提案から、通りがかった隊商にヨセフを奴隷として売ってしまいます。
そして、彼のお気に入りだった長服を引き裂き、その切れ端に獣の血をつけ、父親にはヨセフが獣に殺されたと報告したのです。

「ヨセフがいるから・・・。」「ヨセフさえいなければ・・・。」
ヨセフの兄弟達はいつもそう思い続けてきたのです。
しかしその後、彼らは考え続ける事になります。
ヨセフがいなくなって、本当に俺達は幸せになったのだろうか?
ヨセフの命を奪い、父をこれだけ悲しませる事が、本当に俺達のしたかった事なのだろうか?
その疑問に明確な答えが出せるようになるまでには、もう少し時間を必要としていましたが、私達はやがて驚きをもって彼らの成長を見ていくことになるのです。

一方、ヨセフはどうだったでしょうか?
信じていた兄達に裏切られ、実の兄弟達から奴隷として売り渡され、相当なショックを受けたことでしょう。
何よりも、自分の見た夢はどうなったのでしょうか?

兄達が自分の前に身をかがめ、全ての家族が自分の支配下に下るはずではなかったのでしょうか?
ヨセフの中にもまた、砕かれなければならない高慢と自我がありました。
神様によって与えられたはずのビジョンが、ヨセフの身の上に現実のもとなるためには、やはりまたしばらくの時間を必要としたのです。

私達は今の状況だけを見て、すべてに絶望してはいないでしょうか?
病は癒されない、家族の関係は回復しない、この友人は救われない、自分は幸せになれないと決め付けてしまってはいないでしょうか?
もしそれが、神様によって与えられたビジョンであれば、その御心は必ずなるのです。
どんな時にも絶望せず、神様のご計画を信じて生きていくことの素晴らしさを、このヨセフのシリーズを通して一緒に学んでいきましょう。

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