エズラ1:1-11 『 エズラ1 エルサレム帰還 』2014/08/31 松田健太郎牧師

エズラ1:1~11
1:1 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
1:2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
1:3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
1:4 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」
1:5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。
1:6 彼らの回りの人々はみな、銀の器具、金、財貨、家畜、えりすぐりの品々、そのほか進んでささげるあらゆるささげ物をもって彼らを力づけた。
1:7 クロス王は、ネブカデネザルがエルサレムから持って来て、自分の神々の宮に置いていた主の宮の用具を運び出した。
1:8 すなわち、ペルシヤの王クロスは宝庫係ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を調べさせ、それをユダの君主シェシュバツァルに渡した。
1:9 その数は次のとおりであった。金の皿三十、銀の皿一千、香炉二十九、
1:10 金の鉢三十、二級品の銀の鉢四百十、その他の用具一千。
1:11 金、銀の用具は全部で五千四百あった。捕囚の民がバビロンからエルサレムに連れて来られたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみないっしょに携えて上った。

今日から新しいシリーズ、エズラ記を読み始めます。
エズラ記を読んだことがある方は、この中でどれくらいいるでしょうか?
覚えている限り、僕はエズラ記からのメッセージを聞いたことはありません。
中には、そんなの聖書の中にあったっけ? という人もいるくらい、マイナーな話なんです。
でも私たちは、エレミヤ書を学び、ダニエル書を学んだあとでエズラ記に入りますから、それほど苦も無く理解していく事ができるだろうと思います。
むしろ、このタイミングでなければ、エズラ記を学ぶチャンスがないような気がしたのです。

それではまず、エズラ記に入るまでの状況を確認しておきましょう。
ユダ王国は、バビロニア帝国に侵略され、捕囚によってばらばらになってしまいました。
それはすべて、ユダ王国が神様に背き、偶像崇拝に走った結果で、預言者エレミヤが預言した通りの事でした。
しかし、エレミヤが預言していた事はもうひとつありました。
それは、この捕囚は70年で終わるという事。
その後にユダの人々は、必ず元の地に戻ってくることができるという事でした。

そして捕囚から70年後、その預言は現実のものとなりました。
紀元前539年、バビロニア帝国はペルシャ帝国のクロス王によって、滅ぼされてしまったのです。
エズラ記は、このクロス王の統治が始まった第一年の年(紀元前538年)から始まります。

① クロス王の勅令
バビロン帝国が滅ぼされて、ペルシャ帝国による統治が始まった時、クロス王によって最初に命じられたのは、イスラエルの人々を捕囚から解放することでした。

エズラ 1:1 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
1:2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
1:3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
1:4 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」

ペルシャ帝国はもちろん様ユダヤ教の国ではなく、ゾロアスター教が信仰されていました。
中でもクロス王は、他宗教に対して寛容の政策をとった王として知られています。
それにしても、ゾロアスターのアフラ・マズダではなく、主なる神様がクロス王に語り、エルサレムの神殿の再建を命じていると言っている事がすごいところです。
ペルシャ帝国の他の王たちの対応と比べてみても、クロス王による対応の仕方は特別だったことがわかります。

 

そこで、少しダニエル書を思い出していただきたいのです。
バビロン帝国からペルシャ帝国に移る時代について書かれているのは、ダニエル書の6章のところですが、ここにはバビロン帝国が滅ぼされた直後の王として、ダリヨスという名前が出てきています。
このダリヨス王は、最初からダニエルを信頼し、王に次ぐ権力を与えていましたが、他の大臣たちの企みによって、ダニエルはライオンの檻に入れられてしまいます。
神様の守りによってダニエルは守られ、それを目の当たりにしたダリヨス王は神様への信仰告白をするのです。
このダニエル6章からメッセージをした時にもお話しした事ですが、このダリヨスは、クロス王の事ではないかと思うのです。
第一に、歴史上の記録には、この時代ダリヨスという名前の王様は出てこず(歴史上知られるダリヨス1世の登場はBC558)、ダリヨスという呼び名は王に対して与えられる呼称だったと考えられること。
第二に、ダニエル5:31によると、ダリヨス王はメディア生まれ。
クロス王はもともと、メディアの王子だったという事。
第三に、同じくダニエル5:31によれば、ダリヨス王はこの時62才。
クロス王は紀元前600年生まれなので、この時やはり62才だという事です。

もちろん、歴史の記録にはないものの、ダリヨスという王が、ペルシャによるバビロニア占領後、暫定的なバビロン王として就任していた可能性もあります。
一方で、歴史上の記録には、クロス王がユダヤ教に改宗したという記録もありません。

