使徒19:11-20 『 使徒㉚~わたしは何者か 』 2013/04/07 松田健太郎牧師

使徒19:11~20
19:11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。
19:12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。
19:13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。
19:14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。
19:15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。
19:16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。
19:17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。
19:18 そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。
19:19 また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。
19:20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。

使徒の働きのシリーズも、いよいよ30回目となりました。
長くなってくると、そもそも使徒の働きって何について書かれているものなのかも見失ってしまうという事があるかもしれません。
使徒の働きとは何でしょうか?
簡単に言うなら、使徒の働きとは聖霊が全てのクリスチャンに与えられた時代にどんな事が起ったかという事について書かれた本です。

かつて神様は、司祭や預言者という特別な人を通してしかその働きを知ることができませんでした。
福音書の時代になって、神の子イエス・キリストという目に見える形で神様はその存在を表しましたが、それはわずか3年間の事でした。
しかし、旧約聖書の中でも、またイエス様によっても伝えられたように、信仰を持つすべての人に聖霊が授けられると、神様は信仰を持つ人々を通して、直接働きをされるようになりました。
これまでは、本の一部の人しか体験できなかった神様の存在を、信仰を持つすべての人が実体験として経験できるようになったのです。
使徒の働きの時代には、多くの奇蹟が、普通の人達を通して起っていくのです。

大切なのは、わたし達が生きているのは、この使徒の働きの時代だという事です。
これはすべて、むかしむかし素晴らしい事がたくさん起った時代があったというのではなく、今もまだ続いているものなのです。

今年に入ってからは、かつてキリスト教徒を迫害していたパウロが、クリスチャンになってからの働きについてずっとお話ししてきています。
今日は、パウロが3回目の伝道旅行の中で、2年間滞在したエペソの町で起った出来事です。
わたし達は、この出来事を通して、何を学ぶことができるのでしょうか?

① パウロの奇蹟
エペソの町で、パウロ達は驚くような奇蹟を体験したと書かれています。

19:11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。
19:12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。

これまでも、数々の奇蹟が起った事は書かれていましたが、あくまでもパウロが福音を伝えたという事がメインでした。
ところがここにきて、奇蹟にグッとフォーカスが当てられて、しかも特別な奇跡が起ったという事が書かれています。
それは、このエペソの町が特別な町だったからです。
第一にエペソは、アルテミスというギリシア神話の神の神殿があった、行ってみれば偶像崇拝の強い町だったという事です。
第二に、ここでは魔術や呪術の様なものも盛んに行われていた迷信深い町だったという事です。
そこにいるのが迷信的な信仰持つ人々だったからこそ、その人々にわかりやすく、受け入れやすい御業を神様は見せたという事なのです。

偶像崇拝や、魔術は聖書の中で悪い物として書かれていますが、何が悪いのでしょうか?
偶像崇拝や魔術の最大の問題は、人が神様を従わせて、利用しようとしている事です。
大好きな人に、人格を無視され、気持ちを踏みにじられて、ひたすら利用されている状況を想像してみて下さい。
また、願いが叶えられるなら、それがどんな神であろうと、例え悪魔であろうと構わないという事でもあります。
そのために金を払い、自分を傷つけ、魂を売ってでも願いを叶えさようとします。
その様な発想から起っているものだからこそ、神様は偶像礼拝や魔術を嫌われるのです。

では、わたし達は自分の願いを求めてはいけないという事でしょうか?
そうではありません。
求めるなら、親密な関係の中で神様に求めたらいいのです。
神様はわたし達を愛して下さっているお父さんなのですから、それがわたし達に必要なものなら、きっと与えて下さるでしょう。
しかし場合によっては、わたし達を戒める事もあります。
すべては、神様の主権のもとにあり、わたし達の思いではなく、神様の御心だけが実現するのです。

