エレミヤ31:31-34 『 エレミヤ11 その日、新しい契約を結ぶ 』2014/04/06 松田健太郎牧師

エレミヤ31:31~34
31:31 見よ。その日が来る。―主の御告げ―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ―
31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを。書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主の御告げ―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

先週に引き続き、エレミヤ書の31章からお話ししていきたいと思います。
先週もお話しした事ですが、エレミヤ書の31章は、それまでの神様の怒りモードから一転して愛を宣言する章なので、とても大切な章なのです。

前回のところでは、神様はこれまで自分を裏切り続けてきたユダ王国を、それでも赦し、永遠の愛で愛することを宣言しました。
その愛が、どのような形になるかを表しているのが、今日の箇所の言葉なのです。

① 古い契約
神様はここで、イスラエル・ユダの人々と、もう一度新しい契約を結ぶ事を約束します。
新しい契約があるとしたら、古い契約とは何でしょうか?
まずは、神様がどのような契約を結んできたか、見てみましょう。

初めに神様は、アブラムと契約を結びました。
それは、当時子供がいなかったアブラムの子孫が砂の数ほどに増え、大きな国民となる事。
そして、アブラムの子孫からメシヤが生まれるという事でした。
その契約は、イサク、ヤコブへと受け継がれ、その子孫へと渡されていきます。

次の契約は、モーセとの契約です。
神様は十戒を始めとする律法をイスラエルに与え、その律法を守る者には祝福があり、破る者には呪いがあるという契約を結びました。
これは、とても厳しい内容の契約でしたが、この契約には別の目的が隠されていました。
第一に、この契約の内容を通して、神様が求める正しさの基準が表されること。
第二に、その基準はあまりにも高くて、罪人となってしまった人間には絶対に達成できない呪われた存在だという事を理解する事。
だから律法の中には、律法を守れなかった時に赦される方法も記されていましたし、律法の象徴である十戒が刻まれた石板は、箱の中に収められ、“贖いの蓋”と呼ばれるものによって覆われたのです。
そして第三に、呪われた存在である自分には、神様の助けが必要であることを理解して、神様に立ち返る事です。

三つめの契約は、ダビデとの契約です。
ダビデとの契約の内容は、メシヤがダビデの子孫から生まれるという、アブラムにされた契約の確認がひとつ。
もうひとつは、イスラエルが神様との関係を守り続ける限り、王国は永遠に祝福されるという契約です。

これまでの契約を通して、イスラエルの人々が学んできたことは何かといえば、「神様は、必ず契約を守られる。」という事でした。
人間の側が破ってしまう事はあっても、神様が契約を破ることはありません。
それは、神様との間の絶対的な約束なのです。
そして神様は新たに、4つ目の契約を人間との間に結ぶことを、この預言書の中で約束しました。
それでは次に、新しい契約とはどのような契約なのかを見ていきましょう。

② 新しい契約
神様はこのように言っています。

31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ―

ここで引き合いに出されているのは、モーセとの契約ですね。
律法による契約は、人々を別の方向に導くための手段であり、直接的な約束ではありませんでした。
だからその契約は、不完全なものであり、一時的なものでしかなかったのです。
結果的にイスラエル人たちは、この契約を歪めて解釈してしまい、神様との関係を表面的で宗教的なものに換えてしまいました。

神様が人々と結ぶ新しい契約は、そのようなものではないと神様は言うのです。

31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを。書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主の御告げ―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

かつての契約による律法は、表面的な行いについて述べられていただけでした。
それは、知識なので伝達されなければならず、教えられなければ神様の御心を理解することもできませんでした。
そこには赦しの手段も示されていましたが、そのために何度も生贄を捧げなければならず、結果としてそれはますます儀式的なものになっていってしまいました。

ヨシア王の時代に起こった宗教改革が、まさにそれを表しています。
ヨシア王は律法を復活させて、律法によってユダの人々を変えようとしましたが、どれだけ教え、どれだけ人を変えようとしても、結局人々が変わることはありませんでした。

新しい契約は、そうではありません。
新しい契約は、私たちの心そのものを、内側から変えるという契約です。
それは表面的な文字や言葉ではなく、神様ご自身が私たちの内側に住まわって下さり、語り掛けて下さるのです。
私たちは無条件に神様の民とされ、その関係は決して失われることがなく、知識の伝達さえも必要とされないのでした。
その赦しは永遠のもので、その赦しを受けるために何度も何度も儀式を行う必要はありません。
この新しい契約が結ばれる時、私たちは、心が変えられ、補われ、贖われ、神様との関係が修復されるのです。

③ 約束の成就
それでは、その新しい契約はどのようにして実現したのでしょうか?
残念ながら、エレミヤの時代の人々は、この新しい契約を見る事ができませんでした。
この約束が成就するのは、ここからまだ数百年先、つまりイエス様が地上に来られるのを待たなければならなかったのです。

イエス様ご自身が、新しい契約に関して、このように言っています。

ルカ20:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」
20:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

新しい契約、それはイエス様が自らの命を生贄として捧げ、十字架で流した血によって結ばれた契約です。
私たちが律法を守ることができず、受けなければならなくなった呪いの全てを、イエス様が背負い、贖って下さったのです。
イエス様の十字架によって罪が赦されたことを信じる信仰によって、新しい契約は結ばれ、約束されていた聖霊が与えられます。
聖霊によって私たちの心は内側から変えられ、聖霊によって私たちは救いを受け取り、聖霊によって神様は私たちに語り掛けて下さるのです。

イエス様は、この契約のしるしとして、聖餐式を執り行いました。
聖餐式そのものが、契約なのではありません。
聖餐式は、イエス様がして下さった事への理解を深め、覚えているための礼典です。
私たちがパンとブドウ酒を口にする事によって、私たちがキリストの体の一部であり、救いが私たちの中にあることを疑似体験するのです。

私たちも、これから聖餐式を執り行って、この契約を改めて確認したいと思います。
ですから、自分は新しい契約を受け入れないという皆さんは、これから配られるパンとブドウジュースを手にするのをご遠慮いただきたいと思います。
信仰を持たない皆さんがこのパンとブドウジュースを口にする事は、納得していない契約書にサインをするようなものだからです。
聖書にはこのように書かれています。

Iコリント11:27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
11:28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。

しかし今日、神様との関係を回復したいと願われるなら、ぜひ積極的に聖餐式に預かっていただきたいと思うのです。
洗礼を受けたかどうかは問いません。
これまで信仰をもってこなかった皆さんも、この機会にぜひ、イエス様を救い主として受け入れ、新しい契約の中に入ってみませんか?
ここでパンとブドウジュースを取ることによって、その信仰を明らかにしていただきたいのです。

それでは、聖餐式を執り行いましょう。

ヨハネ6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
6:58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」

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