ルカ19:11-25 『 ミッションの発見と賜物の活用 』 2012/07/29 小西孝蔵

ルカによる福音書19章11節~25節
19:11 人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。
19:12 それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
19:13 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。
19:14 ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。

19:15 さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。
19:16 最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。
19:17 主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。
19:18 次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。 19:19 そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。  

19:20 それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあり
ます。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。
19:21 あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。
19:22 彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。
19:23 では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。

19:24 そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。
19:25 彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。

19:26 『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。
19:27 しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」。

1.イエスのたとえ話
オリンピックが始まって、寝不足になってませんか?
皆さんが両親やご主人など最も近しい人から100万円渡されて、好きに使っていいが有効に使いなさいと言われたとしたら、その100万円をどう使いますか?…・・車を買う?旅行に出かける? 我が家の息子は、起業したいという返事。
イエス様のたとえ話には、きわめて日常的で生活に密着した、わかりやすいもの。ギリシャのドラクマやタラントなどお金にかかわるたとえが多い。イエス様は、生活者であり、ビジネスマンではなかったかと思わせるぐらいお金のことにも通じておられた。バビロン捕囚後からエルサレムに帰還した時から、当時経済的に繁栄していたギリシャの影響を受け、商売が盛んになっていたユダヤ人にとって、お金やビジネスのお話はとても身近でわかりやすかったと思われる。ある意味で、私たち現代の日本人にもぴったり当てはまるような気がしますので、今日は、ビジネスのたとえ話から学んでみましょう。

19:11 人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。 19:12 それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
19:14 ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。

当時は、神の国がすぐに到来するという期待感が強かった。特にイエスが、エルサレムに上られる直前なので、その切迫感は一層高まった。現実の世界から逃れたいという人たちも多くいたことでしょう。そんな時に、イエスが、お金とビジネスときわめて日常的なたとえ話を用いて、この世でどのように生きるべきかを人々を教えられたのです。

12節と14節の背景には、イエスが生まれた頃イエスを殺そうとして幼子を虐殺したヘロデ王の息子、アケラオが悪い王として知られ、ローマに就任の承認を受けに出かけた時にユダヤの人々の反発を招いていたという背景があるようです。なぜ、イエスは、わざわざ、こんな悪い王の例を出されたのか? よくわからない所がありますが、悪が根強く生き残り、この世の不条理は続くが、その中で、耐え忍んで生きていくことの意味を教えておられるのではないでしょうか。

19:13 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい

1ミナ=100ドラクマ、1ドラクマは当時の1日の労働者の賃金に相当する銀貨で、現在の100万円と考えてよい。当時の4ドラクマ銀貨は、フクロウをかたどったテトラドラクマといわれるものが残っています。王は、10人の僕に1ミナ(100万円)ずつ平等に与えられ、その1ミナで商売をしなさいと言われた。当時は、ギリシャやローマの経済圏にあったので、貿易や商業活動が盛んで、今日の商社や銀行が多く活動していたようです。当時世界で最も経済的に豊かなギリシャは、今日のドル経済圏のようなドラクマの経済圏を持っていましたから、今ユーロから離脱して「ドラクマ」貨幣に戻ることが取りざたされている今のギリシャとは大違いです。
なお、マタイの福音書25章では、同様のたとえがありますが、僕によって5タラント,10タラントと与える金額が違っています。しかも、1タラントは60ミナ、すなわち6千万円、とても大きな金額で、しかも人によって3億円、6億円と与えられた金額が違います。その比較をすることは、本日の主題ではありませんが、ルカのたとえ話では、すべての人は、神様から等しく与えられているということ、マタイのたとえ話では、与えられた賜物は、人によって様々だということではないでしょうか。

