ルカ1:5-25 『 喜びの訪れ①~あなたは黙っていなさい 』 2012/11/25 松田健太郎牧師

ルカ1:5~25
1:5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。
1:7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
1:8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
1:9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
1:11 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
1:21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。
1:22 やがて彼は出て来たが、人々に話をすることができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。
1:23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
1:24 その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。
1:25 「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」

今日から、クリスマスまでの5回に渡って、ルカの福音書を読んでいこうと思います。
来週からアドベントにも入りますので、クリスマスに向けてのお話しです。

今日の聖書箇所は、イエス様の誕生ではなく、最後の預言者であるバプテスマのヨハネの誕生に関わる話しです。
聖書には、バプテスマのヨハネは、イエス・キリストという希望の光が世に出てくる前の兆しのような存在として、描かれています。
だからルカは、イエス様の誕生を描く上で、まずは兆しであるバプテスマのヨハネの誕生を描くべきだと思ったわけです。
では、どのような背景からバプテスマのヨハネは生まれてきたのでしょうか?

① 神様が用いる器
まずは時代背景に目を向けて行きましょう。
ここには、ユダヤの王、ヘロデの時と書かれています。

この時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありましたが、自治が認められていて王様がいました。
このヘロデ王は、ヘロデ大王とも呼ばれていて、イエス様が十字架にかけられた時代のヘロデ王のお父さんです。
とても嫉妬深く、自分の王位が狙われているのではないかといつも不安で、自分の親や兄弟、妻や子供まで、次々と殺して行った最悪の王として知られています。
イスラエルの人々は不安と恐怖におののいて、闇のように暗い雰囲気の中で絶望感に打ちひしがれていました。

バプテスマのヨハネの父ザカリヤは、由緒正しい司祭の家系でした。
そして父母共に、律法を守り、神様の前に正しい人達だったと描かれています。
しかし、彼らは問題を抱えていました。
妻のエリサベツには、子供ができなかったのです。

聖書には、なかなか子供ができなかった人達が何人も出てきます。
アブラハムの妻サラや、サムエルの母ハンナ、みんな子供ができない事を悩み、苦しんだ人達でした。
この時代、子供は神様からの祝福であり、子供が多ければ多いほど良いとされていました。
ましてや、祭司の家庭は世襲制なので、子供ができない事は大きな問題だったのです。

ヘロデ大王の恐怖政治による真っ暗な時代。
まるで神様からも見捨てられてしまったかのように子供もできず、徹底的な不可能の中で過ごす人々、それがこのザカリヤとエリサベツという夫婦だったのです。

② 恐れるな
さて、この祭司ザカリヤに、主の宮に入って香をたくという重大な役割が当たりました。
これは、神殿の一番奥にある至聖所に入るという事ですが、一生に一度あるかないかの大役です。

かつて、神殿の至聖所には契約の箱がありました。
その上にあるふたつのケルビムの間には神様の臨在の輝きがあって、神様の聖さに満ちていました。
不用意に中に入れば、神様の聖さによって、あっという間に命を落としてしまいます。
だから祭司がこの職務をする時には、腰にひもを結んで中に入ったのです。
もしもこの祭司が至聖所の中で死んでしまったら、遺体を外から引っ張り出すためです。
この時代の神殿からは契約の箱も失われ、神様の臨在の輝きもありませんでしたが、中に入る事は大変な勇気と信仰を必要としたはずです。

他の祭司たちが祈る中、ザカリヤは至聖所に入って行って香をたきました。
緊張しながら職務を全うするさなか、突然驚くべき出来事が起ったのです。

1:11 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。

これは怖いですよ。
他に誰もいるはずのない場所、しかも死ぬかもしれないと思っていた場所です。
そこに突然御使いが現れた。
ザカリヤは「ああ、もうダメだ。」と思ったかもしれません。
しかし、御使いは続けてこの様に言ったのです。

1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

子供を願うザカリヤの祈りは聞き届けられ、これから子供が授けられるという言葉を、この御使いガブリエルはザカリヤに届けたのです。
そしてその子供は、ザカリヤにとっても、そして多くの人々にとっても希望となるとガブリエルは伝えました。

