Iサムエル記28:3-20 『 サムエル⑫~サウル王の最期 』 2010/10/10 松田健太郎牧師

Iサムエル記 28:3~20
28:3 サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。28:4 ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。
28:5 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。
28:6 それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、28:7 サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」
28:8 サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」
28:9 すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」
28:10 サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」
28:11 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」
28:12 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」
28:13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」
28:14 サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。
28:15 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」
28:16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
28:17 主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
28:18 あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
28:19 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」
28:20 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。

先週は、サムエル記第1の25章からお話をしました。
預言者サムエルが死んだという所から、その事件は始まっていましたね。
ダビデはサムエルの死に動揺し、愚か者ナバル侮辱に心を失って、危うく罪を犯してしまう所でした。
しかしナバルの妻、霊的に聡明なアビガイルの助けを受けて、冷静さを取り戻す事ができたというお話です。
今日は、そこから少し飛んで28章です。
ところが、ここにも再び、このような記述が出てくるのです。

28:3 サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。

サムエルが死んだという事は、25章ですでに述べられていた事なのに、どうしてもう一度同じ事について書かれる必要があったのでしょうか。
そこにはちゃんと理由があります。
25章は、サムエルが死んだ時、ダビデにどんな事が起ったかという事でした。
今日の28章は、サウルの場合の話です。
つまり、サムエルという心の支えを失った時、信仰をもち、神様との関係を深く築いていたダビデはどうだったかという事が25章。
そして、28章では、信仰を失っていたサウルの場合はどうだったかという事の比較が描かれているのです。
そんなわけで、今日はサウルの場合を見ていきましょう。

① 霊媒に頼るサウル
先週も言いましたが、心が動揺している時は、私達が一番気をつけなければならない時です。
それは、わたし達がそのような時こそ罪に陥りやすく、また失敗もしやすい時だからです。
そして、そのような時にこそ、問題というものが起きやすい時でもあるんですね。
ダビデがナバルの侮辱という試練を受けたのは、そんな動揺の中にある時のことでした。

一方で、サウル王の身に訪れた試練は、ペリシテ人の侵入でした。
これまでも苦戦してきたペリシテ人が、このような時に攻撃をしてきたのです。
いつものサウルであれば、冷静な気持ちを持って対応をしていたかもしれません。
しかし、心が弱くなっているサウルは、ペリシテ人に対して、今までにはない恐れを感じたのです。
いざという時に相談できるサムエルは、もういない。
こんな時にこそ、預言者の助けは必要なのに・・・。

サウルは主に祈り、御心を伺いました。できる事を試みてたのです。
しかし、夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えを得る事はできなかったと、聖書には書かれています。

そこでサウルは、家来たちに霊媒師を探させました。
でも、それはおかしなことです。
なぜなら、サウルは以前国中の霊媒師を殺すように命令していたからです。
律法には、霊媒に関してこのように定められているのです。

レビ記 20:27 男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。」

しかし、生き残りがいる事をサウル王は知っていました。
もしかしたら、サウルはいざという時のためにわざと生かしておいたのかもしれません。
そして今、サムエルの霊を呼び出して、助けを得ようとしていたのです。

ですが、律法にはこの様にも記されています。

レビ記 20:6 霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行なう者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。

神様は、霊媒や口寄せというものを嫌います。
それは、創造の神様以外のものに頼って神にしようとする、偶像崇拝と同じだからです。
同じレビ記に書いてある事ですから、サウルはその事も分かっていたでしょう。
それがわかっていながら、サウルは神様ではなく、霊媒を通したサムエルの力を頼りにしたのです。

霊媒師とか占い師という人達は、不思議な力を持った人達です。
そこに起る事の全てがインチキだというわけでもないのかもしれません。
事実、サウル王が訪れた霊媒師によって、サムエルの霊は呼び出されました。
それが本当にサムエルの霊だったかどうかは何とも言えない部分もありますが、そこに不思議な出来事を起ったのは確かな事です。
少なくともサウル王は、これはサムエル先生に間違いないと確信を持ちました。

でも、これがインチキだろうと、本当の事であろうと、このサムエルが本当にサムエルの霊だったのかどうかも、実はそれほど重要な事ではありません。
問題なのは、それが本物であろうとなかろうと、根本的な解決にはならないという事なのです。
霊媒師に呼び出されたサムエルの霊は、この様に言っています。

28:16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
28:17 主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
28:18 あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
28:19 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」

