マタイ6:19-21 『 たとえ話3~宝は天に 』 2010/05/30 松田健太郎牧師

マタイ 6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

『ある人が夢を見ました。彼は天国に行き、ペテロに天国での住まいを案内されました。
最初に見えてきた家を指差して、「あれですか?」と聞きますが、ペテロは「違う」と答えました。
次に、もっと大きな屋敷が見えてきましたが、そこも素通りしました。
さらに大きなお城のような家も見えてきましたが、そこでもありませんでした。
男が、これでもないなんて、どんな素晴らしい場所に案内されるのだろうとワクワクしていると、やがて彼らは川辺につきました。
そしてペテロは、彼を橋の下に案内し、そこにあった犬小屋のようなもの指差しました。
男は驚いて言いました。「まさか、これがそうですか?」
ペテロは残念そうな顔をして、「そうです。」と答えました。
男は泣きながらペテロに訴えました。「せっかく天国に来る事ができたのに、住む家がこんな所だなんて、あまりにひどいではありませんか?」
ペテロは言いました。「非常に残念です。しかしわたし達のこの天国の家は、生きている間、教会に献金した額によって積み立てられて作られているのです。」
そこで男は、ハッと目を覚ました。
それからその人は、一生懸命に献金をするようになったという事です。』

この話は、誰かが笑い話として作った冗談です。
これを笑って聞けると良いのですが、「そうだったのか」と言ってこの話を真に受けてしまうと、おかしなことになってきます。
確かに献金額は増えて教会は潤うかもしれませんが、福音とは違うものが教会に広がっていくことになってしまうのです。

先週も少しふれた事ですが、“天に宝を蓄える”という言い方があります。
僕はこの言葉が、多くの人たちの中で、福音的ではない使われ方をしているように思えて仕方がないのです。
そこで今日は、短いたとえ話ですがこの“天に宝を蓄える”という事について、一緒に考えてきたいと思います。

① 誰の栄光のため?
イエス様はある時、とてもまじめで信仰的な、お金持ちの青年と出会った時、このように言いました。

マルコ 10:21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

また別の時にも、弟子たちの前でこのように言いました。

ルカ 12:33 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。

そこで多くのクリスチャンは、地上で利益を貯める事を我慢して、善行を積み、天に宝を蓄えようとします。
多くの教会でも、そのように教えられるのです。

わたし達が死後、行いに従ってさばきを受けることは確かです。
わたし達クリスチャンも、終わりの時がきたら、生前何をやっていたかによって評価を受ける事になります。
でも、神様の前に点数稼ぎをしなさいと言うような事を、イエス様はわたし達に教えているのでしょうか?
そもそも、自分が点数を稼ぎ、ご褒美をもらう目的でやる良い行いは、本当に神様の御心に適ったものなのでしょうか?

テレビのCMで、このようなのがあるのをご存知でしょうか?
http://www.gaitameonline.com/cmmedia/002.jsp
「ダイエット中のあなたのために、そのケーキを食べてあげる。」という彼女たちは、本当に“あなたのため”に言っているのかということですね。
わたし達が、天に宝を蓄える事を動機として良い行いをする時、それは誰のためにやっているのでしょう。
それは、神様のためではなく、自分のためですよね。

ひとつ思い出していただきたいお話があります。
それは、神様がわたし達の外側ではなく、心の内をご覧になる方だという事です。
わたし達の能力は乏しくて、神様のためにできる事は本当に小っぽけです。
しかし神様は、わたし達が何をしたかという表面的な事ではなく、どのような心でしたかといその心を見て喜ばれるという話をしました。
逆に言えば、わたし達の行いそれ自体がどれほど素晴らしいものだったとしても、それが神様のためではなく自分のためにやっている事なのであれば、神様はそれを喜ばれないという事です。
わたし達が神様のためにするのではなく、自分のためにするのなら、それは神様の栄光のためではなく、自分の栄光のためにしている事なのです。

② 宝とは心にあるもの
では、イエス様はこのたとえ話の中で何を言おうとしているのでしょうか?
天に宝をたくわえなさいとは、いったいどういう意味なのでしょうか?
その答えのヒントは、21節にあります。

