創世記37:1-20 『ヨセフの夢』 2008/11/02 松田健太郎牧師

創世記37:1~20
37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。
37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。
37:12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。

37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

皆さんは、良かれと思ってやった事が、裏目に出てしまったという経験はあるでしょうか?
僕は以前、クリスマス・プレゼントで、ベス(妻)を驚かせようと思って買ったものが高すぎて、「家計が大変なのにこんなに高いものを買って!」と怒られたことがあります。
後先考えずに、目先のことだけを思って行動すると、とんだ事になってしまいますね。

さて今日からは、先月の中心人物だったヤコブの、子供たちが中心となって話が進んでいきます。
ヤコブには4人の奥さんがいて、12人の子供たちがいたんですね。
レアとの間に生まれたのは、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、更にイッサカルとゼブルン。
レアの奴隷ジルパの間に生まれたガドとアシェル。
ラケルの奴隷ビルハとの間に生まれたのがダンとナフタリ。
そしてラケルが生んだのが、ヨセフとベンヤミンです。

4人の妻の中で、ヤコブが最も愛していたのはラケルでした。
しかし、最愛の妻ラケルは、12番目の息子ベンヤミンを生んだ後に死んでしまいました。
なので、残されたラケルから産まれたヨセフとベンヤミンのふたりを、ヤコブは忘れ形見として溺愛したのです。
中でも、ヨセフは先に生まれた兄たちを差し置いて、ヤコブの期待の星でした。
ヤコブは、本来ならば長男が着せられるはずのそでつきの長服を、愛情の印としてヨセフに着せたりもしました。
ヤコブとしては、亡きラケルへの愛情を示すためにも、ヨセフを特別扱いして愛してやりたかったのでしょう。
しかしそういった、ひいきや、偏った愛情は当然のごとく、他の子供たちを傷つけました。彼の愛情は裏目に出て、最愛の息子ヨセフを返って危機に陥れることになるのです。
今日はそんなところから、一緒に聖書をみて考えていきたいと思います。

① 父ヤコブの偏愛
ヤコブからの特別な愛情を注がれて育てられたヨセフは、学級委員タイプの優等生として育っていきました。
確かにヨセフはいい子でしたし、何をやらせてもうまかった。
しかし、他の兄弟たちからは嫌わるんですね。
ヨセフだけがひいきされていたというのもひとつですが、ヨセフの方としても他の兄弟たちを気遣おうという気持ちが育ちませんでした。
37章2節の終わりには、「ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。」と書かれています。
要するに、告げ口をしたんですね。
ですから当然、他の兄弟たちからは「ヨセフの奴、チクリやがって」という事になるのです。
もちろん、悪いことをしたから告げ口されるのですが、ヨセフの配慮も欠けてたのも確かでした。

ただそれだけであれば、他の兄たちから鼻であしらわれる位で済んだのかもしれません。
しかし、ヨセフは父ヤコブからの愛を独占していました。
そしてヤコブが、長男のしるしであるはずのそでつきの長服を着せるようになると、彼らの中の悪意は嫉妬に煽られて、さらに大きくなっていってしまったのです。

そして、事態をさらに悪くする事件が起こりました。
ヨセフが、自分の見た夢を兄弟たちに話したのです。
それは、こんな夢でした。

37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。

たかが夢の話くらいでどうしてムキになる必要があるのでしょう。
私たちには、何だか何を言っているのかさっぱりわからないような事かもしれません。
しかしこの当時、神様は夢を通して語りかけると信じられていたんです。
そしてイスラエルの人々は、昔から夢を解き明かすことにかけて他の民族よりも長けた人々として知られていました。
私たちには何と言うことのないヨセフの夢も、彼らにはそこに暗示されている事がわかりました。
その夢は、兄弟たちがヨセフの前にひれ伏す事になるという内容だったのです。

想像してみてください。
自分が目下だと思っている人が来て、「あなたが私の元にひれ伏す夢を見ました。」と言われたら気分が悪いでしょう?
ヨセフは、ただでさえ兄たちの不評を買っていたのに、この様なことを兄たちに告げたのです。こう言うのをKYと言うんですね。(笑)

それを聞いた兄たちは、もちろん怒りのために頭に血が上りました。
「なんて生意気な奴だ!」「いつか目にもの言わせてやる。」
彼らのヨセフに対する怒りは、嫉妬や苛立ちから、殺意へと次第に変わって行ったのです。

かつては自分が長子の権利を奪い取ろうとしていたヤコブも、驚いてヨセフの言葉を戒めました。

37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

しかし兄弟たちが憎しみを募らせる中で、ヤコブだけはこの事を心に留めていたのです。
ひとつには、ヤコブ自身も、兄の上に立とうとした人だったからでしょう。
何か宿命のようなものを見たのかもしれません。
そして彼自身もまた、夢の中で神様に語られた経験をもつひとりでした。
「これは、本当に神様がそのように示しているのかもしれない。」
ヤコブは、神様が自分にメッセージを告げたときの事を思い出したのではないでしょうか。
しかしヤコブにも、この事を通して彼の息子たちがどのような行動にでるのかまでは、うかがい知ることができなかったのです。

