ダニエル3:1-13 『 ダニエル3 燃えさかる炉 』 2014/05/18 松田健太郎牧師

ダニエル3:1~13
3:1 ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
3:2 そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。
3:3 そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。
3:4 伝令官は大声で叫んだ。「諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。
3:5 あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。
3:6 ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。
3:7 それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。
3:8 こういうことがあったその時、あるカルデヤ人たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。
3:9 彼らはネブカデネザル王に告げて言った。「王よ。永遠に生きられますように。
3:10 王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。
3:11 ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め』と命令されました。3:12 ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」
3:13 そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。

今日の聖書箇所に出てくる話は、このダニエル書の中でも最も有名な話のひとつではないでしょうか?
子供の話の中でも、何回か話されてきたことなので、覚えている方もいらっしゃると思います。

① 金の巨像
バビロン帝国の王、ネブカデネザルは巨大な金の像を建てます。
その高さは六十キュビト、つまり30メートルもありました。
当時としては、すごく大きな像ですね。
この像が何のために作られたのかと言えば、権威の象徴です。
力の大きさを誇示して、威圧的に人々を見下ろしているのです。

ネブカデネザル王はすべての国民がこの像にひれ伏すように指示し、それに背いたものは炉の中に投げ入れて殺してしまうと宣言しました。
国民が一つの像を崇拝することによって、国民の心を一つにまとめる事ができると考えたのかもしれません。

そこでちょっと思い出していただきたいのですが、先週のメッセージは、ネブカデネザル王が見た夢についての話でした。
ネブカデネザル王は、夢の中で像を見たのです。
夢の中でその像は、頭は金で、体は銀、銅の辺りは青銅ででき、太ももは鉄、さらに足の部分は鉄と粘土でできていました。
ダニエルによるとその夢は、バビロン帝国を始めこれから起こっていく王国の事を表していました。
その中で、金の頭はネブカデネザルが治めるバビロン帝国を表していると言われていました。
ネブカデネザルは、まさにこの夢で見ていたように、全身金で覆われた像を作りあげたのです。

しかし、この夢が表していた意味を思い出して下さい。
夢で見た像は、人間が作り上げるものの不完全さとその脆さを表しているものでした。
人間が作り上げたものはやがて壊れ、神様が創ったものだけが残るのです。
しかしネブカデネザルは、まるでその夢のメッセージに逆らうように、全身が金で覆われた像を作りました。
夢の解き明しを聞いて、一度はダニエルの神を崇めましたが、自分はその神をも超えてやるとでも言うように神様に抗い、自分自身とその王国の偉大さを誇示しようと必死になっているのです。
だから、この像にひれ伏して拝まない者は、火の燃えさかる炉の中に投げこまれて焼き殺すと、強引な手段まで取っているのです。

② 妥協してはならない時
しかし、シャデラク(ハナヌヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベデ・ネゴ(アザルヤ)の三人は、ネブカデネザルの命令に背き、この巨像を崇める事をしませんでした。
彼らは、決して真の神様以外のものに膝をかがめ、仕える事はしないと心を決めていたのです。
そうやって彼らは、自分自身の神様への信仰と忠誠を露わにしました。

私たちクリスチャンが、日本式のお葬式やお墓参りに招かれたとき、どうするべきかという事には色々な考え方があると思います。
そもそも、そこにいる人たちも信仰を持っていると言うわけではなく、形式だけのお葬式なのだから、他の人たちと同じように手を合わせながらも、心は神様を向けていればいいのだという考え方もあるでしょう。

イスラム圏では、改宗することはそのまま殺されることを意味しているという国も少なくありません。
そういう国で信仰を持つ人たちの中には、モスクでイスラム教徒たちの中に混ざりながら、イエス様に礼拝を捧げている人たちもいます。

しかし、私たちは命を賭けても妥協してはならない時があります。
いつがその時かという事は、自分の信仰の度合や、状況によっても違うでしょうが、聖霊がひとりひとりにその時を教えてくれることだと思います。
シャデラク(ハナヌヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベデ・ネゴ(アザルヤ)たちにとっては、今この時が決して妥協することができない時だったのです。

像を拝むように強要するネブカデネザル王に、三人はこのように応えました。

ダニエル 3:16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
3:17 もし、そうでなければ、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

シャデラク(ハナヌヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベデ・ネゴ(アザルヤ)は、例え火の燃える炉に放り込まれても、神様が必ず救い出して下さることを信じていました。
預言者イザヤを通して、神様はこのように言っています。

イザヤ43:1c 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
43:3a わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。

彼らがイザヤのこの言葉を知っていたかどうかわかりませんが、彼らはまさにそのように信じていたのです。
この言葉は心強いですね。
ただ、私たちは覚えておかなければならない事があります。
それは、神様は水の中を通らなくて済むようにとか、火の中に入らなくてもいいように助けてくれるわけではないという事です。

神様が助けて下さるのですから、どうせなら火の中に入れらないようにして下さればいいのに・・・。
火の中を通らなくて済むのであれば、それに越したことはないと私たちは思うじゃないですか。
でも三人は、燃える炉の中に入れられてしまいます。
何も害がなかったというけれども、熱くなかったわけがありません。
しかし、その大変な状況の中でも、神様が共にいるから大丈夫だというのが、神様の助けなのです。

③ 私たちの覚悟
シャデラク(ハナヌヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベデ・ネゴ(アザルヤ)の信仰には、さらにもう一つ深い覚悟というものがありました。
三人は、神様が救って下さるという確信の後に、このようにも続けているのです。

3:18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

しかし、例えそうでなくても・・・と彼らは続けています。
自分が安全だからでも、問題が起こらないからそうするのでもなく、例えそれで命を失う事になったとしても、彼らは神様だけに仕えると固く決心していたのです。

炉の中に投げ入れられるという経験をするためには、ここまでの覚悟と決心が必要なのかもしれませんね。
私たちは、多くの場合苦難や困難を避けてしまいます。
問題を避けるために、神様の愛に甘えて簡単な道を進んでしまいます。
それも知恵であり、必ずしも間違っているわけではありません。
しかし、火の中を通ることを避けてしまったために、どれほど神様の力を目の当たりにしたり、成長するための機会を失ってしまっている事でしょうか?
私たちは、大きなリスクを負いながら、それでも神様が示す道を信じて進むとき、その先にある神様の御業を体験することになるのです。

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って燃えさかる炉の中に放り投げたネブカデネザルたちは、信じられない光景を目撃します。

ダニエル3:24 そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」
3:25 すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

ネブカデネザルたちは、三人を縛って投げ入れたのに、彼らが見たのは縄を解かれた四人の人たちでした。
彼らは火傷ひとつ負っていません。
そして第四の人物は、まるで神々の子のようだとネブカデネザル王は言っています。

この第四の人物は誰でしょうか?
答えが書かれているわけではないのではっきりした事は言えませんが、これはイエス様だっただろうなと思うのです
私たちが苦難に直面する時、イエス様は私たちとともに歩んで下さいます。
そして、イエス様とともに歩むなら、私たちは大丈夫なのです。

忘れないでください。
神様の導きに従う時、問題は起こらないのではありません。
問題はたくさん起こるでしょう。
でも、イエス様とともにその問題をする無とき、私たちはその問題を乗り越える事ができる。
それを通して私たちは神様の御業を経験し、信仰的にも、人間的にも成長していきます。
それが、神様のご計画と言うものなのです。

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