ここには、二重の希望があります。
ひとつは、ザカリヤの個人的な祈りが聞かれ、子供が与えられるという希望。
もうひとつは、ヘロデ大王の恐怖の中で、この世に与えられる希望の光です。

神様が働きをされるのは、まさしくこのような不可能な状況の中です。
人々が暗闇の中で光を求め祈る時、人の可能性ではどうにもならないような状況を打ち砕いて、神様はその働きをされるのです。
そこに、人の努力や働きが入り込む隙間なんてありません。
だからこそ、そこには神様の力だけがあり、ひたすら恵みによって全ての事は起るのだと、わたし達は知る事ができるのです。

③ 黙っていなさい
御業をなす時に、神様が用いる器というものがあります。
神様は多くの場合、直接何かをする事より、わたし達を器として用いるのですが、神様が用いる器にはある程度のパターンがあるのです。

そのひとつは、神様に忠実な、正しい人であるという事です。
この正しさは、イエス様が持っていたような全く罪のない状態というものとは違います。
神様に対して、正しい心を持っていた人達という事です。

ザカリヤとエリサベツも、神様によって正しいと認められた人として描かれていますが、聖書の中で神様が用いられる器はみんなそれぞれに神様への信仰と忠実さを持っています。
神様を信頼せず、その御心を無視するような人達を、神様が特別な器として用いる事はほとんどないのです。

もうひとつは、このザカリヤとエリサベツのように自分たちの力には絶望して、神様に委ねるしかない人々です。
自分の力で全てをやろうとする人は、神様の力を必要としません。
しかし自分の力によらず、神様の力により頼む人は、神様の力を体験する事ができます。
そのような人が、神様によって用いられる器として選ばれるのです。

しかし、ザカリヤもすぐには、完全に神様に従い、その恵みを受け入れる事ができたわけではありません。
自分と妻エリサベツの年齢を考えた時、今から子供が生まれるなどという事は到底考えられないと思ったからです。

1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」

創世記の時代、アブラハムの妻サラもこの同じ事が信じられなくて、思わず笑ってしまった事がありました。

多くの場合、わたし達が神様からの恵みと祝福を受け取り損ねる原因となるのは、わたし達の中にある教養や常識のような人間的な価値観です。
わたし達は自分の経験や常識で、物事はこのようになるべきだと決めつけてしまいます。
しかし、そのような常識を超えているのが奇跡なのではないでしょうか?
わたし達は、自分の思いによって神様が御業を表し、奇跡が起る機会を壊してしまうのです。

不信仰なザカリヤに、ガブリエルはこの様に告げました。

1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」

それからザカリヤは、子供が生まれるまでの9か月余りの間、口を聞く事ができなくなってしまいます。
これは、ザカリヤの不信仰に対する罰と取る事も出来るでしょう。
確かにそのような意味もあるかもしれませんが、口が聞けなくなったというその結果の中に、神様からのメッセージが込められています。
つまり、「常識や自分の思いなんて持ち出さず、私が奇跡を起こすのを、あなたは黙って見ていなさい。」という事です。

これは、今を生きるわたし達に対するメッセージでもあります。
わたし達が絶望的な状況にある時、とても抜け出せそうにない困難の中にある時、自分には乗り越えられそうにない試練を与えられた時、それがいかに不可能かという事だけを考えてしまうかもしれません。
しかし、わたし達は黙って神様がなす事を見ている必要があるのです。
神様に信頼し、全てを委ねること。
自らの業を休み、主にあって安息に入る事です。

ガブリエルは言います。
「わたしの言葉は、その時が来れば実現します。」
これは、神様の言葉の代弁でしょう。
わたし達の思いや計画は露のように虚しく消え去りますが、神様の御心はとこしえに立ち、必ず実現します。
その事を信じ、わたし達の意思を遥かに超えて全てを全うして下さる神様に委ねましょう。
主の恵みは、とこしえまで、その真実は代々にいたるからです。

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