黙示録6:1-7:17 『 黙示録⑨~大患難時代の始まり 』 2011/11/13 松田健太郎牧師

黙示録6:1~7:17
6:1 また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを私は聞いた。
6:2 私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
6:3 小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。
6:4 すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
6:5 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
6:6 すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
6:7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい」と言うのを聞いた。
6:8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。
6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。
6:12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。
6:14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
6:15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
6:16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
6:17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押さえ、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。
7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
7:3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
7:5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、
7:6 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、
7:7 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、
7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。
7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」
7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。
7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

黙示録という本を読んでいて分りにくいと感じる部分のひとつは、恐らく場面がめまぐるしく変化するという事にあるのではないでしょうか?
物語として書かれているのでもなく、理論的に順序立てて書かれているのでもなく、まるで無声のアクション映画でも見ているように、場面だけがめまぐるしく変化していくのです。

ですから、黙示録を読み解いて行くひとつのコツは、そのシーンの流れから大きなメッセージを受取っていくという事ではないかと思うのです。
その上で、一つ一つのシーンに描かれているものの意味について、推測したり、解釈する事ができるだろうと思います。
少なくとも今の段階でわたし達にできるのは、黙示録の中に描かれているひとつひとつについて考えていくよりも、大きな流れをつかんで全体像を知るという事ではないかと思うんです。

今日からの個所で描かれているのは、黙示録の中で一番大きなセクションと言っていいでしょうか。
6~16章にかけての11章に渡って描かれているのが、この“大患難時代”と呼ばれる時について描かれています。
大患難時代は、3重構造になっています。
まずは7つの封印の禍(わざわい)。
7つ目の封印が解かれ、いよいよ最後の禍が始まると思っていると、最後の封印の禍は7つのラッパの裁きによって構成されている事がわかります。
そして7つ目のラッパが吹きならされると、そこから7つの鉢の禍が始まるのです。
今日はその中の、7つの封印の禍について一緒に見ていきたいと思います。

① 禍は人の罪によって始まる
3週間ほど遡って、前回の話を思い出してみていただきたいんです。
前回のお話には、7つの封印がされた巻物が出てきました。
この巻き物は人々によって喜びであり、恐らくはわたし達が天の御国に行くために必要な最後の条件。
そして、これはイエス様にしか開く事ができないのです。
イエス様がその巻物を手に取り、封印を開いた時、そのひとつひとつから禍が始まります。

第一の封印が解かれると、白い馬に乗った弓を持つ人が出てきます。
これは、戦争に勝利してもまだ勝利を重ねようとする人の姿が表わさています。
第二の封印が解かれると、赤い馬に乗った人が出てきます。
これも戦争や紛争を暗示していて、多くの人達が死んでいきます。
第三の封印がとかれると、黒い馬にのった量りを手にした人が出てきます。
これは、食糧情勢が悪くなる事を暗示しています。
第四の封印が解かれると、青ざめた馬が出てきて、死を象徴する人が乗っています。
ここで戦争と飢饉と病気、地上の動物たちによって地上の四分の一の人達が死んでしまうのです。

この4つの禍には、それぞれに白、赤、黒、青ざめた色の馬が出てきます。
実は4頭の馬というのは、旧約聖書の中にも出てくるんです。
色や順番は若干違うのですが、ゼカリヤ書というところにも4頭の馬が出てきたんですね。
それを見ると分るのですが、馬のビジョンは戦争を象徴しているのです。

この時代、人が移動のために使う手段はほとんどが徒歩でした。
何か荷物があったり、遠くに行くために何かの乗る必要があれば、人々はロバに乗ったのです。
高価で、しかし早いスピードを出す事ができる馬を使うのは、戦争の時です。
つまり、禍は戦争の形で始まるという事だろうと思います。
具体的に、どういう事が起るのかという事は、僕にはわかりません。
しかし言えるのは、これは人によって起こされるものだという事です。
神様がこの災いを起こしているのではないのです。
それは、第5の封印が解かれた時に、殉教者が復讐を求めて叫ぶ所からもわかります。

この殉教者とは、クリスチャンたちの事です。
彼らを殺したのは誰でしょうか?
もちろん、神様が裁きのためにクリスチャンを殺したのではありません。
彼らは、罪の力に身を任せる人々によって殺されたのです。
だからこそ彼らは、自分を殺した人々の上に一刻も早く裁きを下して欲しいと、神様に懇願するのです。

わたし達は最後の審判と終わりの時という事をイメージする時、神様によってさまざまな裁きをされるというイメージを持っているのではないかと思います。
特にこの6章から16章にかけての大患難時代と呼ばれる物に関しては、まるで神様が人類を憎むかのように、次から次へと禍を起こし、しかも一度に殺してしまうのではなくじわじわと何度にも分けて禍を起こしていくような・・・。
だから黙示録は怖いと思う訳ですよね?
でもそれは、神様のご計画とは全く違うものです。

大患難時代に起る災いには、3つの種類があります。
他の二つに関しては別の機会にお話ししていこうと思いますが、この7つの封印が解かれていく中で起る裁きに関して言えば、人によって起こされる禍なのです。

