ダニエル10:12-21 『 ダニエル11 見えない戦い 』 2014/08/03 松田健太郎牧師

ダニエル10:12~21
10:12 彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
10:14 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」
10:15 彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。10:16 ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。
10:17 わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」
10:18 すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、
10:19 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
10:20 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。
10:21 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。

さて、いよいよダニエルに与えられた黙示も、最後の黙示となりました。
このビジョンは、10章から12章まで3章に渡って続くんですね。
とても長い黙示ですが、今日はその序章です。

これまでダニエルに与えられていた黙示に関わっていたのは、御使いガブリエルでしたが、最後の黙示に限っては違う御使いが現われます。

ダニエル 10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
10:6 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがき上げた青銅のようで、そのことばの声は群衆の声のようであった。

実は、これと似たような表現が黙示録の中にも登場します。
黙示録に登場するその姿はイエス様なので、ダニエル書に登場するのもイエス様なのではないかという説があるのですが、これだけでははっきりした事は言えません。
他の色々な描写を見ていると、イエス様のようでもあり、イエス様ではなさそうでもありますので、ここは断定しないでおく方がいいかもしれません。

いずれにしても、かなり強力な御使いである事は確かなようで、ダニエルはこの御使いの姿を見ただけで力が抜け、声を聴いただけで意識を失っています。
内容は、これまでダニエルがガブリエルから聴いてきた事と重なっている部分もありますが、このような御使いがわざわざ伝えに来たビジョンですから、大切な預言であるに違いありません。
この御使いは、ダニエルに何を語ったのか?
今日から3週間かけて、この事を共に学んでいきましょう。

① 霊的な戦い
さて、イエス様にも見えるこの御使いは、どうしてダニエルの元に来たのかを話します。
その中で話される、裏の世界(霊の世界)で起こっている出来事は、私たちにはとても奇妙に聞こえます。

ダニエル 10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
10:14 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

 

ダニエル 10:20 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。
10:21 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。

現実の世界では、ペルシャ帝国がどんどん強くなり、勢力を広げ、ついにバビロン帝国を滅ぼし、ユダ王国の次なる支配者となりました。

しかし、この御使いが語っているのは、誰かがペルシャの王と戦う実質的な戦争の話ではありません。
現実に起こっている表面的な出来事ではなく、歴史の裏の話。
物質的世界ではなく、霊的世界で起こっている出来事です。
この御使いによれば、ペルシャ帝国が強くなり、大きくなっていきその裏では、ペルシャの国の君と呼ばれる守護天使の働きがありました。
しかし、イスラエルの守護天使であるミカエルの活躍により、何とか撃退し、やがてペルシャは打倒されることになります。
でもその後には、ギリシヤの君がユダ王国を苦しめる事になると言うのです。

こういう話になると、少なからず抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
私たちが生きている世界は、現実主義的であり、物質主義的な価値観で占められているからです。
つまり、見る事ができないもの、触る事ができないもの、科学で証明することができないものは疑わしいというのが、現代社会の中では大きな価値観となっているのです。

しかし霊的な戦いもまた、現実に起こっている出来事であると聖書には書かれています。
私たちに直接見える原因や結果だけでなく、その裏に霊的な戦いがある。
その霊的な戦いの結果を、私たちが現実の中で体験しているのかもしれません。

② 霊的な戦いを戦うために
ヨブ記を読んだことがある方は、思い出して見て頂きたいのです。
ヨブ記で語られていたのは、霊的な戦いと言うものとは少し違いますが、霊的世界での出来事が、物質的な世界にどのような影響を与えるかという事が描かれています。
霊的な世界で起こった事により、ヨブは財産を失い、家族を失い、病気となりました。

私たちが直面する事のすべてが、霊的戦いの結果だと言うのは言い過ぎかもしれません。
しかし、私たち現代人は、見えない世界で起こっている出来事に対して、あまりにも無関心であり、あまりにも無防備なのではないでしょうか。

