I列王記1:16-30 『① 神様の計画の中で』 2011/01/09 松田健太郎牧師

I列王記 1:16~30
1:16 バテ・シェバがひざまずいて、王におじぎをすると、王は、「何の用か。」と言った。
1:17 彼女は答えた。「わが君。あなたは、あなたの神、主にかけて『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に着く。』と、このはしためにお誓いになりました。
1:18 それなのに、今、アドニヤが王となっています。王さま。あなたはそれをご存じないのです。
1:19 彼は、牛や肥えた家畜や羊をたくさん、いけにえとしてささげ、王のお子さま全部と、祭司エブヤタルと、将軍ヨアブを招いたのに、あなたのしもべソロモンは招きませんでした。
1:20 王さま。王さまの跡を継いで、だれが王さまの王座に着くかを告げていただきたいと、今や、すべてのイスラエルの目はあなたの上に注がれています。
1:21 そうでないと、王さまがご先祖たちとともに眠りにつかれるとき、私と私の子ソロモンは罪を犯した者とみなされるでしょう。」
1:22 彼女がまだ王と話しているうちに、預言者ナタンがはいって来た。
1:23 家来たちは、「預言者ナタンがまいりました。」と言って王に告げた。彼は王の前に出て、地にひれ伏して、王に礼をした。
1:24 ナタンは言った。「王さま。あなたは『アドニヤが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に着く。』と仰せられましたか。
1:25 実は、きょう、彼は下って行って、牛と肥えた家畜と羊とをたくさん、いけにえとしてささげ、王のお子さま全部と、将軍たちと、祭司エブヤタルとを招きました。そして、彼らは、彼の前で飲み食いし、『アドニヤ王。ばんざい。』と叫びました。
1:26 しかし、あなたのしもべのこの私や祭司ツァドクやエホヤダの子ベナヤや、それに、あなたのしもべソロモンは招きませんでした。
1:27 このことは、王さまから出たことなのですか。あなたは、だれが王の跡を継いで、王さまの王座に着くかを、このしもべに告げておられませんのに。」
1:28 ダビデ王は答えて言った。「バテ・シェバをここに呼びなさい。」彼女が王の前に来て、王の前に立つと、
1:29 王は誓って言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。
1:30 私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く。』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」

今日から列王記のシリーズが始まります。
これは、昨年の後半に始まったサムエル記の後の話になります。

旧約聖書は、イエス様も出てこないし福音的なメッセージを受け取りにくかったりするので、実はあまり人気がないんですね。
その性か、旧約聖書からはメッセージをほとんどしないという先生もいます。
通読していても、旧約聖書からはどうしても厳しいメッセージばかりを受け取ってしまい、読むのが嫌になってしまうという方も少なくありません。
でも、神様の愛と優しさはもちろん旧約聖書の中にも隠されていて、コツさえつかめばいくらでも福音的なメッセージを受け取る事ができます。
だから僕は、宝探しのように祝福が出てくる旧約聖書が大好きです。

そのようなわけで、少しこれまでのイスラエルをざっと振り返ってみたいと思います。
イスラエルは、アブラハムというひとりの人を神様が選んだ所から始まりました。
「子孫は空の星、地の砂ほどに多くなる。」という約束は、アブラハムからイサクに、イサクからヤコブに受け継がれ、ヤコブの12人の子供たちからイスラエルという契約の民族が始まりました。
イスラエルは、ある時はモーセやヨシュアという特別なリーダーによって治められ、その次には裁き司という神様に選ばれた指導者たちが与えられました。
預言者でもあったサムエルが裁き司となっていた時代、人々は他の国と同じように王を求めるようになり、イスラエルにも王が与えられました。
イスラエル最初の王として選ばれたのは、外見も能力も申し分のないサウルでした。
しかし彼は、神様への信仰がなかったため、王としては失格になってしまいました。
次の王として選ばれたのはダビデでした。
ダビデは父親からも存在を忘れられるような子供時代を過ごしましたが、神様の選びにより力を受け、イスラエル史上最高の王になっていったのです。

