黙示録17:1-18:24 『 黙示録⑰~大バビロンは倒れる! 』 2012/01/22 松田健太郎牧師

黙示録17:1~18:24
黙示録17:1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。
17:2 地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」
17:3 それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。
17:4 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。
17:5 その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。
17:6 そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。
17:7 すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。
17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。
17:9 ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。
17:10 五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。
17:11 また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。
17:12 あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。
17:13 この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。
17:14 この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
17:15 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。
17:16 あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。
17:17 それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。
17:18 あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」

18:1 この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。
18:2 彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。
18:3 それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」
18:4 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
18:5 なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。
18:6 あなたがたは、彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行いに応じて二倍にして戻しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。
18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない』と言うからです。
18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。
18:9 彼女と不品行を行い、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。
18:10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
18:11 また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。
18:12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、
18:13 また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。
18:14 また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。
18:15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、
18:16 言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
18:17 あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
18:18 彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』
18:19 それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』
18:20 おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」
18:21 また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。
18:22 立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。
18:23 ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。
18:24 また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」

黙示録のシリーズが始まった時から予想していた事ですが、最初はなかなか進まなかった黙示録のシリーズ、ここに来て進む勢いを増してきています。
今日も2章分を一気に進めていきたいと思うのですが、黙示録は後もう少しで終わりという所まで来ていますね。

さて、先週はいよいよ大患難時代が終わり、地上のものがすべて滅ぼされてしまうという所まで来ました。
そして今日取り上げる17章から18章にかけては、それが霊の世界ではどのような意味を持ち、何が起っていたのかという事が描かれています。

それは一言で言うと、人々か待ち望んでいた“悪への裁き”です。
この地上に影響を与え、人々を惑わし、悪の道へと進ませていた存在、それをここでは大バビロンと呼んでいます。
地上で絶大な力を奮っていたこの大バビロンが、ついに倒されたという事が、ヨハネのビジョンの中で高々と宣言されます。

地上の全てのものが滅ぼされるという事は、大バビロンが倒される事によって起った出来事であり、悪に裁きが下されるためには、一度地上のものが滅ぼされ、新しくされなければならなかったのです。

今日は、この大バビロンというのがどのような存在であり、わたし達が大バビロンと共に滅ぼされてしまわないために何が必要なのかという事を、共に考えていきたいと思います。

① 悪の都大バビロン
黙示録で“大バビロンと”表されている言葉は、そのまま歴史上のバビロン帝国を表しているわけではありません。
しかし黙示録に登場するバビロンという名前は、かつて存在したバビロンと何らかの関わりがある事は確かでしょう。

聖書にバビロンの名が最初に登場したのは、創世記の時代です。
バビロンの地域に住んでいた人々は、天国に届くような大きな塔、それがバベルの塔を作り始めたのです。
次にバビロンが力を持っていたのはモーセの時代。
この時代には、直接イスラエルと関わる事はありませんでしたが、ハムラビ法典に代表される彼らの文化は、神を持たず自分達こそが神であるという傲慢な文化でした。
そして次にバビロンが力を持った時、バビロンはユダ王国を滅ぼしてイスラエルの人々を捕えてしまったのです。
そんなところから、聖書の中で登場する“バビロン”という名前が象徴しているのは、神様に敵対するサタンによって支配された世俗の力を表しています。

世俗の力というのは、金銭を愛する心や物欲、性的な不品行、あらゆる欲望が力の源となります。
世の終わりにあって、迫害によってクリスチャンたちを苦しめるのはサタンを筆頭とした反キリストの働きであり、偽預言者達の働きです。
しかし、獣と呼ばれる反キリストの力を支えているのは、このような世俗的な欲望の力なのだと、御使いはヨハネに教えているのです。

ヨハネ達当時のクリスチャンもまた、このような反キリストの力によって迫害を受けていました。
この当時のローマ帝国とは、自分達を神とするようなまさにここに描かれているバビロンのような帝国だったはずです。
しかし、このような力も、人間的な戦いによってはとても太刀打ちできるような力ではありませんでしたが、やがて崩れ、倒れる時が来るのだと、人々は希望を持つ事ができたのではないでしょうか。

