コロサイ1:15 『神様とは誰ですか』 2008/01/27 松田健太郎牧師

コロサイ1:15 
コロサイ 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

先日、ホームセンターに行ったときのことです。
僕は店員さんを呼び止めて声をかけました。
「すみません、OHPシートはどこにあるでしょうか?」
するとその店員さんは驚いたような顔を上げて僕に言いました。
「すみません。わたしはここの店員ではないので、わかりません。」
作業着を着ていたのでてっきり店員さんだと思っていたのですが、そのホームセンターで働いている方ではなかったのです。
僕はあやまって、顔を真っ赤にしたままその場を跡にしました。
人違いをするのは恥ずかしいですね。
間違った人に声をかけても、求める答えが返ってくるはずがありません。

さて、私たちはあまり深く考えることもなく“神様”という言葉を使ってしまいますが、私たちが“神様”と呼んでいるのは、いったいどんな方なのでしょうか?
“神様”と聞いて真っ先に連想するのは、杖を持った白髪のおじいさんの姿かもしれません。
あるいは、日本人であれば“八百万の神”的に、たくさんいる神の内のひとつを考えるかもしれません。
最近では、「あのアーティストは神だ」というような言い方までしたりするそうです。
だから一言に“神様”と言っても、その言葉を聞く人によってその対象は違ってきてしまいます。
でも、私たちが間違った対象に祈りを捧げていたのでは、私たちは決して求める答えを得ることができないのではないでしょうか。
神を知るという事は、私たちにとってとても大切な事なのです。

神様は三位一体だと言われています。
この“三位一体”という言葉自体は、聖書には一度も出てこない言葉なのですが、父なる神、御子イエス・キリスト、そして聖霊は同等であり、ひとつの神であるというのが聖書の中から読み取れる真実です。
三位一体を理解するのは、実はとても難しいことなのですが、今日はこの三位一体ということを中心としながら、神様とはどんな方なのかを学んでいきましょう。

① 父なる神様
三位一体の中心となるのは、何をおいても父なる神様です。
この世界を創造し、全知全能、そして時間と空間を超えて存在する偏在の神様です。
「神が世界を創造した。じゃあ、神は一体誰が創造したんですか?」という質問が昔からありますが、神様はおひとりで完全であり完結した存在ですから、神は誰かに創造される必要はなく、何よりも“神以前”という事はありえないのです。

神様がこの世界を作ったのだということはどういうことなのか、もう少し具体的に考えて見ましょう。
太陽には、コロナという現象があります。
それはその一瞬で、地球上の全人類がこれまでの歴史の中で使っていたエネルギー量よりも大きいエネルギーが消費される現象です。
その膨大なエネルギーを持つ太陽を作ったのは、神様だということです。
宇宙の広さは、光の速さでも何百億年もかかってしまうほど大きいと言われます。
しかし、その宇宙を作ったのは神様だということです。
その大きさから考えたとき、私たちが抱えている問題は何とちっぽけに思えてくるでしょうか。

その一方で、地球上には顕微鏡で見なければ見ることができない微生物や菌も存在しています。
細菌を生物として数えるなら、もっとも小さなものがマイコプラズマという細菌で、2万分の3mmという小ささだそうです。
さらに物質を構成する原子は1000万分の1mm、その中に原子核があり、原子核は陽子と中性子によって構成され、陽子は素粒子によって構成されています。
素粒子の大きさは1000兆分の1mm。
それをすべてデザインしたのが神様です。
その細かさから考えるなら、私たちが見るものの見方は何と大雑把でしょうか。

そして幸いなことに、神様は正義と愛と慈しみによってこの世界を治めています。
私たちはそれを聖書の中で知ることができます。
しかし、ひとつ大きな問題があります。
それは、私たちの中にある罪によって、神様との関係が断絶してしまっているという事です。
神様がどれだけ素晴らしい御業をなされても、私たちにはそれを見ることも、知ることもできない。
ましてや、神様が何を思って何をしようとしているかなんて、全く理解できません。
だから多くの人たちは、神様の存在を信じることができないのです。

ここにデスクトップのパソコンがあります。
この中には、たくさんのデータやプログラムが入っています。
しかし、中に入っているものがどれだけ素晴らしいものだったとしても、本体だけでは中に何が入っているか知ることができません。
今の私たちと神様との関係はこの様な状態です。
ここに素晴らしい力を持ち、愛に満ちた方がおられるのに、私たちにはそれを知ることができないのです。
では、私たちはどうしたらそれを見ることができるのでしょうか?

