エペソ5:3-21 『 エペソ10~光の子として 』 2013/10/20 松田健太郎牧師

エペソ5:3~21
5:3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。
5:4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。
5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。
5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
5:9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――
5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
5:21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。

先週は、キリストの体として生きるというテーマの中から、神様に愛されている者として生きようという話をしました。
わたし達は神様から離れた罪人として生まれてきて、罪人として生きてきましたが、ある時イエス様と出会い、神様につながる者となりました。
その時、わたし達は救いを自分の者としたのです。

救われたわたし達は、救われた者に相応しい生き方をする事が求められています。
わたし達が、救われた者として喜びを味わう人生を送るためには、生き方そのものを変える必要があるのです。

今日は、同じようなテーマの中から、光のこどもらしく歩むという事に関して考えていきたいと思います。

① 光の子として
パウロは、「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は主にあって光の子となりました。」と言っています。
以前は暗やみだったとは、どういう事でしょうか?

第一に、わたし達はまことの神様について何も知らなかったという事です。
ヘブル語では、知識の欠如のことを、”暗やみ“と言います。
しかし、わたし達にはキリストを通して神様を知ることができ、光の子となったのです。

第二に、わたし達は悪魔の支配下にあって堕落していたという事です。
神様を知らない状態のわたし達は、全く無意識の内に悪魔に従う者とされていたのです。
しかし神様のもとに立ち返ったとき、わたし達はキリストの光を内側に受けて、光の子とされたのです。

第三に、わたし達は絶望的な状態にあったという事です。
罪の結果は痛みであり、苦しみであり、死です。
わたし達は、無自覚のまま罪の中にいて、その結果を刈り取り続けてきた人生を送ってきました。
しかし聖霊によって罪から離れる事ができるようになったわたし達は、罪から解放されたという希望を手にすることができたのです。

わたし達は、光の子となったのです。
でも、わたし達の実際の生活は何も変わらず、相変わらず闇の中を生きているような状態だったりはしないでしょうか?

わたし達が神様によって変えられ、名実ともに光の子となっているかどうかという事は、わたし達の行動や言葉の中に現れてきます。
だからパウロは、不品行や汚れやむさぼりに気をつけなさいと言っています。
でもそれは、表面的な行動や、言葉使いにだけ気を付ければいいという事ではありません。
表面だけをどれだけ取り繕っていても、心がそれに伴っていないなら何も変わりません。
わたし達が変わるのは、まず内側から変えられていった結果でなければ意味がないのです。

② 燭台の光
わたし達は、どうして光に子として歩む必要があるのでしょうか?
それは、わたし達が光の子としてこの世界に光をもたらす事によって、人々が神様の光を目にするためではないでしょうか?

イエス様はかつて、このように言いました。

ルカ 8:16 あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。

わたし達は、この光を世界にもたらしていく必要がありますね。
いつまでも隠していてはいけません。
わたし達がこの世界にもたらす光を通して、人々は神様の栄光を目にし、この世界を変えていくのです。

パウロは、このように書いています。

5:9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――

この世界は、愛とやさしさだけでは成り立ちません。
それでは、この世界が腐敗していくことを止めることができないのです。
でもそこに、神様の愛に基づいた善意、愛に基づいた正義、愛に基づいた真実があるなら、世界は変わっていきます。
わたし達は、わたし達が遣わされるところに神の国をもたらすため、光の子としてこの世界に派遣されているのです。

③ 光の子として歩むために
それでは、わたし達はどうしたら光の子らしく歩む事ができるようになるのでしょうか?
パウロは3つのことを書いています。
まずはそのために、主の御心を知る必要があります。

5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。

悪から離れて正しいことをしようと思うとき、わたし達はついつい自分の価値観だけで選んだ正しい道に進もうとしてしまいます。
しかし、善悪の知識の木から取って食べた私たちは、自分勝手な善悪の価値観を持ってしまっていますから、それだけで判断しても正しい道を進むことができないのです。
個人的な正しさや権利は、お互いの間に争いや諍いを生み出すだけで、わたし達を決して本当に正しい方向には導きません。

残念なお知らせですが、本当の正しさは、わたし達の内にはありません。
正しさは、神様とともにあるのです。
だからわたし達が求めるべきは、神様が何を求め、何を喜ばれるかという事なのです。

わたし達が、光の子らしく歩むために必要な第2のことは、わたし達が自分の罪を明らかにするという事です。

5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

罪というものは、人には知られたくないものです。
恥ずかしいことだし、他の人たちに悪い印象を与えてしまうかもしれない。
だからわたし達は、自分の罪を隠そうとするのです。
そして何とか、誰にも知られないで解決しようとするのですが、自分一人では解決できません。

わたし達は、自分の罪を光の下にさらけ出す必要があります。
信頼を置けるほかの人に知ってもらい、聴いてもらう事によって、わたし達はその罪から離れる大きな足掛かりを持つことができるのです。

僕自身、月に一度お互いの罪を言い表す時を友人と持っていますが、その時間によってどれだけ助けられているかわかりません。
そのような友の存在なくては、僕はこれまでの8年間牧師を続けることはできなかったでしょう。
皆さんも、できればそのような信頼できる友が、この教会の中で見つけられるといいなと思います。

光の子として歩むために必要な第三の事は、わたし達が聖霊に満たされることです。

5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。

僕は体質的に全くお酒を飲むことができないので、あまりこの事について話すことはできませんが、わたし達日本人はストレスや多くの問題を内側に秘めたまま、お酒で解決しようとする傾向があります。

普段、いろいろなものをため込んでいるから、お酒を飲むと一気にそれが解放され、吹き出します。
だから、お酒を飲むと豹変してしまう人も少なくはありませんね。
そういう所に、普段封じ込めているものが出てきてしまうのです。
僕の祖父がそういうタイプの人で、普段は物静かで消極的、いつも自信がなさそうにしている人でしたが、お酒を飲むと暴れだして大変でした。

聖書は、わたし達がお酒を飲むことを禁じているわけではありません。
しかし、お酒によって問題を解決することを良しとはしません。
そして、「酔ってはならない」と書かれていますね。
それが、理性を失っている状態だからです。

光の子としての歩みをするために必要なのは、聖霊に満たされることです。
聖霊に満たされているというのは、神様がわたし達を完全に支配し、神様の力と愛がわたし達の原動力となっている状態です。
わたし達自身が空の状態になり、神様の御心だけを求めるとき、わたし達は聖霊によって満たされていくのです。
わたし達は、神様に主導権を握っていただくのでなければ、光の子どもらしく歩む事はできないのです。

でも、ある意味では、それもまたわたし達の慰めではないでしょうか?
わたし達ががんばって光のことになるのではなく、神様がそのようにさせて下さるというのですから。
最後に、イエス様の言葉を一緒に読んで、今日のメッセージを終わりたいと思います。

マタイ 5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

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