エペソ6:10-12 『 エペソ14~悪魔との戦い 』 2013/12/01 松田健太郎牧師

エペソ6:10~12
6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

わたし達が、キリストの体として生きていく上で、二つの大きな障害があります。
ひとつは、わたし達自身の罪の問題です。
わたし達は、長年の間神様から離れた状態で生きてきました。
クリスチャン・ファミリーに育って、生まれた時から神様の事を聴いてきている人であっても、神様との関係を持った状態で生まれてくる人はいません。
わたし達の中には、神様から離れた状態の、肉に支配された部分があるので、キリストの体として働くことに困難が起こる場合があるのです。

もう一つの障害こそ、今日の聖書箇所を通してパウロが伝えようとしている事。
それは、悪魔との戦いです。
悪魔がわたし達に働きかけ、その働きの邪魔をするので、わたし達がキリストの体として生きることが難しくなってしまうのです。
では、悪魔とはどのような存在なのでしょうか?
そして、わたし達はどのようしてその存在と戦っていけばよいのでしょうか?

今日から2回にかけて、悪魔との戦いについて一緒に考えていきたいと思います。

① 霊的な戦いに備えて
悪魔というと、どうも私たちはマンガやアニメや、映画の影響を受けていて何か世界を滅ぼそうとしたり、快楽でわたし達を誘惑するというイメージばかりが先行してしまいがちです。
そういうイメージによって、わたし達は悪魔の存在を信じることができなくなってしまったり、その働きや戦う方法を誤解してしまったりするかもしれません。

幸いなことに、わたし達はそういうメディアが作り出したような存在と戦うわけではないので、修行をしてエネルギー波を出したり、何か特別な兵器を発明する必要はありません。
聖書にはこう書かれています。

6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

悪魔との戦いは、わたし達の目には直接見えないところで起こる戦いです。
しかし、その戦いがわたし達の心や、生活、人生の中に影響を与えてきます。
そして、わたし達がキリストの体として生きようとすることの邪魔をするのです。
だからこそわたし達は、この悪魔という存在を理解し、立ち向かう方法を知る必要があります。
この戦いを避けることはできないからです。
では、悪魔とは何者なのでしょうか?

悪魔がいったい何者であるかという事は、聖書にはあまり詳しく書かれていません。
ただ、悪魔は神様への最初の反逆者だったようです。
しかし、創られた存在でしかない悪魔は、どうやっても神様に勝つことなんてできません。
だから、神様にとって最愛の存在であるわたし達を道連れにしようとしているわけです。
アダムとエバに起こったのは、まさにそういう出来事でした。
その策略によって、人間は確かに神様から離れ、第二の反逆者となり、死んだ存在となってしまいました。
それでも神様は、この人間という存在をあきらめることなく、救い出すために命を投げ出してくださったのです。

悪魔には、その事が許せないのでしょう。
悪魔の目的は、一人でも多くの人間を道連れにして神様から離す事と、わたし達が神様の体として働く力を奪い、無力にしてしまう事です。
そのために、悪魔はわたし達に嘘をつき、神様の愛や力に疑いを与え、神様という存在を誤解させ、憎ませようとするのです。

創世記の中で、悪魔がアダムとエバに対してしたのは、嘘をつくことです。
神様の心はいかに狭く、我々には自由を与えないかという嘘をついて、騙しました。
ヨブ記の中では、ヨブを絶望的な状況に突き落して、神様なんていないか、愛されていないかのように思わせようとしました。
他にも様々な方法で、人を神様か引き離そうとする姿を、聖書の中で見ることができます。

わたし達の心が、神様から離れるとき、与えられている使命から引き離されようとする時、そこには悪魔の策略があります。
霊的な戦いは、わたし達の目には見えないので、時としてわたし達は、悪魔が囁く嘘が事実であるような錯覚に陥って、騙されてしまう事があります。
あるいは、悪魔によって与えられる絶望に負けて、力を失ってしまう事があります。
だからこそわたし達は、悪魔との霊的な戦いに、いつでも備えている必要があるのです。

② 戦いは避けられない
戦いは、必ずあります。
わたし達は、神様の側にいようとする限り、戦いは避けられないという事を忘れてはなりません。
クリスチャンになった人生は、神様と共に歩む人生なんだからいいことばかりに違いないと思っていたとしたら、直面する現実にあっという間に押しつぶされてしまうでしょう。
神様と共に歩む人生には、もちろんたくさんの喜びがありますが、それはわたし達にとって都合のいいことばかりが起こる人生ではないのです。

