黙示録4:1-11 『黙示録⑦~栄光を受けるにふさわしい主 』 2011/10/16 松田健太郎牧師

黙示録4:1~11
4:1 その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
4:2 たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
4:3 その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
4:4 また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
4:5 御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
4:9 また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
4:10 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

僕が、皆さんから財布をお借りしたとします。
財布を借りたので、ではその中に入っているお金を、貧しい人達に配ったとしたらどうでしょうか?
僕は財布を借りたのだから、その権利を持っているでしょうか?

借りた財布の中に入っているお金を自由にする権利は、僕にはありません。
借りたのだから、どう使おうと自分の勝手ではないのです。
では、財布の中のお金を自由にする権利は誰が持っていますか?
それは、この財布とその中身を本当に所有している持ち主ですね。

それほど優れたたとえ話ではありませんので、あまり深くは考えないでください。
でも、わたし達は時として、神様に対してこのような間違いをしてしまっているのではないかと思うのです。
わたし達は、借りているにすぎないこの世界を、自分の物であるかのように自由気ままに消費し、自分自身の体や心や命を自分勝手に使ってしまっています。
しかし、この世界やわたし達の本当の所有者は、わたし達ではなく、この世界のすべてと、わたし達を創造した神様であるはずです。

黙示録は、ここから終末に向けて話が進んでいきます。
この世の終わり、神の裁きを考えた時に、必ずその事に疑問や不満を持たれる方がいるんです。
それは、「神に何の権利があってわたし達の歴史に介入し、わたし達を滅ぼすのだ。」という事です。
皆さんの中にも、そのように感じている方はいらっしゃるでしょうか?

答えはいたってシンプルだと僕は思っています。
でも同時に、とても繊細な問題で、納得していただくように説明するのは難しい事です。
一回のメッセージでそれが完全にクリアになるとは到底思いませんが、今日の聖書の言葉を通して、共に考えていきたいと思います。

① 権威ある主
さて、ヨハネは最初に出てきた神様の声に呼ばれて、天の御国への門をくぐります。

4:1 その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
4:2 たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
4:3 その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
4:4 また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。

ヨハネはそこで、御座を見ました。
御座というのは、いわゆる王座ですね。
そして、そこに座っている方がいて、それは宝石のような方であり、その周りには24人の長老たちがいました。
この王座に座っているのは、天の父なる神様です。
姿形を持たない神様にどうして宝石のように見えるのですか?
どうして王座に座ってるんですか?
そして、24人の長老たちは誰なのでしょうか?

ヨハネがこうして預言の中で示されている一つ一つの事は、彼が霊によって感じた事の表現です。
なので、天国には実際に王座があってそこに神様が座っているのかとか、神様は宝石のような姿をしているのかという事ではありません。
むしろ、そこに象徴されているものに意味があるのです。
それは、尊さ、価値の高さ、そして王としての権威です。

この黙示録のシリーズの最初の時にお話しした事ですが、黙示録が書かれた時は、クリスチャンが大迫害を受けていたドミティアヌス帝の時代です。
その他にもシーザー・カエサルや、カリギュラと言った皇帝達がローマ帝国の全ての権威を握り、神として崇められ、思うがままに人々を捕え、裁いていました。
人々はそこに権威を見いだし、恐れ、服従していたのです。
しかし、天の御国に広がるその権威に比べたら、地上の皇帝の権威など比べる価値もないほどに小さなものです。
人を裁く権威を持つのは、皇帝ではなく、王の王である神だけなのです。

わたし達は、本当の権威を持っているものは神おひとりであるという事を信じているでしょうか?
日本の政府や天皇陛下が権威を持っていると考える日本人は、今は少ないかもしれません。
でも、テレビの言葉に権威を感じていたり、大学教授が言う事は正しいに違いないとわたし達は神様の言葉に優先してその言葉を聴く事がないでしょうか?
あるいは、自分自身こそが、自分の人生に対する権威を持っていると、わたし達は考えていないでしょうか?

今のわたし達の人生は、借りた財布のように、ひと時の間借りているだけの物です。
わたし達の命や人生を取り扱う権威を本当にもっているのは、神様なのだという事を忘れてはならないのではないでしょうか?

