Iコリント13:1-8 『キリストの弟子として生きる④』 2009/05/24 松田健太郎牧師

Ⅰコリント 13:1~8
13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

わたし達は、愛されています。
皆さんが、どれくらいそれを理解し、実感しているのかはわかりませんが、神様は私たちを愛して下さっています。
私たちが神様に背き、逆らい、罪をもって神様から離れてしまったにも関わらず、神様は私たちを引き戻し、永遠の裁きから救い出すために、ご自分のひとり子を地上に送り出すほどに、私たちを愛してくださっているのです。

御子イエスが、私たちを救うためにご自分の命を投げ出してくださったその十字架の中に、神様の愛の大きさが表されています。
愛である神様から離れた私たちは、これまで愛を知らないでいましたが、十字架による罪の赦しを受け取ったとき、私たちは愛を知ったのです。

愛は人を変えます。
神様との関係を回復した私たちは神様の愛を受けて、変えられているのです。
それは、自分にはわからない変化かもしれません。
もしかしたら、今の自分よりももっと清く正しいように思えるノンクリスチャンの人たちが私たちの周りにもいるかもしれません。
でも、他の人との比較ではなく過去の自分と比べるのなら、やはり私たちは確かな成長と共に、神様の愛によって変えられているのです。

神様の愛によって変えられている私たちの中には、少しずつですが愛が育っています。
そして、愛は私たちにとっての喜びへと変わっていきます。
愛する事は、私たちに科せられた使命です。
しかし、ただ使命だというだけの事ではなく、私たちが自ら求め、追求していけるものなのではないでしょうか。

先週は寛容であること、親切である事、妬んだり高ぶらないという3つの事を話してきましたが、今日も先週に引き続いて、愛とはどのようなものかという事をともに学んでいきましょう。

① 愛は礼儀をまもる

13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

愛のリストの4つ目は、礼儀に反する事をしないという事です。
“親しき仲にも礼儀あり”という言葉があります。
愛や親しさは、時として無遠慮やぶしつけと混同されてしまいがちです。
でも、親しいから、愛しているからという事は、相手に対して何を言ってもいいという事にはならないはずです。

「ごめんね。」と謝ったり、「ありがとう。」とお礼を言う事は、当たり前の礼儀ではないでしょうか。
あるいは、お互いに挨拶をする事も、礼儀としては基本的なことです。
私たちは、「愛があるのだから言葉はいらない」のではなくて、「愛しているからこそ、言葉としてもそれを伝える」べきではないかと思うのです。
そうでなければ、互いの思いというものは伝わりにくいからです。

そうは言っても、礼儀正しすぎる人間関係というのも、どこか距離があって他人行儀なものですから、バランスというものは大切ですね。
礼儀の基準は家庭や環境によってまちまちです。
いい所のお嬢様と下町の魚屋さんとでは、言葉の使い方やから、傷つきやすさまで基準がぜんぜん違うだろうと思います。
だからこそ私たちは、相手がどのような環境で育ってきたのかという事を考えて、適当な距離を持つということも必要です。
そのような気遣いが、互いの間で愛を伝える事になるのはないでしょうか。

② 愛は見返りを求めない
愛のリストの5番目は、見返りを求めないという事です。
愛する事の基本は、与えるという事です。
そこに見返りを求めるようなものではありません。

私たちはついつい、「こんなに愛してやったのに」とか、「私が愛しているのだから、あなたも私のことを愛するべきだ」という事をついつい考えてしまいがちかもしれません。
しかしお返しを求めているのであれば、それは結局自分のためにやっている事であって、人を愛しているのではないのです。
イエス様はこのように言っていますね。

マタイ 5:46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、(愛することに関して)完全でありなさい。

先週もお話した事ですが、自分だけが耐えて、我慢してという事が正しいわけではありません。
「自分が犠牲になれば・・・」と思っていると、必ず無理が生じて長くは愛せなくなってしまうものです。
しかし、私たちが見返りを求めずに人を愛し始めたとき、お返しされる事によって喜びを得るのでなく、愛する事そのものが私たちの喜びとなっていくのを経験するのです。
私たちがいつも、愛される事を喜びとする以上に、愛する事を喜びとする事ができたらいいですね。