ペテロはこのように警告しています。

Iペテロ 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

それでは、どのようにして、悪魔と戦う事ができるのでしょうか?
まず第一に私たちにできるのは、祈る事です。
先々週も、ダニエルの祈りというテーマで、祈りの大切さについてお話ししました。
祈りは、私たちが悪魔に立ち向かうために使う事ができる、大切な霊的武器です。
なぜなら、私たちは、自分の力で霊的な戦いを戦い、打ち勝つことはできないからです。
私たちが祈る時、そこにあるのは私たちの力ではなく、神様の力なのです。

霊的な世界は、私たちには目に見る事とができない世界ですし、私たちの敵はあまりにも強大です。
私たちは、神様にその戦いを戦っていただき、勝利していく必要があるのです。

第二に、私たちが神様の側に立ち続け、神様に従う事です。
私たちは、見えない敵である悪魔に、簡単に操られ、動かされてしまいます。
敵であるサタンの最大の武器は嘘であり、特に私たちの感情に働きかけてきます。
私たちは、自分の感情を信頼してしまう傾向があるからです。
私たちの怒り、憎しみ、悲しみ、絶望・・・。
悪魔は嘘を通して、そういうネガティブな感情を揺さぶってくるのです。

預言者エレミヤの時代には、たくさんのユダヤ人たちが、自分たちの感情に従ったために悪魔の嘘に引っ掛かりました。
そうして神様の御心を歪めて解釈してしまい、その結果滅んでいったのです。
ダニエルの時代には、バビロン帝国の支配の中で、多くの人々が希望を失い、エレミヤの預言を信じる事ができずに諦めていってしまいました。
そこにも、霊的な戦いがあったのです。

霊的な戦いのために大切な第三の事は、勇気を出して、信仰を持って、悪魔に立ち向かうという事です。
ヤコブはこのように言っています。

ヤコブ4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

私たちが、いかに苦しまないように、いかに傷つかないようにと、自分を守って行動しようとするなら、すべて悪魔の思う壺です。
悪魔に対しては、攻撃こそが最大の防御なのです。

③ 侮らず、恐れない
来月くらいから始まる予定のエズラ記やネヘミヤ記、エステル記や歴代誌などを読んでいると、この辺りの時代の背後では、激しい霊的な戦いが起こっていた事が伺えます。
たびたび、信じられないような問題が起こっては、彼らは危機に陥りました。

私たちは、悪魔の力を侮ってはいけません。
私たちは、見えない神様にゆだねる事が難しいのと同じように、見えない悪魔には何もする事ができないかのような錯覚を持ってしまいます。
しかし、見る事ができないからこそ、なおさら厄介な事もたくさんあるのです。

それと同時に、私たちは悪魔の力を恐れすぎてはいけません。
恐れは、返って悪魔に力を与えてしまう事にもなってしまうからです。
霊的な事に敏感になり過ぎて、イエス・キリストの御名によって悪魔を追い出し続けないではいられなくなってしまった人を見たことがあります。
どこに行くにも、その前に必ず祈り、悪霊追い出しをしてからその部屋に入ります。
そして何か少しもおかしな事が起こると、全て悪霊のせいであるかのように言うのです。
あまりに悪霊を恐れすぎると、私たちは何もできなくなってしまいます。
それもまた、悪魔たちが願っている事ではないでしょうか。

私たちは、悪魔の力を恐れる必要はありません。
神様は、すでに勝利している事が聖書には宣言されているからです。

Iヨハネ5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

イエス様は、悪霊に勝利することなんて、当たり前の事だとさえ言っています。
ルカ17:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

私たちが、霊的な戦いを正しく認識し、正しく戦うなら、勝利は私たちと共にあります。
私たちは、御使いに守られているどころか、神様ご自身が聖霊として私たちの内にいて下さり、共に戦って下さるからです。
神様の守りがいつもあり、勝利を味わう事ができるよう、共に祈りましょう。

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