② ねたみに駆られた行動
いつかヨセフを思い知らせてやろうと企んでいた兄弟たちに、チャンスは間もなく訪れました。
羊に草を食ませるために出かけた兄達が戻らないのを心配して、ヤコブが送り出したヨセフが、ひとりで彼らのもとへ来たのです。
辺りは人気のない荒れ地、ここで殺してしまっても誰も真実を知る者はない。

37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

怒りは、ほんの些細なことからでも起こります。
しかし、その怒りが育てば憎しみへと変わり、それはやがてその人に対する殺意へと変わっていくのです。
聖書には、この様に教えられています。

ヤコブ 1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

しかし、怒りは感情です。
私たちは、怒りの感情自体を持たないでいる事はできません。
それを押さえ込もうとすればする程、それはストレスとなって逆に怒りが増してしまうでしょう。
そこで聖書には、この様にも書かれています。

エペソ 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

その怒りをそのままにしておいたら、それは私たちの中で大きくなって、悪魔に付け入る隙を与えてしまいます。
悪魔は私たちの心に囁き、私たちをもっと大きな罪へと私たちを駆り立ててしまうのです。
怒りの感情をそのままにして無視したり、無理やり押し殺そうとするのではなく、それをなるべく早く鎮めることが大切ですね。
感情が納まるまでには時間も必要かもしれませんが、感情に振り回されないように、可能な限り冷静になることが必要なことです。

③ 奴隷として売られるヨセフ
ヨセフの兄弟たちの場合、人数がいたこともマイナス要因のひとつだったでしょう。
ひとりであれば納まる感情も、たくさんいるとエスカレートしていく事が多いからです。
兄弟たちの何人かも、途中でやり過ぎだという事に気がついたのですが、他の兄弟たちの手前、納まりがつかなくなってしまったのでした。

長男のルベンは、他の兄弟たちを説得してヨセフを殺す事に関しては思い留まらせました。
荒野にある、水を貯める穴にヨセフを投げ込ませ、後でそこから救い出してやろうと思ったのです。
しかしルベンがいない間に、兄弟たちはユダの提案にしたがって、通りがかった商人たちにヨセフを売ってしまいました。
そして、彼のお気に入りだった長服を引き裂き、その切れ端に獣の血をつけ、父親にはヨセフが獣に殺されたと報告したのです。

「ヨセフを殺すのはやり過ぎだ。しかし、ヨセフが戻ったらまた父さんに言いつけるだろう。そうしたら今度こそ、とんでもない事になってしまう。」
そんな思いが、彼らの中にはあったのかもしれません。
私たちは、ひとつの罪を犯せば、それを覆い隠すために次の罪を犯し、次々と罪を重ねるようになります。
命は助かったものの、ヨセフは兄弟たちに売られて、遠くエジプトに連れて行かれてしまいました。
ヨセフを失ったヤコブもまた、想像を絶する深い悲しみの中に入ってしまったのです。

「ヨセフがいるから・・・。」「ヨセフさえいなければ・・・。」
ヨセフの兄弟達はいつもそう思い続けてきました。
しかしこの事件の後、彼らは考え続ける事になります。
「ヨセフがいなくなって、本当に俺達は幸せになったのだろうか?」
「ヨセフの命を奪い、父をこれだけ悲しませる事が、本当に俺達のしたかった事なのだろうか?」
その疑問に明確な答えが出せるようになるまでには、もう少し時間を必要としていましたが、私達はやがて驚きをもって彼らの成長を見ていくことになるのです。

一方、ヨセフの想いはどうだったでしょうか?
血のつながった兄達に裏切られ、奴隷として売り渡され、心に深い傷を受けた事でしょう。
あの時、自分の見た夢はどうなったのでしょうか?
兄達が自分の前に身をかがめ、全ての家族が自分の支配下に下るはずではなかったのか?

ヨセフの中にもまた、砕かれなければならない高慢と自我がありました。
神様によって与えられたはずのビジョンが、ヨセフの身の上に現実のもとなるためには、やはりまたしばらくの時間を必要としたのです。

この時の状況だけを見れば、この家族に訪れたのは絶望的な混乱でした。
取り返しのつかない罪を犯し、家族全体が不幸に陥ってしまった。
しかし、神様はこのような家族を見捨てることなく、ともに寄り添い、救いのご計画を着実に進められていきます。
この様な状況からも、ヨセフが見たあの夢は現実のものへと変えられていくのです。
今日の礼拝の冒頭で読んだ聖書箇所をもう一度見てみましょう。

箴言 20:24 人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。

神様の摂理は、私たちの想像を超えてみこころを成就していきます。
私達はその時の状況だけを見て、すべてに絶望してしまう事はいないでしょうか?
病は癒されない、家族の関係は回復しない、この友人は救われない、自分は幸せになれないと決め付けてしまってはいないでしょうか?
もしそれが、神様によって与えられたビジョンであれば、その御心は必ずなるのです。
私たちも、新たなビジョンを戴いて、来週から新たな場所に移ります。
その先には色んな困難も経験するでしょうが、神様の御心は必ず成るのだと言うことを、忘れないでいて欲しいのです。

どんな時にも絶望せず、神様のご計画を信じて生きていくことの素晴らしさを、これからの一ヶ月、ヨセフのシリーズを通して一緒に学んでいきましょう。

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