② 聖なる主
ヨハネは次に、御使いを目にしました。
皆さんは御使いとはどのような姿をしていると想像していますか?
羽根の生えた赤ちゃんでしょうか?
あるいは、金髪で美しい姿をした、背の高い人々でしょうか?
ヨハネは、御使いをこの様に描写しています。

4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は、ししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶわしのようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」

まるで妖怪か宇宙人のようですね(笑)。
これも、その存在を象徴的に描写したものにすぎません。
実際にそのような姿をしているという事ではないんです。
しかし、この御使いがどのような存在だったかという事よりももっと大切な事があります。
それは、この御使い達が昼も夜も絶え間なく叫び続けた言葉の内容です。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」(4:8)

万物の支配者であり、過去と現在と未来の全てにおいて存在する神である主という言葉は、どれも神様の権威を表した言葉です。
しかしその中でも、神様がこの世界を滅ぼす権利を持つという事に関して最も重要な言葉は、最初に3度繰り返されている、“聖なる”主という言葉です。

ローマ皇帝は神として崇められ、国の中では絶大な力を持っていました。
もちろんその力は、全能の創造主である神様に比べるまでもないものですが、国の中では大きな権力を持っていたのです。
しかし、彼らの存在は、力や権威が悪と結び付くとどれだけ恐ろしい事になるかという事を明らかにしました。

もしも、全能の力をもった神様が悪のお方であったなら、それは何と言う悲劇でしょうか。
しかし幸いな事に、神様は正しいお方であり、愛のお方であり、聖なるお方なのです。
でも、その聖なる方であり、愛の方でもある神様が、この世界を滅ぼさなければならない時が近づいているのです。
それは、この世界が罪によって完全に穢れた存在となってしまっているからです。

自分自身も含めて、人は何とエゴイスティックで、自己中心的なのだろうと僕は感じています。
この世界にあふれる生きづらさ、落胆、絶望は、すべて人の罪から来ているものです。
もちろん神様が作ってくれた素晴らしさを見る事もあるのですが、それを台無しにして踏みにじるのはいつでも人間の罪です。
その中で、弱く純粋な人ほど叫び声をあげています。
「神様、どうして助けてくれないのですか? どうしてこんな事が起るのを許されるのですか?」
助けを呼ぶその声に、神様は応えなければなりません。
そのために、この世界が終わり、新しい時が来なければならないのです。

③ 創造の主
この章は、クリスチャンの代表と言われる24人の長老たちの、この様な言葉で締めくくられています。
4:11 「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」
神様が、わたし達人類を裁く権威をもつという3つ目の根拠は、神様がわたし達の創造主であるという事です。

わたし達は、自分が子供を産んだのだから、子供は自分の好き勝手にしてもいいという事は言えません。
子供にも人格があり、生まれてくればひとりの人間だからです。

でも、神様とわたし達の関係を考えれば、同じように言う事はできません。
神様は創造者であり、わたし達は作られたものです。
イザヤ書にはこの様な言葉があります。

イザヤ29:16 ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。

そして、陶器師は自分が作った作品を壊して、作り直します。
それが当たり前のことであり、何の疑問も挟む必要のない事です。
そうであれば、神様は何か気に食わない事があれば、わたし達を廃棄し、壊して作り壊すことだって当たり前の事でしょう。
わたし達がとやかく言えるような事ではありません。
神様に背いて罪に染まり、悪を行うわたし達を滅ぼすのに、創造主である神様ほど相応しい方はいないでしょう。

しかし、それが当り前であるにも拘らず、神様はそうはしないのです。
神様は、本当は誰も滅ぼしたくなんてありません。
本当は滅んで当たり前のわたし達のために、神様は忍耐をもってわたし達が変わる事を待ち、ひとり子イエス・キリストを十字架の上で犠牲にしてまで、わたし達を救おうとしました。
そして、ひとりでも多くの人が救いに入るのを、神様は待っています。

そして一つの魂が救われる時、天国では大歓声があがり、天使達が祝宴を開いて喜び祝うのです。

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