使徒18:24-19:7 『 使徒㉙~聖霊を受けましたか 』 2013/03/24 松田健太郎牧師

使徒18:24~19:7
18:24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
18:25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。
18:26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。
18:27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。
18:28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。
19:1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、
19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
19:3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
19:4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
19:5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
19:7 その人々は、みなで十二人ほどであった。

今日でパウロによる第二次伝道旅行が終わり、そのまますぐに第三次の伝道旅行に入ります。
この辺りの状況が、聖書で読んでいるとちょっとわかりにくいので、少しパウロたちの動きについてお話してから、本題に入って来たいと思います。

さて、1年半に及ぶ宣教活動の後、パウロはアクラとプリスキラと共にコリントを去り、アンテオケに向けた帰路につきました。
その途中で、彼らは小アジアにあるエペソという町に立ち寄ります。
パウロは、ここでも少しだけ伝道をしますが、アクラとプリスキラを残してすぐに立ち去り、アンテオケに向かわなければなりませんでした。

そこに現れたのが、今日の聖書箇所に出てきたアポロです。
アクラとプリスキラに出会ったアポロは、彼らにさらなる教えを受けて成長し、パウロが去った後のコリントへと向かいます。

使徒の働きではこの辺りのことがかなり省略されていますが、ここからしばらくの時が経って、パウロによる第三次伝道旅行が始まるのです。
そうして、パウロは再びエペソに戻ってくることになります。
今日は、このエペソの町で起こった出来事を中心にして、アポロと、パウロがエペソで出会った人々の話から洗礼と、聖霊の働きについて考えていきたいと思うのです。

① アポロ
さて、アポロとはどんな人だったでしょうか?
このように書かれています。

18:24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
18:25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

アレキサンドリアと言うのは、この時代哲学と学問で有名な町でした。
はっきりとしたことはわかりませんが、アポロはこの町で十分な教育を受け、とても優秀な人材だったと思われます。
アポロは聖書の知識を豊かに持ち、イエス様のことも正しく理解し、人々に教えていました。
しかし、彼はキリスト教の洗礼を受けておらず、ヨハネのバプテスマによる洗礼しか受けていなかったのです。

アポロが来た時、パウロはすでにエペソを去った後でした。
その時そこに残っていたのは、天幕作りのアクラとプリスキラです。
しっかりとした教育を受けていたアポロに比べれば、アクラとプリスキラは単なる職人でした。
しかしアポロは、この職人に過ぎないアクラとプリスキラから教えを受けたのです。
18:26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

バプテスマのヨハネによる洗礼を受けただけのアポロは、いくら正しく理解していたとはいえ知識としても足りない部分がまだまだあったのでしょう。
プ具体的にどんな事を教えたのかはわかりませんが、アポロはリスキラとアクラから、必要な事を学びました。
その後アポロは、コリントへ行って働きを始め、パウロやペテロと並べられるほど影響力を持つ人となっていきます。
新約聖書の中で、めずらしく著者が不明されているヘブル人への手紙がありますが、その著者はアポロではないかとも言われています。

でも、このアポロがこれほどの働きをするようになったのは、天幕職人だったプリスキラとアクラによる助けがあったからという事ができるのです。
アポロは、もともと情熱があり、弁論も立ち、学術的にも優秀な人物でした。
そのアポロが謙遜に、職人のようなこの夫婦から教えを受けた時、彼はさらに祝福に溢れた働きをする事ができるように成長していったのだということです。

わたし達はプライドが邪魔して、なかなか他の人から学ぶことができません。
しかしこのアポロのように、自分に欠けがある事を認め、誰からも学んでいくことができるようになりたいものです。

② エペソの12人
さて、アポロがコリントに行った頃、パウロは第三次伝道旅行に旅立ち、再びエペソの町に戻ってきました。
パウロは、ここで2年ほどの間滞在して働きをしたと言われています。

