I列王記3:5-14 『ソロモンの知恵』 2011/01/16 松田健太郎牧師

I列王記 3:5~14
3:5 その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
3:6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
3:7 わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」

ある時、ある人の夢の中に仙人が現れて、ひとつだけ願い事をする事が許されました。
その人が考えた末に仙人に願ったのは、一週間後の新聞を見せてほしいという事でした。
かくして願いが叶えられ、その人は一週間後の新聞を手にしました。
その新聞には、これから一週間の株価の推移や、競馬の結果などが掲載されています。
「これで俺は大金持ちだ~!」と喜び踊ったその人は、次の瞬間、新聞の別の記事に目が吸い寄せられました。
そこに、自分の名前が載っていたからです。
そして次の瞬間かれは凍りつきました、それは何と、彼の死亡事故についての記事だったのです。

神様が、ひとつだけ願いを叶えてやろうと言われたら、皆さんなら何を望むでしょうか?
富みでしょうか、権力のような力でしょうか、それとも健康や長寿でしょうか?
この質問の答えは、わたし達の人生観や、価値観、神観というものを如実に反映しているのではないかと思います。

ソロモンが選んだのは、“知恵”でした。
そしてソロモンは、史上もっとも賢い王様として知られるようになったのです。
ソロモン王の特徴をあらわす言葉として、色々な言葉があると思いますが、その代表とも言えるのがこのソロモンの知恵ですね。
教会に行き始めて、まだクリスチャンになる前の頃、僕が聖書の中で一番憧れていたのはこのソロモン王でした。
それは、彼がたくさんの女性に囲まれていたからではなく、彼がこの上ない富を手に入れたからでもなく、ソロモンのように賢い人間になりたいと思っていたからです。
そこで今日は、ソロモンの知恵について共に考えて行きたいと思います。

① どのような知恵か
ソロモンは人類の中でもっとも賢い人だという話を聞きながら、僕が疑問に思っていた事がいくつかありました。
ひとつには、ソロモンよりも頭がいいと思える人が他にもいるという事です。
例えば、特殊相対性理論を考えたのはソロモンではありませんでしたね。
あるいは、0の概念を発見したのはインド人であって、ソロモンではありませんでした。
ソロモンは確かに、たくさんの知恵の言葉を残してはいますが、科学や数学に関わるような事は何も述べていません。
ソロモンは人類の中でもっとも賢い人だったと言われるのですが、彼の知恵は宇宙の法則の真理を発見するような類のものではなかったという事です。
では、ソロモンが得た知恵とはどのようなものだったのでしょうか?
「あなたに何を与えようか、願え。」と神様に言われたソロモンは、この様に答えています。

3:7 わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

ソロモンが神様に願ったのは、IQを高くしてほしいという事ではないんですね。
あるいは、テストでいつも100点満点がとれるようにしてくれと願ったのでもないのです。
ソロモンが願ったのは、まだ幼く経験も足りない彼が、イスラエルをちゃんと治めて行くことができるために、“善悪を判断すること”そして“民をさばくための聞き分ける心”を与えてほしいという事です。

I列王記の1~2章に書かれていた、権力闘争の中でのソロモンの言動を見ていると、彼は元々頭の回転が早い人だった事がわかります。
最初から、頭はそれなりに良かったんですね。
しかし王としてイスラエルの人々をとりまとめて行くという事に関しては、彼には経験があまりにも足りない。
神様から願いを求められた時、ソロモンは自分自身の幸せのために何かを得るのではなく、イスラエルの人々を正しく導くための知恵が与えられるようにと求めたのです。
それが神様の御心に適い、ソロモンは知恵の心と、判断する心とが与えられました。
それだけでなく、ソロモンは自分から求めていなかった富と誉をも神様から与えられたのです。

富や誉というものは、神様から特別に与えられたという事もあったかもしれませんが、それ以前に、民を導くための知恵と正しい事を判断する心があれば自然と手にする事ができるものなのではないかと思います。
民を的確に導くソロモンの知恵によって、イスラエルはますます繁栄し、その名はますます世界に轟くようになっていったのです。

② 賢いのになぜ失敗したのか?
さて、ソロモンの知恵に関して、僕にはもうひとつ疑問がありました。
それは、他には誰もいない程の賢さを持っていて、しかもそれは国を治めるための知恵であったにも拘らず、最終的にソロモンは失敗してしまったという事です。
彼の時代の間には辛うじて何とかもちましたが、ソロモンの次の時代にはイスラエルは北イスラエル王国とユダ王国に分裂してしまいました。
ソロモンに神様から与えられた知恵があったなら、どうしてそのような混乱を避ける事ができなかったのでしょうか?

