使徒18:1-11 『 使徒㉘~体の一部として 』 2013/03/17 松田健太郎牧師

使徒18:1~11
18:1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。
18:5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
18:6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。
18:7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。
18:8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
18:9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
18:11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

パウロは、いよいよギリシヤの南にあるコリントにたどり着きました。
コリントはこの当時、アカヤ州と呼ばれる南ギリシヤ地方の首都でした。
海に近い事もあり、色んな国との交流がある国際都市です。

パウロ達は、このコリントではほとんど迫害を受ける事がありませんでした。
前にお話ししましたが、パウロたちは、迫害を受けると次の町へ移動するという方針でしたから、コリントには長く滞在する事になったんです。

18:11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
と、書かれていますね。

表立った迫害がなく、ほとんどの場所では数週間しか滞在できなかったのに、パウロがこれだけ長い期間宣教活動ができたなら、さぞすばらしい教会ができたのではないかと思うでしょう。
しかし、パウロがコリントの教会に宛てた手紙を見ていると、性的な不品行の問題、異端の問題、人間関係の問題、他にも様々な問題に関して取り上げているのです。
決してよくできた教会ではないどころか、問題だらけの教会だったのです。

①  迫害か堕落か
コリントの教会は、どうしてうまくいかなかったのでしょうか?
そこには、色々な原因が考えられます。
もともと不品行が多く、モラルが乱れた町だったということもあるかもしれません。
人が行き来する国際都市では、どうしてもモラルが低くなり、不品行の問題が起ります。
東京や、カリフォルニアなどを見てみるとよくわかります。
不品行を行う事を、「コリント式にふるまう」という言い方をするほど、コリントの風習は悪名の高いものだったのです。

しかし、もうひとつの条件も、わたし達は無視する事ができません。
それは、迫害が大きかった町では健康な教会が育っていき、迫害が少なかった町では問題が多く起こっていると言う事実です。
イエス様は、かつてこのように言っていました。

マルコ 10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
10:30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

迫害は、決して嬉しいことではありません。
しかし、わたし達の信仰は迫害によって鍛えられ、わたし達は神様により頼み、神様との距離はどんどん近づいていく事も確かではないでしょうか。
危機感のない環境はとても快適ではありますが、わたし達は神様ではなく他のものに目を奪われ、信仰的にも堕落しやすい環境なのかもしれません。
いずれにしても、パウロは後々までこのコリントの教会の事で頭を悩ませる事になったのです。

② アクラとプリスキラ
さて、このコリントの町では素晴らしい出会いもありました。
それは、アクラとプリスキラという夫婦との出会いです。
この二人はパウロが書いた手紙のあいさつ文に度々登場して、パウロの宣教にどれほど大きな助けとなったかを表しています。

ちなみに妻のプリスキラは、他の箇所ではプリスカとして表記されている事も多いですが、プリスカというのが本来の名前で、プリスキラというのは愛称みたいなものです。
プリスカちゃんとか、プリスカっちみたいな感じでしょうか?
この教会では、“○○兄弟”とか“XX姉妹”という呼び方をしないで、お互いをあだ名で呼びあったりもしていますが、あながち間違いではない事がわかっていただけますでしょうか?(笑)

この頃、パウロは天幕作りをして生活費を稼いでいました。
アクラとプリスキラも天幕作りによって日銭を稼ぐ人たちだったので、彼らはすぐに仲良くなり、一緒に生活をしながら宣教の働きも共にしていくようになったのです。
もっとも彼らは天幕(テント)だけを作っていたわけではなくて、革製品の加工をする人達の事を“天幕作り”と呼んだようです。
この“天幕作り”という言葉から、他の仕事をしながら牧師や伝道者としての働きをする事を“テントメーカー”と呼ぶようになりました。

献身者も、時としてこのように、生活して行くための費用を自分で稼がなければならない時があります。
それもそれで、新しい出会いがあったり、浮世離れしてしまいがちな献身者を社会手と繋げる役にも立つでしょう。
しかし、やはり献身者の本分は、御言葉を語る事なんですね。
しばらくするとシラスとテモテがマケドニヤから戻って来て合流しますが、彼らはピリピの教会からの献金を持ってきたので、パウロは天幕作りの仕事を止めて、それ以降はみことばを教える事に専念します。

③ ピリピ教会の支え
それにしてもパウロは、なぜわざわざ天幕作りの仕事までして、ピリピからの献金を待ったのでしょうか?
コリントで働きをしているのだから、コリントの人々から献金を得ればよかったのではないでしょうか?
実はパウロ自身も、コリントへの手紙の中でこの様にも書いているのです。

Iコリント 9:14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。

パウロは、この時点では働きを始めたばかりで、十分な献金が集まらなかったという事も考えられます。
あるいは、コリントの教会は問題だらけだったので、はっきりとその事を指摘して行くためには経済的援助を受ける事を避けたかったのかもしれません。
経済的に援助してもらっている状態では、どうしても強く言う事ができませんから・・・。
その後コリントの教会が大きくなっても、パウロはコリントからの献金は受け取らなかったようですから、こちらの方が大きな理由だったかもしれません。

いずれにしても、この時期のパウロ達の働きを支えていたのは、ピリピの教会でした。
パウロは、ピリピの教会に宛てた手紙の中では、このように書いています。

ピリピ 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

ピリピはあの、パウロが占い師とのトラブルから牢獄に入れられてしまった町です。
ピリピのクリスチャンたちは、パウロ達が去った後も迫害を受けて、厳しい状況が続いていたはずです。
しかし、パウロが大して長い期間活動する事もできなかったピリピの教会が、その後もパウロの活動を支え続けていたのです。

わたし達はついつい内向きになってしまい、自分の事や、自分たちの教会の事しか考えなくなってしまう傾向があります。
でも、外に目を向けたり、他の教会の手助けをする事も、わたし達には大切な事です。
わたし達は、互いにキリストを頭とする体の一部です。
だからこそ、互いに助け合う必要があるはずです。

Iコリント 12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

先週お祈りの課題として出させていただきましたが、パキスタンの教会の事があります。
ネットで知り合って、skypeで話をした次の週に、彼が牧会している隣の町でムスリムによる暴動が起って1000人のクリスチャンが住む家を失ったという話です。
日本国内でも、助けを求めている所はあります。
震災から2年経ちましたが、まだ多くの地域が何らかの助けを必要としています。
後でお話しがありますが、今日は日本聖書協会の菊池さんが来て下さっています。
日本聖書協会もいま、運営が大変になってきているようです。

わたし達自身も、何とか赤字から脱し始めているという段階の小さな群れでしかありませんが、わたし達にもキリストの体の一部として、できる事があるはずではないでしょうか。

表立った迫害がなかった事はもちろんあるでしょうが、ピリピの教会のサポートによって、パウロは1年半もの間このコリントで、宣教の働きを続けることができました。
そしてそれによって、多くの人達が信仰を持つ事ができたのです。
確かにコリントは問題が山積みの教会となりましたが、この大都市で実にたくさんの人達が信仰を持つ場所となったのです。

もちろん、経済的支援だけがサポートの手段ではありません。
祈る事が出来るということも、大切なサポートです。
また、アクラとプリスキラがパウロにしたように、共に生き、共に歩み、共に働きをするという事も、大きな助けとなります。
教会とは、それそのものが神様によって結び付けられた共同体なのですから。

キリストの体の一部として、わたし達にできる事は何でしょうか?
わたし達にできる事があるはずです。
神様の御心を求めつつ、できる事をしていきたいと思います。

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