II列王記2:1-15 『預言者エリシャの自立』 2011/04/03 松田健太郎牧師

II列王記2:1~15
2:1 主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。
2:2 エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。
2:3 すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。
2:4 それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。
2:5 エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。
2:6 エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。
2:7 預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、
2:8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。
2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。
2:10 エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
2:12 エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。
2:13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。
2:14 彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか。」と言い、彼が再び水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。
2:15 エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている。」と言い、彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。

列王記のシリーズ、11番目です。
いよいよ、話は第2列王記の方に入ってきました。
今回は再び預言者エリヤの名前が出てきますが、エリヤの話をしたのは1ヶ月くらい前の事になりますので、少し復習しましょう。

さて、時代は前回も登場したアハブ王の頃です。
アハブ王が妻として迎えたイゼベルによって、イスラエルにはバアルという偶像の神々が持ち込まれました。
それによって人々は聖書の神様から離れ、神殿は娼婦によって穢され、赤ん坊が生贄として捧げられるという痛ましい事が起っていました。

史上最悪の王と称されるそのアハブ王の元に神様が送ったのは、最高の預言者であるエリヤだったのです。
3年間の干ばつ、450人もいるバアルの預言者達との対決を経て、エリヤは真の神様の力をイスラエルの前に明らかにしました。
しかし、そんなエリヤもイゼベルの報復を恐れて逃げ出し、身を隠しました。
そして、いっそ神様の手で殺してほしいとまで願いました。
その祈りの答えとして与えられたのは、エリシャという友と、7000人の仲間達だったのです。

これまでにお話しした以外にもたくさんの奇跡がエリヤの元に起りましたが、今日はそんなエリヤの最後のお別れの時です。
神様がエリヤに告げていたように、エリシャがエリヤの後を継ぐ預言者となるのですが、どのようにしてその力が渡されていくのかという事を共に見て行きたいと思います。

① 使命に従う
まず最初に取り上げておきたいのは、この個所の中で同じような内容の会話が何度か繰り返されているという所です。
ひとつは、エリヤとエリシャとのやりとり。
「ここにとどまっていなさい。主が私を○○に遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」
これが3回繰り返されています。

もうひとつは、預言者のともがら(仲間達)とエリシャとのやりとり。
「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。
これは2回繰り返されています。
このやり取りの中でわかるひとつの事は、エリヤがこの日、神様に取り上げられるという事は預言者なら誰でも知っていたという事です。
エリヤが、「ここに留まっていなさい。」と言った時、エリシャはここで別れたらそれが最後になるのではないかと感じていたんですね。
さらに、他の預言者が「あなたの主人が取り上げられる事を知っていますか?」と聞くと、エリシャは「そんな事はわかっているけれど言わないでくれ。」と言いました。
エリヤと別れなければならないなどという事は、わかっていても信じたくなかったのです。

エリシャにとってエリヤという人は師であり、しかしそれ以上に親友でした。
別れの時が来ようとしているのはわかっているけれど、それを認める事ができないというのがエリシャの気持ちだったのです。
エリシャには、神様から与えられていた使命もありました。
エリヤが落ち込んでいた時、彼を慰め、励まし、共感し、立ち直らせる事が自分の使命であり、そのために出会わせたのだという事を良く理解していたのです。
だから例えエリヤが、「御苦労さま、よくわたしと共に来てくれたね。でもここまでで良いよ。」と言ったとしても、エリシャは神様に従って最後までエリヤと共に歩んでいくつもりだったのです。

すると最後にエリヤは、2:9b「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」と言いました。
エリヤとしては、何かアドバイスをとか、自分の持っているものを何か記念に残そうとかそういう事を考えていたのではないでしょうか。
しかし、エリシャの返事はこうでした。

2:9c「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」

エリシャは、奇跡を起こしたエリヤの霊の力をわたしに与えて下さいと願ったのです。
ちなみに、2つの分け前というのは、2倍の分け前という意味ですが、「あなたの2倍の霊を与えて下さい。」という意味ではありません。
当時の法律では、長男は遺産相続の時、他の兄弟達の2倍の分け前を得る事ができました。
エリヤにはたくさんの弟子たちがいた事と思いますが、自分をその長男として霊を相続させて下さいと願ったのです。

それにしても、大変なものをエリシャは望みますよね。
エリヤは、「それは難しい注文だ。」と言いました。
その力を与える事ができるのはそもそもエリヤではなく、神様だからです。
エリシャもそんな事はわかっていたでしょう。
しかし、この偉大な預言者の後を継いで主の働きをするために、それは必要だとエリシャは感じていたのです。
エリヤは、自分が天に上げられるのを見る事ができたら、あなたは願ったものを受ける事ができるだろうという預言の言葉をエリシャために残しました。

