『 Messy Church ② 健康な家族としての教会 』 2012/09/09 松田健太郎牧師

先週に引き続き、Messy Churchについて一緒に考えていきたいと思います。
Messy Churchとは何でしょう?
Messyというのはきたないという意味の英語で、きたない教会とう事です。
でもそれは、掃除をしていないとか、散らかっているという事ではありません。
新品の家にも、何年か経つうちに傷や染みが付き、汚れてきます。
しかしそれと同時に、それは生活感となり、汚れはその家がもつ味となって行きます。

家族にも、問題があったり、イイ事ばかりではないかもしれませんが、そこに家族の味があり、それでも家族である事に変わりはありません。

教会とは、主にある家族の集まりの場所であるというのが聖書の教えている事です。
わたし達は教会にきれいで問題のない状態ばかりを求めてしまいますが、教会に集うわたし達が罪人である以上、Messyな問題は必ず起り、キレイごとではない事が露呈します。
しかし、そこにこそ教会の味があり、汚れは教会が生きている事の証ともなるのです。
わたし達の教会も、キレイである事ばかりを目指し過ぎて自分の問題や欠点を押し隠してしまうのではなく、安心して自分をさらけ出して、赦しあい、愛し合える家族となりたいですねというのが、先週お話しした事でした。

今日は、そのような家族であるわたし達教会が、健康的な家族関係を築いて行く事ができるように、一緒に学んでいきたいと思います。

① 健康な家族としての教会を目指すために
どんな家族にも、争いは起るものだと思います。
日本語では、「ケンカするほど仲が良い」という諺がありますが、全く争いが起らない家族というのは逆に自分を表に出す事ができない窮屈な家族なのかもしれません。

Messy Churchは問題が起らない教会ではありません。
問題が起っても、共に解決していく事ができる教会です。
そして、その問題に対して一緒に取り組んでいく事を通して、みんなが成長していく事のできる教会です。

しかし、「どんな家族にも争いは起るもの」だとしても、仲直りして元通りになる事ができる家族もあれば、ある家族は殺人事件に発展するまで争う事もあります。
健康な家族の姿というものは、正しくケンカをする事を知り、よく赦し、過去の悪い事を水に流す事ができるような家庭ではないでしょうか?

現代の日本は、アメリカに追いつくような勢いで離婚率が上がり、崩壊した家庭がどんどん増えています。
わたし達は、自分が崩壊した家庭に育って行く中で、教会を健康に保つ事は大きなチャレンジだと言えるのかもしれません。
では、健康な家族としての教会を築いて行くために、私たちはどうしたらいいのでしょうか?

② 食事を共にする
一昔前までは、家族がみんなで一緒に食事をする事は、当たり前の事とされていました。
しかし、僕が子供のころにはその常識も崩されてきて、家族がバラバラに食事をするようになってきました。
それと共に離婚率は高くなり、崩壊家庭が増えてきたように思います。
一緒に食事をしなくなったから家庭が崩壊したというのは言い過ぎでしょうが、家族の絆という事を考えた時に、それは無関係だとは思えないのです。

聖書を見ると、イエス様は食事のシーンと共に登場する事が多いように思います。
イエス様が初めて奇跡を行ったカナの婚礼、パリサイ人との食事、食事の準備に忙しかったマルタとイエス様の話に耳を傾けたマリアの話し、2匹の魚と5つのパン、聖餐式・・・。
イエス様が、どれだけ多く人々と食事を共にしていたのかが描かれています。
そして黙示録では、熱くも冷たくもない信仰に留まるラオデキヤの教会に対して、この様に言います。

黙示録 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

それは、イエス様とわたし達の絆を深めようとする事であるのと同時に、そこにいる全て人達の関係が深まっていく事ではないかと思います。
先週行った聖餐式の時、ひとつのパンを裂いて分け合う事は、日本では同じ釜の飯を食い、ひとつのナベをつつくのと同じ事だと言いました。
そのような文化が、ユダヤの文化の中にも確かにあったのです。

栄養補給ということであれば、食事なんてひとりでもできますし、何を食べてもいいでしょう。
好きなものを食べて、足りない栄養をサプリメントで補えば食事と言えるかもしれません。
でも、私たちが食事をするという事は、それだけの事ではないのだと思います。
食事は、単に燃料補給する事とは違うのです。
食事を共にする事によって、体が満たされるだけでなく、心を満たされます。
だから、皆で一緒に食べる食事はおいしいんですね。

今日は、礼拝の後に愛餐会がありますね。
共に食事をしながら、お互いの関係を深めたいと思います。
そして、その交わりの中心にイエス様がいて下さる事をしっかりと味わいたいと思います。
また、礼拝の時以外にも色々な機会に、皆で食事をする機会があるといいですね。
ぜひお互いに声を掛け合って、ご飯を食べる時を共に過ごしていただきたいと思います。

③ 霊的な食事をともにする
さて、食事という事に関してもう一つお話ししたいと思います。
食事によってわたし達は体が満たされ、心が満たされるという事をお話ししてきましたが、次は霊の満たしについてです。

みなさん、霊の食事とは何でしょうか?
わたし達の霊は、どのようにして満たされるでしょうか?
それは、神様の御言葉によってなのです。
イエス様はこの様に言われました。

マタイ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

皆さんは、日々の生活の中で聖書を読んでいますか?
あるいは、デボーションをしているでしょうか?
デボーションは単に聖書を学ぶ事とは違います。
祈りと御言葉を通して、神様との豊かな時を持つ時間の事です。
こういう神様の言葉に触れる時間は、とても重要な時間です。
もしこういう時間を持っていない方がおられましたら、一日15分で良いから祈りと御言葉に触れる時間を持っていただきたいと思います。

こうして、イエス様と二人きりの時間を過ごす事によって、私たちのイエス様との関係はとても深いものになっていきます。
でも、霊的なパンを食べる時においても、私たちはこの霊的な食事の時を他の人達と物共にする事ができます。
ひとつにはこの礼拝の時がそうですよね?
あるいは、みんなでするバイブルスタディや分かち合いの時間は、私たちが共に霊的な食事をするひと時です。

わたし達がひとりで聖書を読んで学んでいるだけでは分らない事が、このような皆での食事の場で明らかになったりします。
また、色々な事を分かち合う時を通して、互いに教え合う事ができ、互いの絆が深まるのを実感する事ができます。
そして共に賛美し、共に祈り、みんなで同じメッセージに耳を傾ける中で、私たちはひとつの食卓に着くのと同じように、ひとつの家族である事を実感するのです。

単に賛美するだけならCDでもいいかもしれません。
単にメッセージを聞くだけなら、ネットで素晴らしいメッセージをいくらでも聴く事ができます。
その方が楽だし、知識は十分に得られるでしょう。
でもそれは、単なる霊的燃料補給になってしまいがちなのです。

わたし達は、心をひとつにして共に主を賛美し、礼拝する時、ひとりでネット礼拝をするのとは違う満たしを得る事ができます。
礼拝は、魂の団らんの時です。
より多くの家族が、ともにこの団らんと気を過ごす事ができますように心から祈ります。
わたし達は、主にある家族として、共に喜び、味わい、分かち合い、笑い、楽しみましょう。
もちろんそこには、messyな部分も起るでしょうけど・・・。

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