それは、ソロモンの知恵というものがどこからくるものだったかという事を考えると、よくわかってくるのではないかと思います。
単に脳の機能が上がったとか、世界の秘密を暴くほどの英知を得たというものではないソロモンの知恵は、神様から直接与えられるものだったという事です。

ソロモンは、「善悪を判断する心」を神様に求めたわけですが、かつてエデンの園には“善悪に知識の木”というものがありました。
アダムとエバは、その木になっている実を取って食べたら死ぬと教えられていました。
この木は、その実を食べると善悪がわかるようになるのではなく、神様の命令に従う事が善であり、逆らう事は悪なのだという事をあらわしているものなのです。
しかし、エバが神様ではなく蛇の言葉に従い、アダムが神様ではなくエバに従った事によって、人類には罪が入ってしまったというのが創世記に書かれている事です。

ソロモンもまた、その知恵を神様から頂き、それに従って行動する限り、ソロモンは神様からの知恵によってイスラエルを裁く事ができたのです。
しかし、やがてソロモンは自分の欲望と政治的な理由から多くの異邦人の妻を娶り、その影響を受けて行きました。
アダムやエバが神様の言葉を聞かなくなってしまったように、ソロモンは神様の言葉ではなく妻たちの言葉を聞くようになったのです。
こうして、ソロモンは自ら、その知恵から離れて行ってしまったのでした。

ソロモンがちゃんと神様だけを見上げ、目をそらすような事がなければ、そしてそのあり方が子供たちにもちゃんと伝えられて行けば、イスラエルはそのまま偉大な王国として確立していった事でしょう。
しかし、ソロモン自身がどれほど賢い人だったとしても、神様が共におらず、神様の知恵が伴うのでなければ、決して正しい道を歩み続ける事はできないのです。
そして、どのような知恵を与えられていたとしてもその知恵に従って歩むのでなければ、全ての知恵もムダになってしまうものなのです。

③ ソロモンの知恵を得るために
ここで、皆さんに嬉しいお知らせがあります。
僕もかつて、ソロモンの知恵に憧れをもっていたと言いましたが、ソロモンのこの知恵はわたし達も手にする事ができるものだという事です。旧約聖書の時代には、ソロモンのように神様とのつながりを持ち、知恵を頂くという事はものすごく稀な事でした。
しかし、新約時代を生きるわたし達は、信仰と共に聖霊を受けるので、神様との直接的で個人的な関係を持つ事ができるのです。

わたし達は仕事の時、子育ての時、人間関係で問題が起った時、様々な場で神様の知恵を頂く事ができます。
それどころか、宣教の場において、また教会の方針を決めて行く上で、神様の知恵に耳を貸さずに進んでいく事は無謀以外のなにものでもないでしょう。

では、どうしたらその知恵を受ける事ができるのでしょうか?
その方法を、ソロモン自身が教えてくれています。

箴言 9:10 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

主を恐れる事によってその知恵は始まり、聖なる神様を知る事によってその知恵は確かなものとなるのです。

更にわたし達は、聖書の御言葉に触れ、祈りを通して神様と対話する事が必要でしょう。
そうして生活していく中で、御言葉を通して神様が語ってくれたり、誰かほかの人の言葉を通して神様の導きを受けたり、あるいは突然道が開けて進むべき方向が示される事があります。
そこに、神様の知恵はあります。
そしてわたし達がそれに従って生きて行くなら、そこには豊かな神様の祝福もあるのです。
まさに、詩編1篇がわたし達に教えているようにです。

詩編 1:1 幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

ところが、そうして神様の知恵に従って歩む人生を送ろうとしてみると、それを続ける事が決して簡単ではない事も分かってきます。
「ソロモンはダメだなぁ」なんて言っている場合ではなく、わたし達も容易く神様の道から足を踏み外し、神様以外の言葉に耳を奪われ、知恵の言葉に従う事を忘れてしまうのです。

わたし達が罪びとであるというのは、そういう事です。
わたし達はソロモンと同じように神様の知恵を得る特権に預かっています。
それと同時に、ソロモンが受けていたのと同じ誘惑にもさらされ、同じ弱さも持っています。
だからこそ旧約聖書は、イスラエルの歴史であるというだけに留まらず、現代の日本に生きるわたし達にとっても大切な教訓を残してくれているわけです。

しかしわたし達は、ソロモンすら得る事ができなかった特権を与えられています。
それは、イエス様の存在です。

マタイ 12:42 南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。

イエス様は、もっとも賢いと言われたソロモンの知恵に勝る知恵です。

そして今も生きておられるイエス様が、わたし達と共にその道を歩んで下さり、わたし達を助け、励まして下さいます。
ソロモンに勝る知恵によって、皆さんの人生がさらなる喜びと、豊かさと、祝福に満たされますように。

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