わたし達日本人は、控えめや遠慮を美徳とする傾向があります。
しかし、神様との関係においては時としてこのようなずうずうしさが必要です。
わたし達が神様に多くの事を期待し、願う事を神様は求めています。
わたし達はより多くの祝福を神様に求めるべきです。
でもそれは、自分のためではなくて、より多く神様に仕えるためです。

② 火の馬、火の戦車
さて、ふたりがそうしてなおも話しながら歩いていると、なんと突然火の馬と、火の戦車が現れて、二人の間を隔てました。
するとエリヤは、あっという間にたつまきに乗って天に上って行ってしまったのです。

・・・、さてこれはどうしたものでしょうか?
思わず、ポカーンとしてしまいますね。
それを目撃していたエリシャも、きっとポカーンとなっていた事でしょう。
これをどう考え、どう受け止めるべきでしょうか。
SF的な事が起ったのだとか、精神的な部分でそのような事が起ったのだとか色んなとらえ方があるでしょう。
いずれにしても驚くような事がそこで起り、エリヤは生きたまま天に上げられたのです。

イエス様が再び地上にいらっしゃる時、これと同じような事が起るとテサロニケ人への手紙第1の中に書かれています。
これを、専門的な言葉で“携挙”と言って、死というものを経験しないで天国に行く人達がいるという事なのです。
エリヤ以外にもエノクという人がこのようにして天に上げられていますが、イエス様が再び来られる時にまだ生きているクリスチャンも、こうして天に上げられるのだという事が聖書には書かれているんです。
でもこれは、この個所の大切な部分ではないので、詳しい事はまた別の機会にお話ししましょう。
今は、「そんな事もあるんだなぁ。」とくらいで覚えておいて頂ければ良い事だと思います。

いずれにしても、エリシャはエリヤがそう預言した通り、エリヤが取り去られるのを目撃して、エリヤの後継ぎとしてその奇跡的な力を与えられました。
エリシャが、エリヤの後を継ぐ預言者として選ばれたのは、神様の選びによります。
しかし、エリシャがエリヤに継ぐ偉大な預言者となる事ができたのは、エリシャの信仰によるのです。

わたし達にも、一人一人に与えられている神様の選びがあり、召しがあります。
しかし、わたし達がどのような力を与えれ、どれほどの働きをするかという事に関しては、わたし達の応答次第という部分もあるのだという事です。
わたし達ひとりひとりが、神様の呼びかけに心から応答し、より大きな働きをする事ができるように、心からお祈りいたします。


エリシャは、エリヤが去るのを見ました。
それは、エリシャが約束通り大いなる力を与えられたという事を意味していましたが、それ以前に悲しい別れでした。
そこにまずあったのは、喜びではなく、大きな寂しさと悲しみだった事だろうと思います。

2:12 エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。

エリシャは、まるで置き去りにされた子供のように、そこに立ちつくしていました。
しかし、もちろんそれでは終わらないのです。
エリシャはエリヤの外套を拾うと、ヨルダン川の岸辺に立ちました。
そしてこう言ったのです。
「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか。」

「エリヤはどこにいるのですか。」ではないのです。
エリヤが去ってしまった今、いつまでもここで立ちつくしているわけにはいきません。
エリシャは、エリヤの外套を手にした時、頭を入れ替えて、心を切り替えたのです。
それだけではありません。
これまでエリヤに依存し、エリヤを通して築かれていた神様との関係は、間にエリヤを介さない、直接的なものとなったのです。

エリシャは、エリヤがそうしていたように、エリヤの外套でヨルダン川の表面を打つと、川は二つに分かれ、道ができました。
エリヤを通して築かれていた神様との関係が直接の関係になったとき、エリシャもまたモーセと同じ権威をもつ預言者となったのです。

こうして教会に通っていると、わたし達は時として、神様との直接の関係を築く事ができるという事を忘れてしまう事があります。
皆さんは、牧師を通した神様との関係から卒業する事ができます。
信仰の始まりの時にそういう時期がある事を否定はしませんが、それがいつまでも続くものではないのです。

エリシャは、エリヤとの別れを通してその事を経験しました。
そしてエリヤとの別れを経験する事によって、エリシャは預言者としての自分の役割を自覚し、その力を発揮する事ができるようになったのです。
聖書にはこう書かれています。

エペソ 4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

全てのクリスチャンが、聖書を通して語りかけて下さる神様の声を聞く事ができます。
全てのクリスチャンが、祈りを通して神様と対話する事ができます。
全てのクリスチャンが奇跡を体験し、神様の導きを知る事ができるはずなのです。
それはもちろん、牧師なんていらないという事ではありませんが、わたし達ひとりひとりが自立した、成熟したクリスチャンになるためには必要な事なのです。

ともに祈りあい、共に学び合い、共に成長していきましょう。

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