② 御子イエス様
デスクトップパソコンは、モニターが必要です。
モニターと繋げば、私たちはパソコンの中で起こっている事を見ることができます。
それと同じように、私たちには神様を知るためにイエス様が必要なのです。

コロサイ 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

私たちにとって神様を知るための最善の方法は、神様が私たちと同じ目線に降りてきてくださる事でした。
それゆえに、神様は肉体をもって、人として地上に来てくださったのです。
私たちが罪で汚してしまったこの世界に来るというだけでも大変なことだったでしょう。
しかしイエス様は、私たちの愛ゆえに地上に来られたのです。

イエス様は人々に、希望を与える言葉をくださいました。
イエス様は、弱い者や虐げられた者の友となってくださいました。
イエス様は、病んだ者、障害を持った者を癒し、人に命を与えました。
そして何よりも、イエス様はご自身の命を犠牲にし、十字架にかかり、私たちの罪を贖ってくださいました。

ヨハネ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

Iヨハネ 3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。

私たちは、イエス様の生涯を通して、神様の愛がどのようなものかを知ることができるのです。
しかし、ここにもひとつ問題が起こりました。
イエス様は、たった33年しか地上におられなかったのです。
イエス様は十字架にかけられた後、三日後に蘇られましたが、せっかく復活したイエス様はその40日後、再び天に戻ってしまわれたのです。

確かに私たちは、イエス様の生涯を聖書の中に見ることができます。
でも私たちには、イエス様と同じ時代に生きた人たちと違って直接イエス様とお話しすることができません。
残された私たちは、イエス様なしにどうやって神様の導きを求めることができるでしょうか。
もちろんイエス様は、その答えを残しておいてくれました。

ヨハネ 15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

ヨハネ 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

③ 真理の御霊、聖霊
聖霊と言うと、何かクリスチャンとしての特別な力や体験を指すように思われる方もいるかもしれませんが、聖霊は三位一体のひとりです。
イエス様も人格的な存在として話していたことがわかるのではないでしょうか。

三位一体の最後を飾る聖霊の役割は、パソコンで言えばキーボードやマウスまた、スピーカーといった周辺機器のような存在かもしれません。
本体とモニターだけでは、私たちはパソコンの中で起こっている事を見守ることしかできませんが、こういった周辺機器を通して、パソコンに働きかけることができるからです。
そして、三位一体の中ではもっとも忘れられがちな聖霊ですが、様々な働きをしてくださっているのです。

私たちは、聖霊によって神様との間に交わりを持つことができます。
聖霊が私たちの内に宿ってくださるから、私たちは神様の導きに耳を傾け、主に従うことができます。
聖霊によって、神様は私たちをその働きの一部として用いてくださることができるのです。

また聖霊は、私たちを内側から変えてくれます。
聖霊が私たちの心に与えてくださるのは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といったものです。
そして私たちに与えられたその性質を通して、聖霊は私たちをキリストに似たものとして成長させてくださいます。
聖霊なしには、私たちはクリスチャンとして成長することもできないのです。

④ 三位一体
パーソナルコンピューターと言えば、パソコンの本体に組み込まれているマイクロコンピューターのことを指します。
でも、私たちはモニターやマウス、キーボードも含めてパソコンと呼びますね。
神様もそれと似ています。
神様としての業をなすのは創造主である父なる神様なのですが、御子キリストや聖霊の存在を抜きにして神様を語ることはできないのです。

私たちにとって、神様は父、子、聖霊の三位一体でなければならない。
そのどれが欠けても、私たちは神様との真の交わりを持つことができないと言うことを理解していただけたでしょうか。

ローマ 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

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