6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

以前、「芸術は爆発だ」で有名な、故岡本太郎さんの描いた絵が、外国のゴミ置き場の中から見つかった事がありました。
どんなに高価なものであったとしても、そこに価値を見出すことができなければただのがらくたです。
宝とは、わたし達の心があるところ。
わたし達が、これこそ必要だと思っているもの。
わたし達を、心から幸せにするもの。
わたし達がこれ以上ないほどに価値を見出しているものの事を指しています。

イエス様は、お金を天国に貯めなさいと言ったのではありません。
イエス様は、良い行いをして天国で報酬がもらえるようにしなさいと言ったのでもありません。
天にあるものに心を留めなさい。
天にあるものを、あなたの宝としなさいと言ったのです。

天にあるわたし達の宝、それは“神様の愛”です。
神様は、生きる目的を失っていたわたし達に、目的を与えて下さいました。
神様は、死んでいたわたし達の魂に、命を与えて下さいました。
神様は、渇いていたわたし達の心を、潤して下さいました。
神様は、罪の中に歩む人生に終止符を打ち、新しい道を歩む事を教えて下さいました。
神様は、価値のない私たちを、尊いものとして下さいました。
神様は、滅びるはずだったわたし達の魂を、命を掛けて救ってくださいました。
神様は、尊いそのひとり子を、わたし達のために捧げて下さいました。
神様が恵みによってわたし達に与えて下さった全てのもの、それがわたし達の宝なのです。

一方、もしわたし達が地上のものに目を向けるなら、わたし達は自分に足りないものばかりを見てしまうでしょう。
もっとお金があったらいいのに。
もっと素敵な家に住む事ができたらいいのに。
もっと異性にもてたらいいのに。
もっと幸せな人生を送れたらいいのに・・・。

お金は価値が変わるものです。
美貌や健康は、やがて失われるものです。
知識はその答えが変わっていくものです。
しかし、わたし達が地上のものではなく、天に目を向け、天の宝を数え上げるなら、わたし達の心には感謝と喜びが満ちあふれます。
今生きている事、それ自体が喜びである事にわたし達は気づいていく事でしょう。
この小さな命に与えられた、勿体ないほどの恵み。
この地上のどんなものも、神の愛という宝の前には色あせてしまう。
天の宝とは、そのようなものなのではないでしょうか?

③ 宝を天にたくわえた時
しかし、わたし達の心はそのような本当の宝ではなく、目に見えるきれいなものや、今の必要を満たすものに容易く惑わされてしまいます。
そこに、わたし達の罪の深さがあるのです。

マタイ 6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

わたし達は、地上の宝に目を囚われ続ける限り、天の宝の尊さを知ることができません。
わたし達はどちらかに仕えなければならないのです。

わたし達の宝は、地上にはなく、天にあります。
地上のものに目を囚われてしまうのではなく、天に宝を積みなさい。
そのように、イエス様は教えてくれているのです。

イエス様は、お金持ちの青年に、『帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。」』と言いました。
もし、善い行いをする事が天に宝を積む事だったなら、お金持ちだからこそできた善行は他にもたくさんあった事でしょう。
しかしイエス様は、彼に「お金をすべて貧しい人たちに施しなさい。」と言ったのです。
別に、全てのクリスチャンは財産を手放さなければならないという事ではありません。
イエス様は、この青年がお金を宝としている事を見抜いたから、こう言ったのです。
そして残念なことに、この青年は天に宝を積む事を理解することができず、地上の宝を仕える道を選んでしまったのでした。

イエス様が「天に宝を積み上げなさい。」と弟子たちに言ったのは、その時弟子たちが生活するための費用や今後の事に関して思い悩んでいたからです。
地上に生きる私たちに、お金は必要でしょう。
しかし、今はその事を心配する時ではなく、天の事に心を向ける時なのだ。
わたし達が天に宝を積み上げ、神の国と神の義を第一とするなら、わたし達は必要を満たしてくださる神様の御業をも見ることになるとイエス様は言いました。

地上のものを宝とするのではなく、天の報いのために行いをするのでもなく、すでに与えられている神様の愛を数え、それを宝としてどんどん積み上げて下さい。
その時わたし達は、地上のものに仕えるのではなく、死後の報酬に仕えるのでもなく、心から神様に仕える事ができるようになるのです。

恵みを原則とした福音の喜びが、皆さんの上に満ちあふれますように。

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