ルカ15:11-32 『Missing Person』 2009/09/13 松田健太郎牧師

ルカ 15:11~32
15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

うちの娘はとても活発な子で、お店に入ると勝手にどこかに行ってしまったりします。
先日、大きなホームセンターに行ったときにも迷子になり、しばらく探し回ることになって、少し心配になりました。
でも10分くらい探していると、遠くから泣き声が聞こえてきて見つけることができたんですね。
ある時には、どれだけ探しても見つからないのでかなり慌てましたが、家内と一緒にいて、「パパどこに行ってたの?」とまるで僕が迷子だったように言われたこともありました。
いずれにしもて、子供の迷子はとても心配なものですね。

実は神様も、迷子になったわたし達の事を心配しています。
わたし達も、罪によって神様から離れ、神様の前に迷子となったのです。
だから神様は、わたし達を探すためにこの地上に来てくださいました。
主はわたし達に、戻ってきてほしいと願っているからです。

でも、多くの人はそれを信じないんです。
すでにクリスチャンになった人も、どこかでそれを信じられないでいたりします。
自分は相応しくないとか、自分はともかくあの人は違うだろうと勝手に考えるのです。
皆さんは、神様があなたを探していると信じますか?
わたし達の家族を、友人を、あのきつい性格の会社の上司を、性格の悪いあの近所のおばさんを、わたしを酷い目に合わせたあの人の事をも神様はご自分の元に導きたいと考えているのです。

しかし、素晴らしい性格の持ち主や、優れた能力をもった人ならまだしも、何の役にも立ちそうにない私や、むしろマイナスになりそうなあんな人やこんな人を探し、ご自分へと導かれるのはなぜなのでしょうか?
イエス様はした3つのたとえ話を通して、その事を教えてくれているのです。

① 99匹の羊
第一の理由は、わたし達が、あるいはその人が迷子になっているからです。
当たり前の事ですが、迷子になっているのでなければ探す必要はありません。
迷子になっていないなら、神様がご自分の元にわたし達を引き戻す必要などないのです。

かつて人がエデンの園と呼ばれるところにいた頃、人はいつでも神様と共にいました。
神様が愛するために人は作られ、神様を愛するために、人は生きていました。
しかし人が神様ではなく、自分だけを見るようになったとき、人は神様から離れ、自分自身を神にしようとしました。
それが罪でです。
罪という壁があるので、わたし達は生まれた時から神様を知りません。
罪があるので、わたし達は神様の愛を理解できません。
そして自分勝手な神様像を作って、真の神様からはますます離れてしまうのです。

イエス様は言いました。

ルカ 15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

わたし達だったら本当は、一匹くらいいなくなってしまっても仕方がないと思うかもしれません。
運が悪かったんだとか、ちゃんとついて来なかったあいつが悪いのだと思ってしまうかもしれません。
でも神様は、他の99匹を置いておいてでも、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩くお方です。
神様はわたし達を連れ戻すまで、決してあきらめない。
そして見つけたら、大喜びで抱きかかえ、連れ帰ってくださるのです。

神様が、そのような思いであなたを探しているのだと、知っていたでしょうか。
あるいは、わたし達は神様が探している迷子の一匹がどこにいるのか、知っているのではないでしょうか?
わたし達の身の回りには、神様からはぐれたままの小羊がいるのではありませんか。
わたし達はいなくなったその羊を、主の元に連れて行く事もできるはずです。

② 10枚セットの銀貨
神様が、迷子になったわたし達をしつこいまでに探し続ける第2の理由は、わたし達抜きには神様の御業が完成しないからです。

わたし達は、イエス様を頭とする神様の体の一部です。
わたし達ひとりひとりには使命があり、賜物が与えられています。
そして“わたし”という個人は他にはどこにもいない、決して他の誰かと取り替える事ができない存在なのです。
わたし達自身が、他の人の能力と自分の力を見比べて、どれだけ見劣りするとか、自分なんていなくても同じだと思っていたとしても、わたしという存在の代わりはいません。

一方で、神様から離れて、自分が神となってしまっているわたし達には、神様が与えてくださった使命を果たす事も、賜物を発揮する事もできないのも確かなのです。

イエス様は、10枚の銀貨の話をしています。

ルカ 15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

イエス様はただ、10分の1の話をしているわけではありません。
この10枚の銀貨とは、10枚で1セットとなっているものなのです。
この中の一枚でも欠けてしまったら、この10枚の銀貨は本来の価値をまったく失ってしまいます。
だから、たとえ話で話されているこの女の人は、貴重な油を使ってでもあかりをつけ、見つけるまで徹底的に探し出そうとしているのです。

教会というのは建物の事を指すのではありませんよ、人の集まりですとよく言いますが、10枚の銀貨が表しているのは、主の体であるところの教会です。
わたし達ひとりひとりでも、主は価値のある尊い存在として見て下さいますが、わたし達を含めたひとつのセット完成した時には、それは素晴らしい力を発揮するものなのです。

しかし、皆さんの内ひとりでも欠けていたら、教会は完成しません。
神様がわたし達を通してなそうとしている御業を発揮する事もできず、その力は半減してしまいます。
皆さんは自分の意思で今日この教会に来たと思っているかもしれませんが、そうではありません。
主が、皆さんをここの呼ばれたのです。
なぜなら皆さんは、この教会に与えられた使命を果たすために必要な存在だからです。

皆さんの周りにも、主の体に欠けている部分の方がいらっしゃるはずです。
その方が主の元に帰って全てのピースが完成する事を、神様は心待ちにしておられます。
わたし達も心をひとつにして、その方々のために祈っていかなければなりません。

③ 放蕩息子の帰還
迷子になったわたし達を神様が捜し求める第3の理由は、神様がわたし達を息子として、娘として愛しているからです。

わたし達は、神様の前にただ迷子になってしまっているだけではありません。
わたし達が神様を裏切り、反逆し、神様を殺して自分が神になろうとしてきたのです。
言ってみれば、わたし達は神様に敵対するものだったのです。

皆さんは、人から裏切られた経験があるでしょうか?
あるとしたら、自分を裏切ったその人をもう一度自分の仲間として、家族として、迎え入れようと思うことはできるでしょうか?
たとえわたし達にはそう思えなくても、神様はわたし達の罪を赦し、何事もなかったように、わたし達を息子として、娘として迎え入れようとして下さっています。

放蕩息子はまだ生きている父から遺産を奪い取りました。
そして自分の快楽のために、その遺産を使い果たしてしまったのです。
しかし、ボロボロになって帰って来た放蕩息子を、父が何事もなかったように暖かく迎え入れました。
同じように、こんなわたし達を神様は迎え入れ、大きな愛で満たして下さるのです。
皆さんはその事を信じるでしょうか?

わたし達の周りには、まだ神様の元に戻る事ができていないたくさんの人たちがいます。
その多くが、神様に招かれ、呼ばれている事に気がつかないまま、滅びに至る道を歩んでいます。
霊的に神様から離れてしまった罪びとであるわたし達には、神様の声はなかなか届かないものなのです。

そのまま放っておけば、もしかしたらずっと神様の声に気づかないまま滅びの道を進んでしまうかもしれないひとりひとり。
しかし、すでに主の元に戻って聖霊が与えられたわたし達には、そのままでは聞こえない神様の声となる事ができます。
そしてわたし達は、主の足となってその人たちと共に歩み、主の腕となってその人たちに寄り添い、包み込む事ができます。
主の体の一部として、わたし達は神様の愛を伝える事ができるのです。
そのための勇気と信仰が、皆さんの心に確かなものとなりますように。

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