19:15 さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。

王が金を渡していた最初の僕は、1ミナを10倍に増やしたので、「あなたは小さいことに忠実であったから」として、王から褒められ、10の町を支配する特権を与えられました。次の僕は、5倍に増やしたので、やはり王から褒められて、5つの町を与えられました。3番目の僕は、過酷な税金を取り立てるような怖い王様だったので、与えられたお金を使わずにタンスにしまいこんでしまった。王は、「銀行に預けていたら利子がついたはずなのに、と言って王様から怒られ、持っているお金を取られてしまいました。
当時の銀行は、質屋と両替商を兼ねたようなものでしたが、紀元前5世紀には、アテネにすでにできていたようです。利息は、一般的に10パーセントを少し超えるくらいですから、今の日本のゼロ金利とはずいぶん違って高かったようだ。確かに、利子すらつかないようにお金を仕舞い込んだのは、リスクもとらない安易な管理の仕方であったのだろうと思います。

2.ミッションの発見と賜物の活用
さて、このビジネスに関するイエスのたとえ話から、何を学びますか。『これで商売をしなさい』という、この言葉に出会って、ルーク19という会社を起業し見事に成功した日本人女性のビジネスウーマンがいます。ただ、イエスは、必ずしも、私たち一人ひとりにビジネスをしなさいと言っているわけではないと思います
まず第一に、神様は、私たちそれぞれに、様々な賜物、”gift”を与えておられるのと同時に、ミッション(使命)を与えておられるということです。私たちには、お金やビジネス、音楽やスポーツの才能も含め、能力、知恵、素質、環境、健康、家庭・・・・。自分では気づかないもの、あるいは、当たり前のように思ってしまっているけれども、神様は、その人にしかない、かけがえのない賜物を与えてくださっています。そして、賜物と同時に、その人にしかないミッション(使命)も与えておられる。神様は、私たちが、その使命を果たし、神様の御用のための賜物を活用することを望んでおられる。先週、健太郎先生がおっしゃっていた、神様からの召しもそうだと思います。。
私たちは、時々自分は何のために生きているのか、何のために働いているのかわからないと思うことがよくあります。私自身も若いころ、人と背比べの競争をしているうちに、自分は、自分に与えられたミッションや賜物がわからず、自己中心の罪に深刻に悩んでどうしようもないほど落ち込んだことがありました。その時に、クリスチャンの先輩から、「ありのままでいいのだ。主に信頼して、目の前のことを忠実に行いなさい。あなたには、ふさわしいミッションと賜物が与えられているのだから。」と教えられて、次第に立ち直ることができました。でも、時として、神様からの恵みやミッションを忘れて、自己中心的な生き方に陥りがちです。
この教会には、若い方やたくさんおられるので、特に学生の皆さんには、よく勉強し、大いに体を鍛えて神様から与えられた才能を伸ばしてほしいと思います。と同時に、私たちの生活や仕事の場で、神様から何をミッションとして与えられているのか、どうしたら、自分に与えられた賜物を生かして神様の御用のために働けるのか、絶えず、祈り求めていくことが大切です。
私たちの 最大のミッションは、人に仕えること、隣人を愛することです。イエスは、私があなた方に仕えたように、あなた方も、お互いに仕えあいなさい、と仰っています。これは、最近、顧客に仕えるビジネスリーダーの心構えとしてよく使われる「サーバントリーダー」という言葉の原典でもあります。

マルコ 10:43  「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 10:44 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。 10:45 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

3.小事に忠実でありなさい
今日のたとえ話から教えられる第二の点は、小事に忠実でありなさいということです。お金を得るために働くことは、小事かもしれませんが、その使いかたが大事なのであって、目的によってよくも悪くも用いられます。ビジネスの才能がある人は、大いに稼いだらいい。問題は、利益至上主義ではなくて、得られた収益をどう使うかです。聖書は、勤勉に働き、得られた報酬や富をしっかり管理して、自分の生活のためだけでなく、まず、神様の御用のために役立てなさいと教えています。ルカの16章10~13節もそうです。

ルカ16:10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。 16:11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。6:13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

