出エジプト3:1-14 『主の名は「わたしはある」』 2007/05/06 松田健太郎牧師

出エジプト 3:1~14
3:1 モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。
3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
3:3 モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
3:4 主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。
3:5 神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
3:6 また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。
3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。
3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。
3:9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。
3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
3:11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」
3:12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」
3:13 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」

みなさんは、神様を見たことがあるでしょうか?
自分の目で神様を見たという人はいないでしょうが、人生のある時に、神様の介入があった、その時に神様の存在を感じたという経験がある人は、少なくないのではないかと思います。

神様と出会う瞬間は人それぞれです。
わたし達の人生の中で、ふいに姿を現す神様は、様々な形でその存在をわたし達に教えてくれます。

モーセは、燃える柴を通して神様と出会いました。
ここでの火は、試練を意味しています。
燃えつきない柴を通してモーセに示されていたのは、長くて厳しいエジプトという大きな試練の炎の中にさらされながら、それでも神様の守りの中にあり、燃え尽きる事のないイスラエルの姿でした。

ここで燃える柴として神様が姿を現したのは、特別なメッセージを帯びた上での事です。
モーセが出会ったときは燃える柴だったからといって、私達が燃える柴を探し求めてもあまり意味はありませんね。
こういう事をすれば、こういう姿をした神様に出会えるという、法則のようなものはありません。
そこには、確かに神様の介入があるはずなのに、神様の存在などまったく感じないと言う人もいたりするものです。

私達は確かに神様がどのような姿をして私達の前に現れるかを知る事ができませんが、聖書の中での人々の経験を通して、神様がどの様な方なのかを知る事ができます。

今日は、モーセの前に姿を現した神様を通して、私達の創造主、神様とはどのような方なのかを5つのポイントを通して、共に学んでいきたいと思います。

① 聖なる神
まず第一に、聖なる神としての存在を神様は示されました。

3:5 神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
3:6 また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。

神様はモーセに、神聖なる神の御前でくつを脱ぐようにと仰せられました。
そしてモーセは、神様を仰ぎ見る事を恐れて、顔を隠しました。
それは神様が神聖な存在であって、不用意に、馴れ馴れしく近づくべきではないからです。

私達日本人は、家では靴を脱ぐのに神様のもとには土足で上がりこむ民族だとある人が言いました。
世界の創造主である神様への畏れを忘れて、神様を自分の友達であるかのように、神様のなされる事にモンクを言って、批判をします。

これは、八百万の神という多神教的文化が背景にあるからかもしれません。
私たちが思い描く神様とは、多くの場合擬人化されて、私たちの目線にまで引き降ろされた歪んだイメージの神様です。
聖書に描かれている真の神様は、それとは全く違うのだという事を覚えておいて欲しいのです。

神聖なる神のイメージは、私達にはどこか冷たく、距離を感じてしまうかもしれません。
しかし、本来私達人間と神様との距離はそれほどかけ離れていて、近寄りがたくて当たり前なのです。

だからこそ、私達には神様との間に仲介者が必要だったわけですね。
私たちが神様を引き降ろすのではなく、神様が自ら私たちの所に来る必要があったのです。
そう考えた時、私たちはイエス様という存在そのものが、どれほど大きな愛によって、この地上に遣わされて来たのか、少しだけでも実感する事ができるのではないでしょうか?

② 憐れみ深い神
神様は神聖であり、私達が近づくすべもない存在ですが、にもかかわらず、神様は私たちを省みてくださっています。
神様は畏れ平伏しているモーセを励ますように、ご自分の思いをモーセに打ち明けてくださいました。

3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。

神様は、私達の悩みを見、叫びを聞き、私達の痛みを知ってくださいます。
それだけではありません。
今から2000年前には、私たちと同じ人間としてこの地上に生き、私達の悩みと、叫びと、痛みを経験してくださったのです。

創造主である神様が、僕たちのために同情し、共感する。
そこに神様の大きな愛が表されているのです。

さらに神様は、苦しみの中にあるイスラエルを解放するご計画を、モーセに表しました。

3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

奴隷となって苦しんでいるイスラエルを開放し、まるで乳と蜜の流れる様に豊かな地、カナンに導くこと、それが神様のご計画であり、そのためにモーセの前に姿を現したというのです。

神様は、ただ単に『かわいそうに』と言って眺めているような方ではありません。
皆さんが今経験している痛みや苦しみを、天のお父様はご存知です。
その痛さ、苦しさを、神ご自身が経験してくださったからです。

私たちをも同じように、神様はキリストを通して私たちを罪の中から救い出し、素晴らしい神の国に導いてくださっているのです。

③ 遣わす神
以前、モーセがまだエジプトに住んでいた頃、彼は自分の意思と力によってイスラエルの民を救い出そうとして失敗し、挫折しました。
それは、まだ神様の時が満ちていなかったからです。
しかし今、時は満ち、神様は召命の言葉をモーセに与えました。

