ヨナ書3:10-4:11 『 ヨナ書~敵をも愛する神の愛 』2011/06/12 松田健太郎牧師

ヨナ書3:10~4:11
3:10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
4:2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
4:3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
4:4 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」
4:5 ヨナは町から出て、町の東のほうにすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。
4:6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。
4:8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
4:10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

人によって、神様に対するイメージは様々です。
ある人は、神様を意地悪な存在としてイメージしています。
またある人は、気まぐれで何をするかわからないというイメージを持っています。
八百万の神として、頑張れば人間でもなれるようなイメージで神を想像する人もいます。

わたし達クリスチャンは、聖書と言う神様を知る手がかりが与えられています。
聖書は、神様がわたし達に対して語りかけている言葉そのものです。
わたし達はこの聖書の言葉を通して、神様がどのような方なのかを知る事ができるのです。

今日は、これまでの列王記の話を中断して、ヨナ書を読んでいきます。
ヨナ書を通して、神様がどのようにわたしたちを思い、私たちと接して下さるのかという事を学んでいきたいと思うのです。

① 敵を愛し、迫害する者のために祈る
さて、聖書の中の預言者というのは、予知の予ではなく、預かるという意味の預金の“預”という言葉を使います。
これは、聖書の預言者と言うのは未来を予知する人の事ではなく、神様の言葉を預かって、人々に伝える人達の事を意味しているからです。

ある時、預言者として神様に選ばれた、ヨナの上に神様からの言葉が下ります。

ヨナ 1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

大きな町ニネベというのは、アッシリア帝国の首都です。
アッシリア帝国は、当時どんどん勢力を伸ばしていた大帝国で、小さな国々を次々に侵略していました。
彼らはまた、残虐である事もよく知られていました。
捕虜の体の皮を生きたままナイフで剥いで壁にはりつけたり、口の中に手を突っ込み、その舌を根元から引きちぎったり、彼らが通った後には、槍で串刺しに刺された遺体が何本も突き立てられて林立していたと碑文には記録されています。

この頃すでに、たくさんのイスラエル人がアッシリア帝国によってひどい殺され方をしていました。
この物語の主人公であるヨナという預言者は、彼の国イスラエルの脅威であり、敵であったアッシリア帝国の首都ニネベに行って、裁きが下る事を伝えよと、と命じられたのです。

しかしヨナは、ニネベという町に行く事をとても嫌がって神様に逆らいました。
ニネベに行くのとは反対方向に向かう船に乗りこみ、神様から逃亡しようとさえしたのです。
それは、ヨナがニネベに行く事を通して、神様はニネベの人々にチャンスを与えている事を知っていたからなんです。

アッシリア帝国は、イスラエルの敵です。
このまま放っておけば、必ずイスラエルの脅威となる。
そんな敵を助けるために、救いのチャンスを与えるだなんてとんでもない。
敵であるアッシリア帝国は、今すぐ滅んでしまえばいいんだ。
これが、ヨナの頭の中にあった事です。
当然と言えば当然の事です。
イスラエルが、アッシリアにどれだけ被害を被っていたかを考えれば、ヨナの気持ちはとてもよくわかります。
しかし、神様はアッシリアを救うために、ヨナを送り出したかったのです。

イエス様はこの様に言われました。

マタイ 5:44b 自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

ヨナ書の物語は、イエス様が生まれるよりずっと前の話です。
しかし神様は、ヨナにそれを実践させようとしているかのようでした。
神様は、この出来事を通して、神の愛がどのようなものであるかを教えようとしていたのです。

② わかってくれる神様は
神様の命令に逆らって、反対方向の船にまで乗ったヨナでしたが、結局は連れ戻され、紆余曲折を経てニネベの町にたどり着きました。
そこでヨナは観念して、神様から与えられていたメッセージをニネベの人々に伝えました。
ヨナは町中に立つと「お前達は40日の内に神様によって滅ぼされるだろう。」と大声で叫んだのです。
「だから神様に立ち返りなさい。」なんて親切な事は言いません。
「いっそそのまま滅んでしまえ。」と言いたいくらいの勢いで叫んだ事でしょう。
にも関わらず、ヨナの言葉はそれを聞いたニネベの人々の心に響いたのです。

ニネベには一日の内に大リバイバルが起り、王様も奴隷もその罪を悔い改め、神様に立ち返えりました。
日本の街中で同じ事をしても、リバイバルは起りませんよ。(実際にしている人達もいます。)
しかし、これこそがニネベの人々にとって必要なメッセージだったのです。
かくして、ニネベの人々は悔い改め、神様はニネベに対する裁きを取りやめました。

しかし、それが木に食わなかったのはヨナです。
ヨナは、不機嫌になり、怒って神様に噛みつきました。

4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
4:2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
4:3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」