山崎パンの飯島社長は、熱心なクリスチャン経営者で、ピータードラッカーの弟子でもあります。聖書の教えをそのまま、会社経営に取り入れ、山上の垂訓に即して、会社のマネジメントをしておられる。会社のミッション(使命)とは何か、顧客とはだれか、顧客はどういう価値を求めているかを絶えず考えている。会社の利益の中から、ワールドビジョンと連携した国際協力や、東日本大震災の支援活動を会社を挙げて取り組んでいる。今も、一番復興が遅れているといわれている岩手県の大槌町のために独自の支援を行っています。
サラリーマンの方は、日々の仕事、目の前の仕事に、時が良くても、悪くても、誠実に取り組むことが大事です。嫌な上司でも心を込めて仕えるのです。会社のコンプライアンスは、率先して守りましょう。小事に忠実であることが大事なのです。しかも、お客様や従業員から信用を得られる目的と方法で仕事をし、その対価として、報酬を頂き、そして、それを神様の御用のため、神の栄光を表すためにささげることです。
家事をするときも同じです。毎日のお皿洗い、料理、洗濯と掃除も小事ですが、大事に通ずるものです。息子も私も女主人に喜ばれようとして、最近心してこれらに励んでいます。
お金は握りしめないこと。あくまで心構えとしての話ですが、いつでも神様の御用のために使えるよう手のひらに載せて持っておくことが大事だと思います。昔、ある方から聞いたおサルさんのお話ですが、サルの手がやっと入るような柵の中に餌を置いて様子を見ているとサルは、手で餌をつかみます。そのとき、急に驚かしてサルを追い立てると、サルは、餌を握ったままの状態で、柵の中に入れた手をひっこめることができず、捉えられてしまったそうです。サルには不名誉なたとえですが、人間も、お金や名誉それらに執着するあまり、身動きできなくなくことがあるので、注意しましょう。

4.借金人生からの解放の喜びと感謝
ルカのたとえ話から、神様から与えられたミッションと賜物の活用の仕方について学んできましたが、私たちは、弱い人間ですから、どのようにしたら、その力が得られるのでしょうか。そのために、まず、私たちは、神様から賜物をいただく資格があるのだろうかということに気付くことです。
今日のお金のたとえを使いますと、私たちは、そもそも罪のために巨額の借金を負っているということです。パウロがいうように、自分の欲している善は行わず、欲していない悪を行ってしまう「罪の奴隷」から、神様は、対価を払って贖う、つまり、買い取って自由にしてくださったのです。イエスの足を自分の髪の毛でふいてくれた罪ある女を前にして弟子に語ったたとえ話があります。

ルカ 7:41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。 7:42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。 7:43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。

罪のない神の子イエスが、私たちの自己中心の傲慢な罪に縛られたいわば奴隷状態から、十字架上の死という対価を払って解放してくださった。そんな私たちが、おまけにこんなに大きな恵みや賜物を与えられて、実に有難い、もったいない。そうした喜びと感謝の気持ちから、神様の御用のために、隣人のためにささげようという気持ちになっていくのです。地の塩、世の光には、自分の力ではなれなくても、イエスの光を反射していけば、自ずと与えられた使命を果たし、賜物を活用する力が与えられると思います。
最近、ベストセラーになりつつある、ノートルダム清心女子大学の学長である渡辺和子さんの「置かれた場所で咲かせなさい」という本を読んで、感動しました。35歳の若さで、未知の場所で、未経験の管理職を任され、周囲から挨拶もされない厳しい環境の中で、ある宣教師から、この詩の一節を教えられて目を開かれたそうです。どんな場所でも神様は、居場所、働き場所を用意して下さっている。私たちは、試練の直面している環境の中でも、神様の作品として、ミッション(使命)果たし、花を咲かせられるように導かれているのだ。たとえ、病に伏せて、ベッドの上であっても。
今日のお話は、神様から与えられたミッションを発見し、主の栄光のために賜物を活用するということ、小事に忠実であること、イエス様の十字架の赦しと愛によって力を与えられるということでした。愛の実践、ミッションの実行は、己の力ではできません、限界があります。私たちが、祈りを通して、イエスに自分を明け渡し、聖霊の力によって可能となるのです。
最後に、このことを端的にまとめている聖書箇所を2か所挙げてみます。

1ペテロ 4:7 万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。 4:8 何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
4:9 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。 4:10 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。 ペテロ 4:11 語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

1コリント 6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

私たちは、自分の足りないことに目を向けるのではなく、神様から多くの恵み、豊かな賜物を与えられていうことに日々感謝して、歩もうではりませんか。詩編136編の作者が、「主に感謝せよ、主は、恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と繰り返し歌い続けているように

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