なにより、この部分だけクロス王ではなくダリヨスと表記されている意味がよくわかりません。
でも、クロス王がダニエルと出会い、真の神様を知り、信仰を持ったのであれば、クロス王がユダヤ人たちを解放し、エルサレムの神殿の再建を命じたことは、すべて辻褄が合うのです。
それがどのような理由だったにしても、神様の偉大な計画が実現し、ユダヤ人たちはエレミヤの預言どおり、バビロン帝国から解放され、イスラエルに帰る命令が下されました。
驚くべきことに、この事は150年前に、イザヤによって預言されていた事でもあるのです。

イザヤ44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」

同じイザヤ書の45章では、クロス王は“油注がれた者”と呼ばれています。
“油注がれた者”というのは、ヘブル語で“メシヤ”。
つまり、救い主の事を指しています。
もちろんクロス王は本物のメシヤではなく、その型でしかありませんが、異国の王であるクロスが、救い主イエス様の型として登場しているのです。
神様がこの出来事を、どれだけ大きな出来事として考え、計画していたかがわかります。

② ゼルバベル
捕囚からの帰還は、大きく分けて3回あったと言われています。
第一回は、ゼルバベル(1章ではシェシュバツァルという名前で登場しています。)の指導の下で、前538年に。
第二回は、エズラの式によるもので、前458年。
第三回が、ネヘミヤによる、前445年の帰還です。
エズラ記の前半は、ゼルバベルによる帰還の時代で、およそ5万人に上る人々が、エルサレムに帰還しました。
第一回の帰還で活躍したゼルバベル(シェシュバツァル)は、ユダの主君と呼ばれていますが、実際に王族の人で、第2回の捕囚の時に連れて行かれたエホヤキンの孫です。
そして、イエス様の祖先でもあります。
マタイの福音書の1章では、ギリシャ語読みのゾロバベルという名前で記されています。
こうしてメシヤの血筋は、捕囚という大事件の中でも絶えることなく、ちゃんと続いているんですね。
この辺りの事は、普通に聖書を読んでいるだけでは、見落としてしまう部分だと思いますが、聖書全体のメッセージの中では、とても大切な部分でもあります。

ユダの人々が捕囚から解放されてエルサレムに帰還したとこの出来事は、第2の出エジプトと呼ばれるほどユダヤ人にとって大きな出来事です。
そしてこの出来事そのものが、メシヤが私たちを罪から解放してくださるという事の予表でもありますから、ここでゼルバベルが大きな働きをしている事は、とても感慨深い事でもありますね。


さて、最初の帰還で5万人もの人々がエルサレムに帰っていったのですが、それは捕囚によって連れていかれたユダヤ人の中の、ほんの一部でしかありませんでした。
多くの人たちは、今いる場所に留まり、なかなか動こうとはしなかったのです。
捕囚から70年も経っていましたから、ほとんどの人たちはユダではなく、バビロン帝国で生まれた人たちなのだから、ムリもありません。
多くのイスラエル人たちは今いる場所に定着してしまい、そう簡単に離れる事はできなくなっていました。
ゼルバベルと共に帰還した人々は、神殿再建のために立ち上がった、熱心な人たちだったのです。
とは言え、異国に移されながらもイスラエル人としてのアイデンティティを保ち、神殿を再建しようと願う人たちが5万人もいた事は、幸いな事でした。

私たちはどうでしょうか?
私たちは、この世界に生み出され、それぞれのところから今、日本という国に送られて生きています。
でも、私たちの国籍は、天国にある事を忘れてはなりません。

私たちがこの地上にいる間に学べること、体験できる事はいっぱいあると思います。
でももし、私たちがこの世界に繋がり過ぎて、執着してしまったらどうでしょう?
せっかく全てから解放されて帰還できるというのに、今いるところから離れる事ができなくなるのです。

実は、多くのクリスチャンがこのような状態にあります。
私たちは、イエス様の十字架と復活によって、罪の奴隷から解放され、神の国に生きる事が許されています。

何度も言うように、神の国は死んでから行く場所ではなく、クリスチャンになった時から始まるものなのです。
でも私たちは、今まで生きてきた世界の生き方、価値観、地位や富に執着してしまうため、神の国に生きる事ができないのではないでしょうか?
イエス様は、このように言っています。
マタイ6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
私たちは誰に仕えているのか、はっきりする必要があります。
そのために私たちは、自分が何者かというアイデンティティを、もう一度思い出す必要があるのではないでしょうか?
私たちはバビロニア人ではありません。
アメリカ人でも、台湾人でも、韓国人でも、中国人でも、ニュージーランド人でも、フィリピン人でも、ボリビア人でもなく、日本人でもありません。

私たちはみんな、在日天国人です。

その事を私たちが思い出すとき、私たちは誰に仕え、何を中心として、どのように生きていくべきなのかを、明確に定める事ができるのではないでしょうか?

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