あの邪悪なアッシリア帝国が裁かれないなどと言う、そんな馬鹿な事があるはずがない。
そんな事なら自分が死んだ方がましだと、ヨナは体を投げ出して神様に抗議したのです。
すると神様は、そのヨナに対してどうしたでしょうか?
「何を生意気な事を言っているのだ」と言って叱り飛ばす事もできたでしょう。
それだって当然のことだったと思います。
ところが、神様はそうしませんでした。

ヨナは町から出て、町を見渡せる丘の上でニネベの様子を見守っていました。
そこに神様は、とうごまの木を生えさせてその葉によってヨナの上に影を作ったのです。

4:6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。

神様が人の不機嫌を直そうとされたって、どういう事ですか!?
しかしとうごまがヨナを覆っていたのは、その日一日だけのことでした。
次の日の朝、ヨナが気にいっていたとうごまの木は、虫に噛まれてあっさりと枯れてしまっていました。

やがて太陽が照りつけてくると、とうごまがあるという事がどれだけ暑さを緩和していたかという事がよく理解できました。
そこに緑があるかないかは、ただ陰を作るだけでなく温度を下げる効果があったんですね。
この様に書かれています。

4:8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」

また「死んだ方がましだ。」が始まりました。
こうしてヨナは、再びふて腐れてしまったんですね。

神様はもちろん、人にへつらうような方ではありません。
わたし達に対して厳しく叱りつける事もあるでしょう。
しかし、わたし達に正当な理由がある時には、ちゃんとそれを理解して下さる公正さを持った方なのです。
神様は、ヨナの気持ちをよく理解してくれました。
ヨナの怒りは、アッシリア帝国によって祖国の家族や仲間を失い、イスラエルの悲しみを思ったうえでの怒りだったのです。
神様はヨナのその訴えに対してちゃんと耳をすませ、理解し、共感した上で、ヨナを優しく諭したのです。

こう言っては何ですが、神様の前にわたし達はただの被造物です。
わたし達の不満なんて、本当は神様が気にするような事ではないはずです。
しかし神様は、わたし達の不満や訴えをちゃんと聞いて下さる。
なぜなら、神様はわたし達を愛しているからです。


とうごまを失って悲しみ嘆くヨナに対して、神様はこの様に言いました。

4:10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

あなたは、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごま、はかない、意味も価値もないと言えるようなこのトウゴマに対して憐れみと優しい心を向けている。
ましてや、わたしが自分自身の手で愛をもって創造したこのニネベの人々を、私が惜しまないでいられようか、そこには右も左もわきまえない十二万以上もの人々がいるではないか、と神様は言ったのです。

トウゴマというのは、間違って子供が口にすれば大事故になりかねないような毒草です。
そんな毒草ではあっても、時と場合によれば惜しむ事があるのです。
ましてや、神様が心をこめて創造したニネベ人ひとりひとりを、例え毒草のように害を与えるものであっても惜しまないはずがない。
アッシリア帝国という敵のために、どうしてそんな事をしなければならないんだというのがヨナの主張でしたが、考えてみれば、わたし達だって神様の敵だったのです。

神様はわたし達を愛する存在として創造しました。
にも関わらず、わたし達人間は、お互いに傷つけ殺し合い、全てを台無しにしてきました。
神様はこの世界を美しいものとして創造しました。
にも関わらず、わたし達人間は、それを汚し、破壊し、滅ぼしてきました。
そしてわたし達は、わたし達を創造してくれた神様の存在そのものを否定し、そのくせ自分にとって都合の悪い事を神様のせいだと決めつけてきました。
わたし達は神様を愛するために生まれてきましたが、そんなわたし達が神様から離れた時、わたし達は神様に反逆する敵となったのです。

神様は創造者、わたし達は造られたものでしかありません。
わたし達が粘土細工をしている時、失敗したからと言って潰してしまうように、今すぐすべて滅ぼされたとしても文句は言えないでしょう。
確かに、やがて終りの時はきます。
その時には、全ての悪が清算され、悪は滅ぼされなければなりません。
しかし、神様はできれば誰も滅ぼしたくなんかないのです。
ひとりでも多くの人が救われてほしいと望んでいるというのが、このヨナ書を通して、神様がわたし達に伝えている事なのです。

神様は、敵であり、反逆者であり、神様が造った者を台無ししてきたわたし達のために何をしたでしょうか?
神様はわたし達を救うため、自らの命であり、ひとり子であるイエス・キリストを十字架にかけてわたし達の身代わりとし、それと引き換えにわたし達を救おうとしているのです。

ヨハネ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神様は、意地悪な方ではありません。
神様は、気まぐれでわたし達の運命を弄ぶような方ではありません。
神様は、わたし達を愛し、わたし達のために命をかけてくれる創造主なのです。

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