このダビデの時代が、イスラエルの歴史のクライマックスのひとつと言っても過言ではないでしょう。
バラバラだったイスラエルは、ダビデの統治下でひとつにまとまり、初めてひとつの王国として確立したのです。
「さぁ、イスラエルもこれからだ!」というその時、しかしそこには問題もあるのです。
それは、この地上でわたし達の命には限界があるということです。

①  ダビデの衰退
イスラエルがようやく一つの国として確立し始めた時、ダビデはすでに年老いていました。
どんな繁栄があり、どんなに素晴らしいものであっても、地上にあるものにはすべて衰える時が来ます。
この地上で永遠に生きる人はいないし、永遠に続く国もないのです。
聖書は隠すことなく正直に、衰えたダビデの様を描いています。

I列王記 1:1 ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。それで夜着をいくら着せても暖まらなかった。
1:2 そこで、彼の家来たちは彼に言った。「王さまのためにひとりの若い処女を捜して来て、王さまにはべらせ、王さまの世話をさせ、あなたのふところに寝させ、王さまを暖めるようにいたしましょう。」
1:3 こうして、彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を捜し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。
1:4 この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ろうとしなかった。

若い処女に老人の体を温めさせる事は、この時代には医療的な対処法として用いられていたと言われています。
確かにわたし達も、冬山で遭難したふたりが体を寄せ合って暖をとり、何とか夜を乗り越えるという話を聞く事があります。
しかし、それが美しい娘である必要は全くありませんよね。
列王記の著者は、どうしてわざわざこの様な事を書いたのでしょうか?

ここで思い出していただきたいのですが、人格者としても素晴らしい王だったダビデには、重大な弱点がひとつありました。
それは、女性問題です。
ダビデは女性に弱かったので、女性のために有能な部下を殺すという罪を犯し、たくさんの妻を迎える事によって子供同士が殺し合うという悲劇も生まれてしまいました。

だからこそダビデの家来たちは、ダビデの体を温めるために美しい処女であるアビシャグを見つけ出し、ダビデの妻として世話をさせたのです。
しかし、ダビデは彼女を知る事がなかったと書いてあります。
この“知る”という言葉は、「アダムはエバを知った。」という言葉と同じ言葉ですね。
つまり、男と女として愛を交わすという事です。
「ダビデがアビシャグを知ろうとしなかった」というのは、彼が聖人君子のようになって女性に触れようとしなかったという事ではありません。
あれほど女好きだったダビデが、若くて美しいアビシャグを妻として迎えても、アビシャグを知る事がないほどに、ダビデは衰えてしまっていたという事がここでは書かれているのです。

そうして考えてみると、聖書は純粋できれいごとばかり書かれているというのはとんでもない勘違いだという事がわかりますよね。
聖書には下世話な事もたくさん書かれています。
それは、人間とその罪について書かれているからですね。
そして、だからこそ人には救いが必要であり、イエス様が十字架で命を捨てなければならなかったという事でもあるのです。

②  ダビデを継ぐ者
ダビデを元気づけようとして探し出されたアビシャグでしたが、結局はダビデの介護をするような状態となりました。
こうして、ダビデが介護が必要になる程に弱っている時、イスラエルは再び揺れ始めます。
そこには、後継ぎ争いが起って来るからです。

アブシャロムの反乱の後、ダビデの子供たちの中でもっとも年長だったのは、アブシャロムの弟アドニヤでした。
ある時彼は、「私が王になろう。」と言って、ヨアブ将軍と祭司エブヤタルの支持を受け、王になるための陰謀を練り始めたのです。

アドニヤがどんな人だったのかという事は、この様に記されています。

I列王記 1:6 ――彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか。」と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった。――

