ヨハネ4:7-18 『夫をここに呼んできなさい』 2009/09/06 松田健太郎牧師

ヨハネ 4:7~18
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
4:8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
4:9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
4:11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
4:12 あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」

先週は、ニコデモとイエス様との出会いを通して学びました。
ニコデモは信仰のエリート、指導者的な立場にあった人でしたね。
では、そういう厳しい信仰心をもったエリートしかイエス様と出会う事ができないのかと言えば、もちろんそんな事はありません。
今日は、イエス様がサマリヤという地域を通りかかった時の出来事です。

このサマリヤに住む人々はイスラエルからは疎外され、ユダヤ人とは一切の関係を絶っていました。
サマリヤ人は、元々はユダヤ人たちと同じイスラエルに属していた人々だったのですが、捕囚時代に他の民族と混じってしまい、イスラエル人としての純粋さを失ってしまったからです。
ユダヤ人にとっては、サマリヤ人は汚れた人々でした。
サマリヤ人からパンを買って食べるのは、汚れた食べ物である豚を食べるのと同じだと言われたほどですから、よほどのことです。
神様の導きによって、ユダヤ人にとってはそんな場所だったサマリヤに、イエス様はわざわざ立ち寄ったんですね。

旅の疲れにへたり込み、自分で水を汲む元気もなく、井戸の傍らに座り込むイエス様のもとにひとりの女性がやってきます。
そこでの出会いを通して、一体何が起こるのでしょうか。

① サマリヤの女

ヨハネ 4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。

イエス様とサマリヤの女が出会ったのは、6時ごろであったと書かれています。
6時というのはユダヤ人の時間帯で、わたし達の時間に置き換えると正午になります。
日差しが強く、気温が高い中東でのこと、普通水汲みというのは、比較的涼しい早朝か、日が沈む前の夕方頃に行くのが習慣です。
しかしこの女性は、わざわざ人が来ない正午の時間を選んで、この井戸に来たのです。
なぜでしょうか?
それは、彼女が他の人たちと会いたくなかったから。
人目を避けていたからです。

井戸端会議という言葉がありますが、昔から女性が集まるところ、必ず立ち話が始まってしまいますよね。
国も時代も違っても、女性が集まれば井戸端会議が始まります。
しかしそこは、余計なお節介だったり、噂話もすぐに広がってしまう場所でもあります。
心の中に痛みがあったり、自信がなかったり、自分自身の失敗という重荷がある人にとっては、このような人の集まりの中に入りたくないというのも無理もない話しでしょう。

この女性にとって傷となっていたもの、それは5回に及ぶ結婚の失敗と、同棲している男性の存在でした。
どういう理由があって、そうなってしまったのかはわかりません。
彼女だけが悪いわけでもないでしょう。
しかし現代ならまだしも、貞節というものがとても大切にされていた時代、彼女のような境遇はもう普通の女性としては見てもらえないくらい恥ずかしい状況でした。
近所の人たちに会えば、必ずその辺の話題も出てくるし、根掘り葉掘り聞かれるのも煩わしい。
そんな思いから、彼女は自然に人との接触を避けるようになっていたのです。

さて、誰にも会いたくないと思ってその時間を選んで来て見れば、そこには見知らぬ男性の姿がありました。
しかもそれは、サマリヤ人とは犬猿の関係にあるユダヤ人の男性です。
それが、傷ついたこのサマリヤ人の女性と、イエス様との出会いだったのです。

② キリストを知っていたら
このサマリヤの女性に、イエス様は「わたしに水を飲ませてください。」と訊ねました。
それに対するサマリヤの女の言葉は、激しいものでした。
聖書ではきれいな言葉に訳されていますけど、本来はもっと乱暴な言い方です。
「あなたはユダヤ人なのにサマリヤの女であるわたしに水をくれと言うんですか? ものの頼み方が違うんじゃないですか?」という感じですね。
イエス様はこの様に答えました。

4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

「あなたが神の賜物を知り・・・、わたしが何者であるかを知っていたら・・・」と、イエス様は“知っていたら”という言葉を繰り返して強調します。
この言葉が表しているとおり、わたし達も本当にイエス様が誰であるかを知っていたら、わたし達の人生が変わるのです。
キリストの愛と、キリストの恵みを知っていたら、その人の生き方は変わるのです。
知っていないがために、その人はキリストに対してぶしつけでつっけんどんな言い方をしてしまうんですね。
皆さん、キリストを知ることがわたし達にとって最大の喜びであると同時に、キリストを知らない事は、わたし達にとってどれ程の損失でしょうか?