② 大淫婦
さて、大バビロンの正体をもう少し探って行きましょう。
少しさかのぼって17章を見てみると、この大バビロンは大淫婦という呼び方もされている事がわかります。

黙示録 17:1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。
17:2 地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」
17:3 それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。
17:4 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。
17:5 その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。

淫婦というのは、性的不品行が著しい女性や、娼婦を意味することばですね。
しかし、聖書の中では必ずしも肉体的な姦淫を意味しているわけではありません。
単に性的な乱れを表すのではなく、霊的な姦淫を表しているのです。

霊的な姦淫というのは、神様以外のものを神様以上に愛する偶像崇拝の事です。
大バビロンは物質主義によって人々を引きこみましたが、大バビロンのもうひとつの力は、神様以外のものに目を向け、愛させようとする誘惑の力でもあるのです。

わたし達クリスチャンは、キリストの花嫁とされた者たちです。
しかし、わたし達が神様を求めず、神様以上に他のものを愛するならば、それはわたし達が妻や夫を捨て、他の人に行ってしまうのと同じくらいの悲しみを神様に与えるのです。

そのようにして、富や名誉など様々な偶像を使ってわたし達を誘惑する大淫婦バビロンは、世の終わりの時、ついに倒されるのです。
最後に裁きを受け、永遠の滅びの中に入ってしまう人達は、神様を選ばず一時の快楽のためにこの世のものを選んだ人々です。
生きている間に神様につながらなかった人達は、永遠に神様との繋がりを失い、繋がりを持ってしまったサタンと共に裁きを受けなければならないのです。

③ 大バビロンへの裁き
このようにして人を惑わせた大バビロンが倒れたのだから、それは素晴らしい事であるはずです。
しかしその時、多くの人達は大バビロンが倒れた事を嘆くと黙示録には書かれています。

黙示録 18:9 彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。
18:10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』

また、この物質主義によって富を得ていた人達もまた、嘆き悲しむ事になります。
この辺りを読む時、僕は心が引き締められるような思いがします。
何度も救いの御手を伸ばして、人々を救いに導こうとしているにも関わらず、多くの人達がこの世俗の力に捕えられ、神様に立ち返る事をしませんでした。
そして、一度は信仰を持った多くの人々もまた、この力に引き寄せられて神様に背いてしまう事が表されているからです。

大淫婦・大バビロンの誘惑の力は激しく、それに抗う事はとても難しいものです。
しかし、大バビロンと共に生きる者は、大バビロンと共に滅ぼされてしまうのです。
黙示録を書いたヨハネは、別の手紙の中でも、この世のものを愛してはならないと人々に伝えています。

Iヨハネ 2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
2:17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。

わたし達が生活している社会は、この物質主義によってどれだけ毒されているでしょうか。
わたし達はこれを進歩と呼び、人間の素晴らしさだと言ってきました。
しかし、その進歩によって、わたし達は幸せにはなっていません。
わたし達は決して満足することなく貪り続け、さらなる便利さ、さらなる自由を求めて満たされるという事を忘れてしまったようにも思います。

豊かである事、便利である事、科学や産業や医療の進歩それ自体が悪いとは言いません。
禁欲的である事が正しいのでもありません。
でも、物質主義というものがわたし達の神様に変わってしまうなら、それがわたし達を幸せにするのではないという事を、わたし達はすでに経験してきたのではないかと思うのです。
それがわかっていても、そこから抜け出す事ができない。
それほどまでに、わたし達の社会は、すでに物質主義によって支配されてしまっているのではないでしょうか。

どうすればそこから抜け出す事ができるでしょうか?
その方法を、イエス様はわたし達に教えてくれています。

ヨハネ 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

この世の井戸からの水を飲み続ける限り、わたし達は決して満足する事がなく、そこから離れる事ができなくなってしまいます。
しかし、わたし達がイエス様が与えて下さる福音の井戸からくんで飲むなら、わたし達の魂は満たされ、この世の支配から解放されるのです。

わたし達はまだ、選択する事ができます。
わたし達はこれまでのように、大淫婦がもつ金の杯から飲み続けますか?
それとも、永遠のいのちへの水がわき出す、イエス様から水を受取るのでしょうか?

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