サウルが欲しかったのは、サムエルからの「大丈夫だ。」という保証、あるいは、何とかペリシテ人に勝利するためのアドバイスだったでしょう。
しかし、神様の御心に適わないものから、正しい答えや、本当の平安を得る事はできません。
サムエルがサウルに告げたのは、むしろサウルにとってトドメとなるような言葉でした。
「神様はサウルを離れた」という事。
「サウルも子供も死に、ダビデが次の王になる」という事。
それが、これ以上にないはっきりした言葉として、サウルには告げられたのです。
それを聞いた時、サウルはその言葉を恐れて、その場に倒れ、棒のようになってしまいました。
そんな風にショックを受け、絶望の中にあるサウルに勝ち目があるはずもありません。
サムエルの最期の言葉通り、サウルはペリシテ人との戦いで最期を迎えるのです。

霊媒師や占い師に頼るのは手っ取り早く、もっともらしいアドバイスもしてくれるので、わたし達も試してみたくなる誘惑に駆られる時があるかもしれません。
しかしそれは、決して本当に必要な助けを与えてはくれません。
それどころか、わたし達を神様からさらに引き離すものでしかないという事を忘れないでいただきたいのです。

② 主の道を歩む者は
本当の助け、本当の平安を与えてくれるのは、他の誰でもなく神様です。
信仰の中にあり、いつも平安がともにあったダビデは詩編の中で歌っています。

詩編 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

本当の平安を得るために必要なのは、わたし達が神様といる事です。
だからサウルに必要だったのは、自分の罪を悔い改めて、神様に立ち返る事でした。
しかし、サウルが神様ではなくサムエルに救いを求めてしまいました。
その時彼は、与えられていた最後のチャンスを失ってしまったのです。

「いや、サウルは霊媒に行く前に、ちゃんと神様に訊ねたじゃないか。それなのに、神様がそれに応えようとしなかったので、サウルは霊媒に頼るしかなかったんだ。」と思われる方もいるかもしれません。
確かに、サウルは霊媒に行く前に神様に訊ねています。
しかし、それはむしろ神様を利用しようとしたのであり、神様に立ち返ったのではありません。
サウルは神様から離れているのに、都合のいい時だけ助けて求めていただけです。
サウルはまず、自分の罪を悔い改め、神様に従う必要があったのです。

「もし・・・」という仮定の話は、歴史を振り返る上ではあまり意味のない事かもしれません。
でも僕は、「サウルがもし悔い改めていたら。」と想像しないではいられません。
もっと早い時にサウルが悔い改めて神様に立ち返っていたら、サウルが王として生涯を全うし、ヨナタンが次の王となる道もあったかもしれません。
そうでないにしても、もし、サウルがこの最後のチャンスで悔い改める事ができていたら、サウルはここで死ななかったかもしれません。
王位はダビデに譲られなければならなかったでしょうが、息子のヨナタンがダビデ王の右腕として活躍する、そんな歴史があったかもしれません。
それは何と素晴らしい事でしょう。
神様のご計画は、こんなわたし達の想像すら遥かに超えた素晴らしいものです。
しかし、わたし達が主の道に歩まず、自分の思いによって生きる時、そんな神様の思いを台無しにしてしまっているのです。

聖書はわたし達にこう教えています。

ローマ 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

主の道を歩んで下さい。
神様の計画に従って歩んで頂きたいのです。
その道は、必ず栄光へと向かい、わたし達に益をもたらして下さいます。
それは、神様がわたし達を愛して下さっているからです。
ひとり子を犠牲にして救いを与えて下さるほどにわたし達を愛して下さった神様の計画は、わたし達の最善でないはずがないのです。

③ サウルの最期
サウルの最期は、壮絶なものでした。

Iサムエル 31:2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。
31:3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。
31:4 サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。
31:5 道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ。
31:6 こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。

神様から離れ、人の力に頼っていたサウルは、サムエルの死が動揺を生み、サムエル死後もの助けを求め続け、それはむしろ彼自身の人生に終止符を打つ結果をもたらしました。
一方で、神様から離れず信仰を持ち続けていたダビデがどうだったかを思い出して下さい。
ダビデも同じようにサムエルの死に動揺しましたが、アビガイルという助け手が与えられ、危機を回避する事ができました。
サムエルの死がもたらした混乱は、ダビデの人生にも、サウルの人生にも大きな波紋をもたらしましたが、その結末は大きく明暗を分けたのです。

サウルの生涯は、神様を離れ、頑なに自分の道を歩み続ける事の危険さを教訓として残してくれています。
イエス様の十字架の後の時代を生きるわたし達は、サウルのように聖霊が去るという事を恐れる必要はありませんが、主と共に歩み続ける事の大切さに違いはありません。
わたし達はサウルの人生に起った事を、歴史に起った厳粛な事実として受け止めて、信仰の道を進みたいものです。

詩編 1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。

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