わたし達の根本的な罪は何かと言えば、それはわたし達が神様から離れ、自分自身を神としようとしている事にあります。
それが原罪ですね。
しかし、その原罪を持っているために、わたし達は行いとしても本来するべき事ではなく、するべきではない事をしてしまいます。
それが、行いとしての罪です。
神様は、わたし達が神様に立ち返り神様との関係をもう一度築く事ができたなら、行いとしての罪からも離れなさいと言っています。
なぜでしょう?
罪は時としてとても魅力的に感じるものなので、時として神様がわたし達をモラルという型に押し込めようとしてるかのように感じてしまう事があります。
でもそうではありません。
罪というものはどんなに魅力的に感じるようなものであっても、わたし達を傷つけ、痛みを与え、最後には死に至らせるものであるからです。

神様は、わたし達に罪から離れなさいと言います。
しかし、わたし達はその罪から離れません。
そしてどんどん神様から離れ、自分の欲望、情欲、そういったものに押し流されていくままに滅びに向かっていく。
最後には神様がその災いが起るのを留める手を緩め、大患難時代へと突入していくわけです。

② 裁きはなぜ、すぐに起らないのか
もう一度、第5の封印が解かれた所から見てみましょう。
第五の封印が解かれると、これまでに死んだ殉教者たちが、最終的な裁きの時を求めて叫ぶのです。

黙示録 6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」

すでに何度もお話ししている事ですが、この黙示録が書かれていた時には、大迫害によってすでに多くの人達が死んでいました。
彼らはイエス様がすぐにでも戻り、この世界が終わると思っていたのです。
しかし、神様はいつまで経っても最終的な裁きを下そうとしない。
だから彼らは叫び求めるのです。
「神様の正義はどこにあるのですか? この様な不法を、どうしていつまでもお許しになるのですか?」
すると、神様は彼らを慰めるように語ります。
黙示録 6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

この時点では、神様の時はまだ来ていません。
まだ、多くの人達の命が奪われ、迫害が続かなければなりません。
なぜ遅いのでしょうか?
聖書の別の個所ではこの様に表現しています。

IIペテロ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

救われるはずの人達がこの地上にひとりでもいる限り、最終的な裁きはまだ起こらないのです。
神様はひとりでも多くの人達が救われ、神様の元に立ち返って欲しいと願っているのです。

③ 多くの人の救い
第六の封印が解かれると、大地震が起り、太陽は黒くなりと月は赤くなり、天からは星が落ちてきます。
これを見て多くの人達が恐れを抱き、隠れ、神様の怒りから逃れようとすると聖書黙示録には書かれています。
地球規模の大変な災害が起っているのですが、これは災害を起こす事が目的ではありません。
新しい天、新しい地が作られるためには、今あるものは過ぎ去っていかなければならないのです。
そのために地球規模の変革が起り、今この世界が作りかえられようとしている事を表しています。
だから4人の御使い達が現れ、人々に救いのしるしである印が額に押されるまで、誰にもまた地にも海にも気にも害が与えられないように守っている様が描かれています。

この時、印を押された人達の数は、144,000人だったと聖書には書かれています。
これはイスラエルの12部族からそれぞれ12,000人ずつ。
つまりこれはイスラエル人の救いを表しています。
そしてこの数字は実際の数ではなく、12部族と完全数の12をかけた数からくる象徴的な数字で、かなり多くの人達が救われるという事を意味しています。

その時、神様のもとではすでに死んだクリスチャンたちが現れ、宣言します。

黙示録 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

ここに出てくる人達は、ヨハネと御使いとの会話の内容から、この大患難時代を経験して、そこで救われた人達を表している事がわかります。
多くの人達が、クリスチャンであるからこそ迫害を受け、しかし多くの人達が、患難の中でイエス様と出会って救われるのです。

最後の時に起る患難は、とても恐ろしいものです。
地上にいる全ての人達が絶望的になるような出来事が、次から次へと起ります。
そしてそれは、わたし達人類の罪が引き起こしたものなのです。
しかし、その絶望的な状況の中で、これまで決して救われる事がなかったイスラエルが神様に立ち返り、多くの人達が救われるのです。
逆に言えば、この様な状況でなければ救われない人達も、どれほどたくさんいるかという事なのではないでしょうか?

わたし達が時として経験する辛い経験、悲劇も、わたし達は「神様どうしてこのような経験をしなければならないのですか」と思う事も少なくはありませんが、それはわたし達にとっては必要な経験だという事ではないでしょうか?
それと同時に、このような何の希望も持てないような出来事の中にも、神様は喜びをもたらして下さる事ができるという事を信じていなければならないのだと思います。
実際に、3月11日の地震以降、たくさんの人達が救いに導かれましたね。
今、黙示録にされているように、大きな災害が世界中で起り、たくさんの人達の命が失われています。
そのような時にこそ、人々の心が神様に向けられていくように祈りつつ、わたし達は福音を述べ伝えていかなければならないのだと思うのです。

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