③ ヤコブの井戸
このサマリヤの女性は、この時点ではイエス様が誰かを知らないですから、遠慮なしに畳み掛けます。

4:11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
4:12 あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」

この言葉もきれいな言葉で訳されていますが、「汲むものも持たないで、そんなありがたい水をどこから汲んでくるのかしら? この井戸はありがたいヤコブの井戸なのよ? あなたが何ほどの者だっていうの?」くらいのものです。
傷ついて、自己防衛的になっている人は時としてとても攻撃的ですよね。
誰もいないはずの時間を選んで来ているのにイエス様と出会ってしまったのですから、尚更むりもないのかもしれません。

さて、先ほども言いましたが、このサマリヤの女性とイエス様が出会ったこの井戸は、ヤコブの井戸と呼ばれていました。
ヤコブと言うのは、創世記に出てきたイサクのふたり目の息子のヤコブです。
後に彼はイスラエルという名前になり、イスラエル民族の直接の父となりました。
イスラエルから切り離されて祝福を失ったように感じられるサマリヤ人たちにとっては、残された祝福の希望、宝のようなものだった事でしょう。

でもそれは、本来あるべき信仰の形からは遠くはなれた、偶像のようなものです。
信仰というよりは、日本人の信心に近いものでしょう。
そこから得られる水は、どんなにありがたがった所でただの水以上のものではなく、霊的な不足を満たすようなものでは全くありません。
イワシの頭は人を救わないのです。

そこでイエス様は、この様に言いました。

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

キリスト以外のものが満足させてくれるのは、しばらくの間だけです。
他のものを求めてはいけないという事ではありませんが、他のものがわたし達を完全に満たす事はないのです。
しかしイエス様が与える水を飲むものは誰でも、決して心が渇く事がありません。
イエス様に与えられた水は、私たちの中で泉となり、そこから永遠の命への水が湧き出てわたし達の心を満たすのです。
わたし達の心には、この命の水が必要です。

④ 夫を呼んできなさい
さて、イエス様の言っている事を理解できずに、便利な湧き水か何かを期待したサマリヤの女性に、イエス様はいよいよ核心にせまる言葉をぶつけます。

4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」

彼女はこの事を話したくないがために、人目を避けて真昼間から水を汲みに来ていました。
しかし、彼女にとってもっとも聞かれたくない、嫌な質問を、キリストはおっしゃられたのです。

4:17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」

イエス様のその言葉を聞いたとき、サマリヤの女性は初めて、イエス様が特別なお方だということを理解して、その力を認めました。
そして彼女は、これまで会う事を避けていた町の人々の中に入ってゆき、「この人こそキリストではないでしょうか?」とイエス様の事を伝え、それによって多くの人たちが救いを受けたる事になったのです。

この時、イエス様が彼女に「夫を連れてきなさい。」と言ったこと。
それは、わたし達の一番人に見せたくないところを、そのまま引き連れてきなさいという事です。
「これは人に言いたくない。」
「これは人に見せられない。」
「この部分は教会にいても言いたくない。」という事を、そのまま私の下に持ってきなさいという事なのです。
「あなたの一番痛んでいるところを今日、持ってきなさい。」
「あなたの一番深い悩みを、私のところに持ってきなさい。」と、主はわたし達におっしゃるのです。
この人にとっては、夫の事が誰にも言いたくない事でしたが、誰もがそのような秘密としている部分を、自分の中にもっているものです。

僕にそれを告げる必要はありません。
教会の誰に言う必要もありません。
それを主の前に、明らかにして欲しいのです。
その時主はその悩みをそのままの形で受け取り、わたし達を癒してくださいます。
わたし達を、命の水で満たしてくださるのです。

次の聖書箇所を読んで、これから静まって主の前に、自分の中にある隠された痛み、傷、サマリヤの女にとっての夫の話し当たる事を、明らかにする祈りをしたいと思います。

エペソ 5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。

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