パウロは、正しい神様と、正しい関係の中にありました。
だからこそパウロの周りにたくさんの奇蹟が起ったのです。
それを見た人々は、パウロ達に興味を抱き、その道に習ったのです。

② 魔術から離れる
そんな折、ひとつの事件が起りました。
パウロの評判が高い事をうらやむユダヤ人の祈祷師が、悪霊の追い出しの時、パウロの真似をしてみたのです。

19:13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。

これこそ、信仰も個人的な関係もなく神様を利用して、自分の思いに従わせようとする行為でした。
愛の関係どころか、信じてもいないイエス・キリストの名前を使って、彼は悪霊を追い出そうとしたのです。
十戒の中にある、「主の名をみだりに唱えてはならない。」とは、こういう事を言うのではないでしょうか?
この魔術師は、その結果をすぐに見る事になります。

19:15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。
19:16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。

イエス・キリストの名には権威があります。
でも、イエス・キリストの名を語れば良いというものではないのです。
わたし達は、「イエスの御名によって祈りなさい」と教えられています。
でも、力があるのはその名前ではなく、イエス様自身なのです。
わたし達がイエス様と共にいて、聖霊がわたし達の内におられるなら、イエス・キリストの御名が持つ権威はわたし達にとって力となります。
でも、繋がりを持たない人が名前だけ名乗っても、そこには何の力もないどころか、むしろ悪霊を怒らせる事になるのです。

この出来事はエペソ中に伝え広められ、イエス・キリストの御名が畏れられ、崇められるようになりました。
そして多くの人達が、イエス・キリストを自分の主として、個人的な関係に入りました。
人々は自分の罪を言い表し、悔い改め、持っていた魔術書などを全て燃やしました。
エペソの町に、リバイバルが起ったのです。

リバイバルとは、単に信者が増えるとか、“悔い改め“や“魔術書を燃やす”という行為の事を言うのではありません。
人々が神様の愛に立ち返えり、その関係を正そうとする所にリバイバルがあるのです。

わたし達もまた、神様を利用して願いを叶えさせたり、その願いを叶えるために神様以外のものを神として求めるという罪がないでしょうか。
しかしそれは、何よりも神様を悲しませる事なのだという事を忘れないでいただきたいのです。

③ おまえたち何者だ
最後に、イエス・キリストの名を語って悪霊を追い出そうとしたユダヤ人の祈祷師達に、悪霊が言ったこの言葉をもう一度見てみましょう。

19:15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。

案外わたし達は、この問いに対して答えに窮してしまうのではないでしょうか。
わたし達は、悪霊を追い出すという機会はあまりないかもしれません。
でも、わたし達は「イエス様の御名によって」祈っています。
その時にもし、「お前は何の権威があってイエスの御名で祈るのか?」と問われたとしたら、わたし達はどう応える事ができるでしょうか?

悪霊は、今もわたし達を試み、攻撃してきます。
「おまえはイエスの名で祈るが、どれほどの人間なのでそんな事を願えるのだ?」
「お前の中にある罪を見てみろ。どうして神が耳を傾けると思えるのだ?」
「そら見ろ。お前の祈りは聞かれない。お前は神から見放されているのだ。」
わたし達は、洗礼を受けたけれど、自分の救いに確信がもてなくなる事があります。
クリスチャンとは呼ばれているけれど、自分の未来には何の希望を持てなくなったりします。
それはわたし達が、自分は何者なのかという事を見失ってしまうからです。

わたし達は神様によって愛され、赦され、新しくされた存在です。
わたし達は、その事を心から信じているでしょうか?
聖書の中で、神様はそのことを繰り返し伝えて下さっているのです。

これからお見せするビデオは、全て聖書からの言葉によって構成されています。
聖書が、神様からわたし達に向けてのラブ・レターだという事がよくわかるものになっています。
ぜひこれを見ていただきながら、わたし達は神様に愛されている存在なのだという事を、そしてその力を受けているのだという事を思い出していただきたいのです。

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