3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」

今こそがその時でした。
アブラハムの時代から預言されていた、イスラエルの開放の時が、今この時始まったと、神様は宣言されたのです。

この計画のために神様が召し、遣わしたのはここにいるモーセでした。
そしてこの遣わす神がモーセをイスラエルの民に遣わしたように、イエス様を私達すべての人々のために遣わされたのです。
イエス様は、全人類の救いのために十字架の上で命を捨てて死んでくださいました。

私たちもまた、遣わされています。
モーセがイスラエルの人々を導くために召されたように、神様は、人々に福音を伝えてイエス様の元に導くように、私たちを召しているのです。

④ 臨在の神
とはいえ、福音を伝えるように召されているのはわかるけれど、なかなかその勇気が湧いてこないというのが実際のところではないでしょうか?
モーセにとっても、それは同じでした。

神様の時を待つためにエジプトを後にしたモーセでしたが、40年の月日の中で、モーセの中の自信は小さくなってしまっていたのです。

3:11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」

以前の失敗がトラウマになっていたのかもしれません。
「自分ひとりがどれだけがんばっても、誰も協力してくれない。」そんな不安がモーセを覆ってしまったかのようでした。
しかし神様は、そんなモーセに命令だけ下して、一人で遣わすことはしないのです。

3:12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」

『わたしはあなたとともにいる。』
神様は、私たちにもその様に語りかけています。

私達が自分の力で誰かを説得したり、誰かをクリスチャンにしようとしてもうまくいきません。
以前のモーセのように、むしろ煙たがられて挫折してしまう事でしょう。
しかし、神様が共にいてくださり、神様の力によって福音を伝えるなら、それは必ず実を結んでいくのです。
『遣わす神』はただ単に私たちを遣わすだけでなく、『私たちと共にいてくださる神』でもあるのです。

⑤ 永遠の神
そして最後に、神様は永遠から永遠まで存在される方だという事です。

誰も自分の言葉など信用しないのではないかと不安になったモーセは、人に聞かれたらどう応えればいいのかと、神様にその名を尋ねています。
それに応えた神様はこの様に言いました。

3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」

『わたしはある』とは、何と奇妙な言葉でしょうか?
これはもう少し説明しておかなければなりません。

この『わたしはある』という言葉は、過去形にも現在形にも未来形にも訳す事ができる言葉です。
つまり、永遠の昔から存在し、今も存在し、永遠の未来まで存在し続ける方。
それと同時に、何か他の存在やものによって存在させられているのではなく、唯一絶対的に存在し、他のものを存在させているのが、この神様という存在だという事を表しています。
この絶対者であり、永遠に存在し続ける神様が、私たちを遣わし、私たちと共にいてくださっているのです。
私たちは何を恐れる必要があるでしょうか?

 

僕が2年前にこの教会の牧師として就任した時、僕は自分が、神学校を卒業したばかりの若造に過ぎないと感じていました。
社会的な地位もなければ、経験も少ない。
神学校を卒業したとは言っても、3年間フルタイムの勉強をしたわけではなく、2年間パートタイムでの学びでしかありません。
専門的な知識としては、不十分のようにも感じられました。
しかし、神様が僕を遣わされたのなら、僕は何も恐れる必要はなかったのです。

旧約聖書のエレミヤ書に、預言者として遣わされた若者、エレミヤに対するこの様な神様の言葉があります。

エレミヤ 1:7 すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。
1:8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」

僕が自分で思い立って、皆さんに何か良い事を教えたり、アドバイスを与えようとするなら、僕にできる事は何もありません。
ここにいらっしゃる、ほとんどの皆さんの方が、僕などよりもずっと多くのことを知っていらっしゃるでしょう。

僕が皆さんの悩みや苦しみを背負い、皆さんを救ってあげることなどできるはずがありません。
ましてや、皆さんを変えることなど、僕にできるはずがない。

そんな事を僕はする必要がないのです。
僕はただ、神様から与えられている御言葉を皆さんに伝える事だけが仕事です。
僕が神様に与えられた使命をこなしさえするなら、後は神様がそこに働いてくださるのですから。

ここに召されているのは、牧師である僕だけではありません。
皆さんにも、人々をイエス様の元に導き、福音を伝える召命が与えられています。
でも皆さんは、何も恐れる必要はないのです。
そこには主が共にいて、その永遠の力を惜しみなく働かせて下さるからです。

そして私達がこの召命に従う時、そこに大きな祝福が与えられるのを、私たちは経験するはずです。

私たちはその時こそ、神様を見て、体験する事ができるのです。最後に、今日の箇所と全く同じ事が示されているイエス様の言葉を読んで、今日のメッセージを締めくくりたいと思います。

マタイ 28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

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