わたし達は、クリスチャンとなり、キリストの体として生きようと願います。
すると、最初の内は問題なく、それどころか素晴らしい喜びと共にその道を歩む事ができます。
聖書を読むことも、祈ることも、教会に行くことも楽しくて仕方がない。
人生の中では自分に与えられた使命も見出し、その働きの中に喜びがあります。
ところがそこに、問題が起こります。
それもひとつやふたつではなく、次々と問題が発生して、収拾不能の状態に陥ったりする。
すると、わたし達の焦点はその問題の方に向けられてゆき、最初のころの喜びはだんだん影をひそめるようになっていきます。
そしてわたし達は、困難や問題の中でも解決をしてくれない神様に苛立ち、不満を抱くようになっていくのです。
悪魔は、わたし達の目をそらせ、誤解させ、混乱を与える事を得意とします。
また、わたし達の弱点をよく知り、そこを突き、誘惑してきます。
悪魔は、わたし達に絶望を与え、神には愛がない、力がないと思わせようとするのです。

悪魔は、わたし達のそういう誤解を利用して働きかけてきます。
だから神はいないという思いもそうですが、わたし達の熱心な信仰心さえも利用してくることもあるのです。
「それは、祈りが足りないからだ。」
「聖書をちゃんと読んでいないからだ。」
「信仰が足りないのだ。」
どれも、もっともに聞こえるようなこの言葉は、すべて私たちの思いを、神様から自分の行いへと向ける言葉です。
まるで、わたし達に熱心さがなければ、神様は力を発揮することができない様です。
わたし達が神様との間に築いていた関係は、いつの間にか自分の行いへと変わっていき、神様の働きを自分自身でしようとするようになってしまうのです。
そうなれば悪魔の思う壺、わたし達の力なんてちっぽけなものでしかありませんから、わたし達の内に働く神様の力に怯える必要はもうなくなるのです。

このような戦いの中にある時、わたし達はそこに何が起こっているのかを理解しなければ、対応することができません。
悪魔がわたし達を試み、わたし達を神様から引き離そうとしているという事を理解するのでなければ、わたし達は目先の成功や幸せだけを求めて、悪魔の策略に簡単に乗ってしまう事でしょう。
わたし達はまず、そこに戦いがあることを知らなければならないのです。

③ 神様は何をしているのか?
それでは神様は、どうしてわたし達を、このような試みから守って下さらないのでしょうか?
神様なら、このような困難なことが起こる前に止めて下さることもできたはずではないのでしょうか?
本当は、たくさんの試みから、わたし達を守って下さっているのかもしれません。
守られている時に、わたし達はそれに気づかないのです。
でも、神様が悪魔の試みから守らないことがあるのです。
そこには3つの理由がある事を、わたし達は聖書の中に見つけることができます。

ひとつは、わたし達への信頼のためです。
ヨブに対する試みがあった時の事を、思い出してみてください。
「祝福がなければヨブは神を愛さない。」と行った悪魔の言葉に対して、神様はヨブを信頼しているからその試練を与えることを許したのです。
イエス様が、最初に荒野で経験した悪魔の誘惑も、父なる神様の信頼なしには起こりえない事だったでしょう。
わたし達に試練が起こる時、神様は、わたし達がその試練を乗り越えることができると信頼してくださっているのです。

第二に、わたし達の成長のためです。
試練は、わたし達にとって苦しい体験ですが、それによってわたし達を成長させるものでもあります。
聖書には、このような言葉があります。

ヘブル 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

神様は、わたし達を愛し、成長を願っているからこそ、わたし達が試みに合う事も許されるのです。

第三は、わたし達が神様だけにより頼むためです。
パウロは、宣教の旅の中でこのような経験をしています。

IIコリント 1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
1:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

わたし達が、自分の力に頼り続ける限り、神様はご自身の力をそこに見せて下さることができません。
わたし達には自由意思が与えられていますから、わたし達が自分でそれをやろうとする限り、神様はそこに干渉できないのです。

わたし達は、これまで神様なしに生きてきた経緯がありますから、ついつい自分の力により頼んでしまいます。
でも、わたし達の力には、限界がありますね。
より大きな困難の時に、わたし達が自分の力に頼って自滅してしまわないために、わたし達が神様により頼む訓練をして下さるのです。
乗り越えられない困難に陥った時、わたし達は神様により頼みます。
本当は、そうでなくてもいつでもより頼むことができていたらいいですね。

神様は、いつでも、どんな時でもわたし達と共に歩んでくださっています。
悪魔の試練に合う、その時にこそ。
来週は、悪魔と戦う時に必要なことについて、もう少し詳しくお話していきたいと思います。

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