③ 愛は怒りを遠ざける
6番目は、怒らないということです。
そうは言っても、怒りの感情は誰にでもあるものです。
何も、その感情を無理やり押さえ込みなさいと言っているのではありません。
感情を押さえ込めば、やがて爆発してしまう事でしょう。
また、怒ることが必要な時だってあります。
正しい事を求める時に起こる、罪への怒りというものがあります。
イエス様も、その様な怒りをあらわにした事がありました。

大切なのは、怒りの感情を持たないという事でも、それを押さえつけるという事でもなく、怒りに全てを任せて行動しないようにするという事です。
聖書にはこのように書かれています。

エペソ 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。

怒りに関わらず、感情はどのようなものにしろ、私たちを行動させるエネルギー源のようなものです。
私たちにとって、感情はモチベーションを作り出すものであり、時には私たちを行動に駆り立てるほど力を持っているのです。
感情が伴わなければ、わたし達はむしろ、何もやる気が起こらないのではないでしょうか。
しかし、怒りという感情は私たちを突き動かす力も強く、同時に危険なものでもあります。
私たちを行動させるベクトルを良い方向に向ける事がとても難しく、自分の力では制御する事が難しいからです。

怒りの感情は、時間が経てば経つほど制御が難しくなりますから、可能な限り早く解決する事です。
イエス様はこの様に話しています。

マタイ 5:23 (だから、)祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、5:24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
5:25 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。
怒りの感情はなるべく早く捨て去り、忘れてしまいましょう。
それが、愛にあふれた人に成長していくコツです。

④ 愛は悪を思わない
愛のリストの7番目は、人の悪を思わないという事です。
それは、人を愛する時、私たちはその人の悪い部分ばかりを見ようとしないという事です。
当たり前の話ですが、私たちが人を好きになる時、その人のいい部分を見て、その人が好きになるのではないでしょうか?
逆に、人を嫌いになる時、私たちは悪い部分を見てその人が嫌いになるのです。

ところが、普通は放っておいても、私たちは誰かと近い関係になればなるほど、その人の悪い部分が見えてくるものです。
皆さんも、自分の家族の事を考えてみたとき、良い部分よりも悪い部分の方を多く挙げることが出来るかもしれません。
それは、私たちの周りの人たちが欠点だらけだということではなく、私たちがいかに欠点ばかりを見ようとしてしまうのかということです。

人の悪い部分を見てその人を愛するのは難しいですが、良い部分を愛する事は簡単です。
だからこそ、欠点にばかり目を留めるのではなく、良い部分を探してその人を愛すればいいのです。

⑤ 愛は真理を喜ぶ
そうは言っても、誰かが罪に陥っているのを、見て見ぬふりをする事が正しいのではありません。
悪に目を留めないという事は、全てをなあなあにしてしまう事ではないのです。
それが、愛についての8番目の言葉で明確にされています。
愛は、不正を喜ばずに真理を喜ぶのです。

神様がわたし達に、罪から離れなさいと言われているのは、罪というものがわたし達を破滅へと導くからです。
罪の行いは、多くの場合魅力的で楽しい事のように感じるものです。
しかし、罪はわたし達の健康や、人格や、人間関係を破壊していくのです。
愛する人が滅びの道を進んでいるのが分かっていて、それを止めないでいる事がどうしてできるでしょうか?
わたし達は、人を傷つけまいとしたり、事を起こさないようにとし過ぎたばかりに、人の罪をそのまま見過ごしてしまいがちです。
しかし、本当にその人のことを思うのであれば、その人が正しい道を歩むように願うものなのではないでしょうか。

愛のリストは、来週もまだ続きます。
愛するというひとつの事をとっても、これだけたくさんの事に気をつけなければならないと考えれば、愛がどうしてこんなにも必要とされ、また愛がどうしてなかなか伝わらないのかがわかるのではないでしょうか。

そして、だからこそ愛は、わたし達の人生を変えるほどに影響力をもっているのです。
まずは何よりも、皆さんの心に愛が満ちますように。
そして、その愛がわたし達の周りの人々に伝わっていきますように。

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