コロサイ1:1-12 『ゴスペル中心に生きる教会』 2010/01/03 松田健太郎牧師

コロサイ1:1~12
1:1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、
1:2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
1:4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。
1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
1:7 これはあなたがたが私たちと同じしもべである愛するエパフラスから学んだとおりのものです。彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人であって、
1:8 私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。
1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。
1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、
1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

何度かお話してきたことだと思いますが、日本のクリスチャンの人口は、宣教されたから100年、人口の1%未満という状況から変わっていません。
少なくともここ20年、30年というスパンで見る限りは、クリスチャンの数自体は増えていると思います。
しかし、人口増加率に比べるとまだ追いついていないという事なんですね。

しかし問題はそれだけではありません。
統計的に見ると、洗礼を受けた5人の内、実は4人が教会を離れていくという事になるのだそうです。
教会から離れた人たちが信仰も失ってしまうかというと、必ずしもそういうわけではありません。
昔教会に行っていたという人たちを、僕は何人か知っていますが、そのほとんどがイエス様を大好きだし、信仰も失った事はありません。

信仰を失わないのに教会から離れていくのは、これは教会に躓くからです。
その多くの場合は、教会の中での人間関係にトラブルがあって、教会から離れていくのだと思います。
これは、この教会でも同じことですし、日本全国の教会に関して、同じ事が言えます。

次に多いのは、教会に魅力を感じる事ができなくなることにあります。
教会に行って、つまらない説教に耳を傾けているよりも、友達と遊びに行くか、家でテレビでも見ていた方が楽だし、楽しい。

わたし達の教会も、その現実と戦っています。
せっかくイエス様を知って、神様からの救いを受けて、新しい人生が始まったのに、これ以上学ぶ事ができないというのでは残念じゃないですか。
教会に行って他の兄弟姉妹と共に喜びを分かち合う事ができないのでは、もったいないではないですか。
この課題は、何も牧師にだけ課されているものではないですよ。
皆さんも一緒に、この問題に立ち向かっていただきたいのです。

① 今年のビジョン
皆さんは、今年の抱負などを決めたりはしましたか?
先日の新年礼拝では、お互いの抱負を分かち合い、それについて祈る時間をもったりしました。
わたし達クリスチャンにとって、年を越えることに宗教的な意味はありませんが、わたし達の生活の中で、ひとつの節目になる事は確かですね。
わたし達も、今年の目標とか、ビジョンを決めてやっていくのもいい事だと思います。
この一年の教会のビジョンがはっきりしていれば、色々分かり易いのではないでしょうか。
そうして少しずつ、あるべき教会の形へと成長していけばいいわけですね。

わたし達、教会としてのビジョンは、昨年末からすでに動き始めている事ではありますが、教会に集う全ての人が福音に生きるようになるということだと思います。
教会に通っていると、わたし達は“福音”ということばはよく耳にするんですね。
でも、意外とそのことばの意味がわかっていなかったりします。
福音というのは、英語ではGospelともいいますが、Good News、つまり良い知らせの訪れというのが福音ということばの意味です。

福音は、簡単に言うとこういう事ですね。
神様が折角わたし達を作ってくれたのに、わたし達は神様に背を向けて罪人となってしまった。
そんなわたし達のために、神様は御子イエス・キリストを送ってくださり、その十字架によってわたし達の罪を代わりに支払って下さった。
それを信じる全ての人は、救いを受ける事ができる、というのが福音です。

わたし達の教会も、プロテスタント教会の中で“福音主義”というカテゴリーに当てはまる教会ですが、福音主義の教会の多くが“福音を伝える”事に重きを置き、福音を伝える伝道を積極的に行っています。

でも僕は、ある事に気がついたのです。
僕はこの福音について聞き、学び、そしてクリスチャンになりました。
でも、いつの間にかそれは知識となり、そして人に伝えるためのものとなり、自分自身はその福音の中に生きることを忘れていたのではないか。
自分はその事を人に語りながら、本当にその事を信じて生きていないのではないかと思い始めたのです。

例えば、救いというものは、神様から恵みとして与えられたものなのに、自分が救いを勝ち取ろうと生きてはいないだろうか?
全ての人が罪人であり、自分自身も罪人のひとりでしかないのに、自分は正しい人であるかのように思って人を裁いてはいなかっただろうか?
自分は神様でない事がわかっているはずなのに、神様の業を自分の力で成し遂げようと思ってはいなかっただろうか?

その事に気がついてから、去年の年末は、いろいろな視点から、この福音をお話してきたつもりです。
この問題は、恐らく僕だけの事ではなく、全てのクリスチャンに起こりうる事だと思ったからです。
福音は、ノンクリスチャンにだけ必要なものではなく、クリスチャンにこそ必要なメッセージだと感じたのです。

教会の今年のビジョンは、福音中心の教会になる事です。
それが、この教会に躓く人たちを減らし、多くの人が集まる教会にしていくと、僕は信じています。

② 福音に生きるわたし達が目撃するもの
少し想像して見ましょう。
もし、全ての人が福音に生きる教会となったら、この教会はどんな風になると思いますか?

わたし達が福音に生きるという事は、自分で救いを勝ち取ろうとする必要がなくなるという事です。
自分の成すべき事は成し、しかし委ねるべきところは神様に委ねると、力を抜いて生きる事ができるようになります。
余計な力が入らなければ、人にも自分にも優しくなる余裕ができるものです。

また、わたし達が福音に生きるという事は、自分が罪人である事を認めて謙遜になるという事でもあります。
自分を必要以上に高くして、人を批判したり、悪口を言う事もなくなっていくでしょう。

そして、福音に生きるという事は、わたし達が自分だけの力で生きていく事が不可能だという事を心から理解して、神様との交わりをいつでも深めるという事でもあります。
神様との時間を多く過ごすからこそ、神様からの愛も豊かに受ける事ができます。
わたし達は神様からの愛をいっぱいに受けるので、他の人から愛を求めるのではなく、他の人に愛を与える事ができるようになるのです。

福音に生きる時、わたし達の中から自然に出てくるのは、神様に注がれた愛です。
ムリすることなく、愛が溢れてきます。
愛に溢れたコミュニティは、職場でも、学校でも、もしかしたら家庭の中にも見つける事ができないほど、魅力のある場所となるのではないでしょうか?

ノンクリスチャンの家族も、変わっていくわたし達を見れば、教会に行く事を反対するなんて事もなくなるのではないでしょうか?
それどころか、自分もこんな風になりたいと思って、教会についてくるようになるかもしれません。
わたし達があの手この手を使ってどう伝道しようかと考えなくても、わたし達の周りの人たちが教会に魅力を感じて集まってきます。
わたし達は、教会を大きくしようなんて考えなくても、そんな教会であれば自然に人が増えていくようになるのです。

イエス様の周りには、いつでもたくさんの人たちが集まっていました。
イエス様が十字架にかけられ、天に昇った後には、使徒たちの周りにたくさんの人たちが集まっていました。
数が多ければ良いと言うものではありません。
でも、わたし達がイエス様に似たものとなっていくなら、わたし達は魅力があり、人が集まるような人となり、教会となっていくということだと思います。

これから一年をかけて、福音中心の教会になるためにどうしたらいいか、福音に生きるためにはどうしたらいいかをお話していきたいと思います。
今日はその方針を指し示すだけにしておきましょう。

1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。
1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、
1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

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