アドニヤは、決して親を困らせる事のないような、とっても良い子でした。
その上、彼は非常な美男子だったと書かれています。
そう考えてみると、アドニヤがダビデ王の後継ぎとなっても何の不思議もありません。
それなのにどうして、わざわざ策略によって王座を手に入れようとしたのでしょう。
それはおそらく、このままだとソロモンが王として選ばれるという事を知っていたからだと思います。

ダビデが王になってまだ間もないころ、神様がダビデにこのように語った事がありました。

IIサムエル 7:11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』
7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。

これは、ダビデの子供が世継ぎとなってイスラエルの次の王になるという預言なわけですが、この言葉の中で神様は『安息を与える。』と言っています。
この、安息を意味する名前を持っているのがソロモンなんですね。
ちょっと長いので読みませんが、第一歴代誌の22章には、ダビデはソロモンこそが次の王になる事を知っていて、以前からそのように伝えていたという事が書かれています。
アドニヤは恐らく、神様がソロモンを選んだという事も知った上で、そしてダビデの心にあるのがソロモンだという事を知った上で、自分が王になろうとしたのでしょう。
彼の心には、反乱を起こして散って行った兄の姿が焼き付けられていたでしょう。
また、それは彼自身の野望であり、人々は自分を支持しているという自信もあったに違いありません。
だからこそ、王としての名乗りを上げてしまえば、ダビデも国民も自分を王として認めるだろうと考えてもいたのです。

しかし、預言者ナタンの働きかけもあって、ダビデはいち早くソロモンを王として任命し、アドニヤの陰謀は失敗に終わりました。
人のたくらみによって、神様の計画が崩れるかに見えましたが、神様の摂理は人の意思を超えて働くのです。

わたし達も時として、物事が神様の計画とは違う方向に向かっていったり、横道にそれてしまったりするのを目にして不安になる事があります。
でも神様の計画は、最終的には必ず実現するということを覚えていただきたいのです。
聖書はわたし達に教えています。

箴言 19:21 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

わたし達は今起っている出来事に心を囚われるのではなく、神様のご計画に心を留めていたいものです。
そして、わたし達の思いや予想を遥かに超えてなされる神様の御心に従っていこうではありませんか。

③ 列王記著者の歴史観
さて、列王記はどうしてこのような話からスタートしているのでしょうか。
同じようにイスラエルの歴史を告げている歴代誌では、ソロモンが王になった時の事に関して詳細を述べてはいません。
歴史を残していく上では、それほど重要な事ではないと思われたからです。
列王記の著者は、2つの歴史観を持っていたのではないでしょうか。
ひとつは、神様の計画には、人為的なかたちで介入する事が可能であるという事です。
ある人は、アドニヤのように神様の計画に逆らう形で介入しようとするでしょう。
それが、計画の実現を遅らせるような形で影響を与えるという事がありうるのです。

もうひとつは、神様がそのご計画を実現させるためには、人をお使いになられるという事です。
預言者ナタンとバテ・シェバの働きかけがなければ、神様の計画だったソロモンが王になるという事はどのように実現したのかわかりません。
神様は突然アドニヤの命を取り去ったり、魔法のようにソロモンを王にするという事はしなかったのです。

神様が作られたこの世界を生きる中で、わたし達はアドニヤのようにこの世界と関わるのか、あるいはナタンのような形でこの世界の用に関わるのかという選択が問われています。
わたし達は、神様のご計画に逆らおうとするのでしょうか、あるいはナタンのように神様に用いられて、神様のご計画の一部として生きるのでしょうか?
その判断はひとりひとりに与えられている事ですが、神様のご計画が結局のところ成就するのであれば、わたし達は神様の側に立っていた方が間違いがないのではないでしょうか。

エペソ 1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

この教会に集うひとりひとりが、神様のご計画に逆らうのではなく、また傍観者を決め込むのでもなく、神様のご計画の一部として、その手となり足となり、仕えるようになる事を、僕は牧師として心から願っています。

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