ダニエル12:1-13 『 ダニエル13 最後の先 』 2014/08/17 松田健太郎牧師

ダニエル12:1~13
12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
12:4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」
12:5 私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。
12:6 それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」
12:7 すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
12:8 私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」
12:9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
12:10 多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。
12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

今日でいよいよ、ダニエル書が終わります。
そして、イエス様に似た御使いによる預言の終わりでもあります。
前回の話では、反キリストの型として登場する、アンティオコス・エピファネスがどのような人物かというところから始まり、終末の時代、反キリストを倒す最後の戦いがある事を学びましたね。
今日は、その続きです。

① いのちの書

ダニエル 12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

『その時』と言うのは、最後の戦いの時という事ですね。
反キリストを倒す最後の戦いの中で、イスラエルを守護する御使いであるミカエルが立ち上がり、戦うのです。
先々週、10章のところで語られた、霊的な戦いですね。
そしてこの戦いの時イスラエルは、これまでなかったほどの苦難に飲み込まれるのです。
黙示録でも語られている、大患難時代が始まるんです。

イエス様も、この苦難の時について話しているところがあります。

マタイ24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

この苦難を避けるため、“荒らす忌むべきもの”が神殿に立ったら、ユダにいる人たちは急いで山の上に逃げなさいと、イエス様は忠告しています。
大患難時代は、イスラエルだけでなく全世界に及びますが、ユダにいる人たちに対しては、イエス様が特別な忠告をしているのです。

その時、多くの命が失われます。
最終的には全ての人が死ぬわけですが、『その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」と書かれています。
“あの書”とは、いのちの書の事です。

いのちの書については、聖書の中で詳しく話されているところはなく、実際にどのようなものなのかという事はわかりません。
しかし古くはモーセの時代から、黙示録にいたるまで、聖書の中で何度も登場します。
その中でわかるのは、この書に名前を記されている人は救われるという事です。
イエス様は、悪魔があなた達に従うという事よりも、天に名が記されている事を喜びなさいと言いました。
いのちの書に名が記されているという事は、とても大切な事なのです。

② 永遠のいのち
続いてこのように書かれています。

ダニエル 12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。

死んだ人たちは、やがて復活するのだという事です。

人はもともと、神様と共に永遠に生きる存在として創られていました。
しかし、人が神様から離れて罪人となってしまったことにより、霊的に死んだ者となり、それに伴って肉体も老い、朽ち果てていくようになってしまったのです。

そんな私たちも、この物質的な世界が終わる時には、もう一度復活させられるのです。
そして、私たちの魂は、永遠の時を過ごす事になります。
いのちの書に記されている人たちは、いのちを持つ者として、永遠の時を神様と共に過ごします。
でもある人たちは、永遠の時を神様がいないところに行き、そしりと忌みの中で過ごす事になるというのです。

実を言うと僕は、キリスト教会はこの天国と地獄という事について語り過ぎているように思っているんですね。
まるで、私たちが天国に行くか地獄に行くかという事が、一番大切な事であるかのように聞こえることがあります。
多くの人たちの関心が死後の事にあるのだから、ある程度は仕方がない事だと思います。
でもその結果、多くのクリスチャンは、自分が天国行きの切符を手に入れたら、もう後はどうでもいいような信仰生活を送ってしまうように思うのです。
福音のポイントは、信じたら天国に行くという事にあるのではなく、私たちが今神様との関係を回復しようという事にあるというのが、僕の考えです。
でもそれは、死後の復活の事なんてどうでもいいという意味ではないのです。
それもまた、聖書が私たちに表わしている真理であり、真実なのですから。

それでは、復活は私たちにどのような意味を持っているでしょうか?
私たちが復活するという真理は、第一に私たちの選択について考えさせてくれます。
私たちが生きている間にする選択が、死後の、そして復活後の永遠の人生を左右するからです。
復活がないなら、私たちは自分の選択に関してそれほど深刻に考える必要はありません。
どうせ死んだら終わりですから、今の事だけを考えて無責任に選択しても、どうせ数十年の人生です。
しかし、その選択が永遠の時に係わるなら、私たちは自分の選択を慎重にする必要があるのです。

復活の真理によって変わる第二の事は、私たちの生き方が変わるという事です。
復活がないなら、生きていくという事が本当に大切な事で、なるべく長く生きていなければならなりません。
また、生きている間には、なるべくたくさんのものを見て、面白おかしく過ごせれば最高です。
でも、復活があるなら、今のこの世界で面白おかしく過ごすことよりも、永遠の時を喜びの中で過ごすための準備として生きる事が大切になってくるのです。

復活の真理によって変わる第三の事は、私たちには希望が与えられるという事です。
今生きているこの人生が、どれだけ辛く苦しいものだったとしても、復活して永遠の時を喜びの中で過ごす事ができるなら、私たちはそこに希望を持つことができるのです。

③ 栄光の輝き
残念であり、悲しい事ですが、多くの人たちは反キリストを選び、自らをさばきに定めてしまいます。
まだ見る事ができず、不確かな永遠の命よりも、実感する事ができる今を優先してしまうからです。

悪に属する多くの人々は闇を好み、光から自分を遠ざけて、自らさばきにさだめるとイエス様は言っています。(ヨハネ3章)
私たちが自分にある罪にしがみつくなら、その性質のために私たちは光を嫌う事になります。
その結果、私たちは光である神様(イエス様)を選ばず、自らを闇の中に閉じ込める事になってしまうのです。

しかし光であり、いのちを選ぶ人々には、大きな報いが備えられています。

ダニエル 12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。

私たちは、地上でも輝いている人たちを見る事ができます。
喜びに満ちていたり、人格に優れていたり、スター性があるようなカリスマを持った人たちは、私たちの目に輝いて見えることがあります。
しかし、私たちが天の御国で受ける輝きは、そんなものとは比べ物にならない、神様の栄光の輝きという素晴らしい光です。

かつてペテロとヨハネは、イエス様がこのような栄光の輝きに包まれているのを目撃したこともありました。

マタイ17:1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
17:2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

天の御国で、私たちはいつでも輝いた存在として生きるのです。

④ みっつの質問
ダニエル書を終える前に、皆さんにもう一度考えてみて頂きたい事があります。
ひとつは、「あなたの名前は、いのちの書に記されていますか?」という事です。
皆さんには、その確信があるでしょうか?
どうして、そのように答える事ができるのでしょうか?

ふたつ目は、「永遠のいのちを生きる事を前提として、今を生きる事ができていますか?」という事です。
できていないとしたら、私たちはどのように生き、どのように今と向き合う必要があるのでしょうか?
永遠のいのちに続く今の人生を、私たちは生きる必要があるのです。

そして三つ目は、「あなたにとって、神様はどのようなお方だろうか?」という事です。
ダニエルは、自分の身に起こっている事、自分に示されたことのほとんどを、自分自身で理解していたわけではありませんでした。
彼は若くして自分の家族から引き離され、遠い外国の地で、見知らぬ王に仕え、時には命さえ危なくなるほどに迫害されていました。
最期には、自分の生まれ故郷の地を見る事もなく、異国で死んでいったのです。

それでも腐ることなく、最後まで神様に従い続けた姿勢はすさまじいものです。
ダニエルの中には、この3つの質問に対する確かな答えがあったのではないかと、僕は思います。
ダニエルは思慮深く、神様を心から愛していた人だったからです。

ダニエルのような思慮深さと、神様への愛が、私たちの内にも育っていきますように。
祈りましょう。

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