このエペソの町で、ある弟子たちと出会いました。
しかしパウロは、彼らから何か違和感を感じたのです。
そして、その原因はすぐにわかりました。

19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

この時ここにいたのは、12人の弟子達だったと書かれていますが、彼らは聖霊を受けていなかったのです。
それどころか、彼らは聖霊が与えられるなんて聞いたこともなかったと言うのです。
よくよく聞けば、彼らもアポロと同じようにバプテスマのヨハネによる洗礼を受けただけの人達でした。
ある程度はイエス様の事を知っていたかもしれませんが、殆ど知らなかったかもしれません。

そこでパウロは、バプテスマのヨハネが悔い改めを説いて洗礼を授けていたのは、彼の後に来るイエス・キリストを信じるためだったのだと教え、イエス・キリストの御名によって洗礼を授けました。
すると、彼らはたちまち聖霊を受け、異言や預言をし始めたと書かれています。

アポロも、エペソにいた12人の弟子たちも、バプテスマのヨハネの洗礼しか受けていない人達でした。
でも、アポロは改めて洗礼を受けたりしませんでしたが、この12人は改めてイエス・キリストの名によって洗礼を受ける事になったのです。
何が違ったのでしょうか?
色々な事が考えられますが、12人の弟子たちが洗礼を受けた後に何が起ったかという事が、答えをあらわしているように思います。
つまり、聖霊が与えられていたかどうかという事です。

アポロは、霊に燃え、イエスの事を正確に語り、また教えていたと書かれています。
パウロは手紙の中でこの様に言いました。

Iコリント 2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

また、こうも言われています。

Iコリント 12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。

このように、アポロは御霊によって正しい知識と信仰を得ていましたが、エペソの12人の弟子たちはそうではなかったのです。
福音について、必要な事を理解する事ができていなかったのかもしれません。
あるいは、イエス様の教えを知ってはいても、主であると認める事はできなかったのかもしれません。
バプテスマのヨハネによる、悔い改めをあらわす洗礼は受けていたのですから、常に罪との戦いの中にあり、禁欲的で行い主義的な信仰を持っていたのかもしれません。
いずれにしても、聖霊の助けなしには、わたし達は聖書を正しく理解する事もできないし、神様の愛を知る事も出来ません。
キリスト教を信じているつもりでも、聖霊がなければ、それは窮屈で退屈な宗教にしかならないでしょう。

しかし、そこに聖霊がおられるなら、わたし達は神様を父として仰ぐ事ができるのです。
神様の愛がどれだけ強く、深いか?
わたし達の救いがどれだけ素晴らしいものであり、尊いものであるのか?
わたし達がどれだけ自由となり、縛られなくて済む存在となったか?
聖霊がわたし達の内で働く時、わたし達はそれを知り、体験する事ができるのです。
異言、預言、心の底からの喜び、その中で経験する事は人によって違いますが、神様が内にいて下さるという事、その事実が大切です。

聖霊は、イエス・キリストを主として信じる信仰と共に与えられます。
エペソの12人の弟子たちは、イエス・キリストへの信仰を表す洗礼と同時に聖霊が注がれましたが、洗礼を受ける前に与えられる人もいるでしょう。
あるいは、幼児洗礼などはっきりとした信仰を持っていない時に洗礼を受けた人であれば、洗礼よりずっと後に聖霊が注がれる事もあるかもしれません。
いずれにしても、聖霊はわたし達が地上でクリスチャンとしての生活をしていくためには不可欠な存在です。

どうか、聖霊を求めて下さい。
そのためには、何より神様とイエス・キリストを中心として生きる事を決心する事です。
それでも聖霊の力を感じない方は、すでに注がれている聖霊によって満たされる事を求めて下さい。
わたし達の自我が心の内に埋まっていたら、聖霊は満ちる事ができませんから、自分自身が王座から退いて、イエス様の支配に入る事を求める事です。
これからそれぞれに静まって祈り、聖霊を求める時としたいと思います。
みなさんが、聖霊に満たされる喜びを受ける事ができますように。

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