マタイ2:1-16 『Joy to the world』 2009/12/13 松田健太郎牧師

『 Joy to the World! 』
マタイ2:1~16
2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。
2:16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。

イエス・キリストは、約2000年前にイスラエルのベツレヘムという町に生まれました。
ひっそりと、世界中のほとんどの人はその日、その時、地上の王であるキリストが産まれたことなど知る事もなく、家畜小屋で産まれ、飼い葉おけに寝かされたのです。

その事を、不思議な方法で知った人たちがいました。
彼らはイスラエル人ですらなく、異国の博士たちでしたが、星の動きによって世界の王の誕生を知ったのです。
現在一般的に信じられている説によれば、彼らはペルシア人の占星術師達だったようです。
彼らは星を観察し、それによってこの世界の秘密を知ろうとしていた人たちでしたが、ある時夜空に不思議に輝く星を見つけました。
彼らが、長年の研究の中で始めてみるような、またどんな文献にも載っていないような星です。
彼らには、この星の元に生まれる子供は大変な運命を背負った子供だということがわかりました。
そして、その子供に会いに行って、贈り物をしようと思い立ったのです。
こうして彼らは、遠路はるばるペルシアからイスラエルまでを旅して、この世界の真の王に、会いに来たのです。

ここで少し、皆さんにも考えていただきたいと思います。
彼らが目にした星は、誰にでも見る事ができた星でした。
多くの人々がこの星を見上げた事もあったでしょう。
しかし、この星のサインに気づき、そこに特別な意味を見出したのは、この博士たちだけだったのです。

わたし達も日々、様々なものを目にします。
そしてその中には、様々なサインやメッセージが隠されているのではないかと思うのです。
しかし、それを見出す事ができる人は、ごくわずかだけです。
わたし達はどうか、そのサインを見落としてしまうことなく、本当に大切な出会いをする事ができますように。
また、今日のメッセージが、皆さんにとって新たな発見に繋がる事を心から祈ります。

① ヘロデ王の幼児虐殺事件
さて、かなりの長い道のりを旅して、東方の博士たちはようやくイスラエルに着きました。
そして、ひとまずはこの国の王がその事を知っているのではないかと思って、当時の王様であるヘロデ王の所におもむいたのです。

マタイ 2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

しかし、ヘロデ王に新しい王の事を聞いた事は、間違いでした。

2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
そして恐れ惑ったヘロデ王は、ベツレヘムで産まれた2歳以下の赤ん坊を全て殺させるという暴挙に走ります。

ベツレヘムという街に、2歳以下の子供がどれくらいいたのかはわかりませんが、ヘロデ王がこれまで殺してきた中ではほんのわずかな人数だったでしょう。
しかし、産まれて間もない子供を殺させるのは、あまりに残虐で非道な出来事でした。
彼はどうして、このような残酷な事を強行したのでしょうか?

ひと言で言えば、ヘロデ王は王という自分の地位を失う事が怖かったのです。
そのために神様によって定められた真の王を殺してでも、自分の立場、自分の力を維持しようとしたわけです。
ヘロデはこれまでも、王位を狙っているのではないかと思われる家族をすべて殺してきました。
血を分けた家族よりも、幼児殺しという大罪を犯して悪名を背負う事よりも、自分が王であるというその地位を失う事を恐れたのです。

② 心の王座に座られる主
イエス様が十字架に掛けられる裁判の場で、イエス様はローマの総督ピラトとこんな会話をしています。

ヨハネ 18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。

イエス様は、確かに王としてこの世界に来られ、王としての自覚も持っていました。
でも、人々は勘違いをしていたのです。
イエス様は王は王でも、この地上のどの国の王様でもありません。
わたし達の心の王座に座られる方なのです。

キャンパス・クルセード・フォー・クライストという団体が使っている図がわかりやすいので、それを見ながら考えてみましょう。

生まれながらのわたし達
生まれながらのわたし達は、このような状態にあります。
わたし達の周りには様々な問題や、出来事、想いがありますが、自分が中心となっている間はすべてに調和がなく、目的もなく、混乱した状態にあります。
神様を心の外に追い出して、自分が自分の世界の王となろうとしているのです。

 

肉的クリスチャン
また、クリスチャンとしてキリストを心の内にお迎えしても、キリストを追いやって自分が人生の支配をしようとすると、生まれながらの状態と何も変わらない状態になってしまいます。

キリストを王に迎えた状態
しかし、自分がその王座から退き、神様に全てを委ねて人生を始める時、わたし達の周りのものは全て意味と目的を持ち始め、人生の中に調和が生まれます。
この世界の創造主は神様であり、全てを支配しているのも主だからです。

しかしそれは、信仰によって初めてもたらされるものであって、多くの人はその事を理解する事がありません。

Iコリント 2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

人々がイエス・キリストを王として迎える事を拒否した結果、それが十字架だったのです。

③ キリストを王座に迎える
ヘロデ王は、真の王の訪れに恐れをいだいて、子供の内に殺そうとしました。
わたし達もまた、イエス様を救い主として受け入れる時に、同じ恐れを抱く事があります。
これまでの人生を“自分の力で切り開き、生きてきたのだ”という思いが強い人であればあるほど、イエス様にすべてを委ねるという事に抵抗を感じるのではないでしょうか。
自分が退いてキリストを王座に迎えるという事は、自分の支配権を放棄し、自分のコントロールを失う事を意味しているからです。

イエス様を十字架に掛けたのは誰でしょうか?
実際に刑を執行したローマ帝国という事はできるでしょう。
それを誘導したユダヤ人たちが、イエス様を十字架に掛けたのだとも言えるでしょう。
しかし、自分が自分の王座にしがみ付いて、その座をイエス様に譲ろうとしないわたし達もまた、イエス様を十字架にかけたひとりなのです。

神様の支配は、わたし達を好き勝手に操つるようなマインドコントロール的な支配ではありません。
わたし達は神様の愛の支配の中で、喜びをもって仕える事ができるのです。

イエス・キリストを心の王として生きる生き方は、幸せに満ちています。
そこには愛と喜びがあり、心には平安と余裕があります。
人間関係には、優しさと思いやりが生まれ、その行動には善意が伴います。
神様によって目的をもって創造されたわたし達は、自分の支配権を神様にお返しした時に初めて、本来の自分として生きる事ができるようになるのです。

クリスマスの歌の多くは、この世の王であるイエス様が来た事を喜ぶ歌です。
この同じ歌を、世界中のどれだけの人たちが耳にし、口ずさんでいる事でしょう。
しかし、そこから真理を読み取る人は少ないのです。
わたし達もまた、クリスマスのたびにこの歌を聴き、歌いながら、しかしイエス様を本当の王としてお迎えする事は拒み続けているのではないでしょうか?

イエス様が言われます。
「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
今こそ、言葉だけでなく、心からイエス様を自分自身の王として迎えるときです。
このクリスマスが、皆さんにとって特別な意味を持つクリスマスとなりますように。

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