ネヘミヤ6:1-2, 7:1-3 『 ネヘミヤに学ぶ人間性の回復④ 』 2014/11/09 松田健太郎牧師

ネヘミヤ6:1~2、7:1~3
6:1 さて、私が城壁を建て直し、破れ口は残されていないということが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に聞こえると、―その時まで、私はまだ、門にとびらを取りつけていなかった―
6:2 サヌバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。「さあ、オノの平地にある村の一つで会見しよう。」彼らは私に害を加えようとたくらんでいたのである。

7:1 城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。
7:2 私は兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。
7:3 私はふたりに言った。「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。」

私たちは、エルサレムの城壁を再建するという地味なネヘミヤ記を、人間性の回復という個人的なテーマで学んできました。
ネヘミヤ記の話はまだ全然終わっていないのですが、このシリーズは今日で最終回です。
今日のお話に入る前に、これまでの復習から入っていきましょう。

第一回目に私たちは、このシリーズのテーマである、『人間性の回復』とは何の事かという事を学びました。
人間性というのは、知性・感情・意思から作られている私たちの人格です。
私たちはこの人間性が崩れてしまっているために、罪に走ってしまったり、人間関係に問題を抱えてしまったり、神様が創って下さったように生きる事ができていません。
そのために私たちは、様々な問題に直面しまっているわけです。
私たちの人間性が回復していくという事は、私たちがキリストに似た者に近づいていくという事であり、神様が本来創ったままの私たちに戻っていくという事を意味しているわけですね。

多くの場合私たちは、表面的な行いの部分だけを整えて、正しい人間のふりをしてしまいます。
でもそれでは、私たちの本質的な部分は何も変わりません。
それをしていると私たちは、だんだん生きる事につかれてしまったり、ふとした時に爆発してしまうわけですね。

私たちが変わるためには、エルサレムの回復が城壁からではなく、神殿から起こったように、外側を変えようとするのではなく、まず信仰を持って神様を受け入れ、聖霊に住んでいただき、神様との関係が回復していく必要があるのです。

第二回目に私たちが学んだのは、回復はどのようにして起こるのかという事でした。
人間性の回復は、私たち自身が努力して変えていけるものではなく、私たちの内に住んで下さる聖霊によって変えられるものです。
でもそれは、何もしなくても信じて祈っていれば勝手に変わるという事ではありません。
私たちは聖霊の導きに従って、変わる努力をしなければならないのです。

それは時として、私たちがしたいと思っている事とは違う事、それどころかしたくない事をしなければならない時もあるかもしれません。
私たちが自分の力だけでそれをしようと思ったら大変な事ですが、神様はそのような時にこそ、私たちに力を与えて下さいます。
イエス様の言葉にある、イエス様のくびきを負うとは、正にこのような事を言うのです。

第三回目、先週学んだのは、私たちが人間性を回復させようとする時には、必ず妨害する力が起こるという事でした。
なかなか変わることができない私たちをがっかりさせ、諦めさせようとする声が、内側からも外側からも起こります。
実際に問題が起こって、積み上げてきたものが全て台無しになるという経験をすることもあります。
そんな時に必要なのは、私たちが決してあきらめる事無く、その道を進み続けるという事でした。
投げ出してしまったら、そこで終わりです。
でも続けていくなら、私たちは必ず変わっていくのです。

と、ここまでがこれまでの総復習です。
4回目はネヘミヤ記の6、7章から学んでいきましょう。

① 扉をつける
長いので部分的にしか読みませんでしたが、6、7章で語られているのは、城壁に扉を付けるという話です。
ネヘミヤたちは、この工事の最後に扉を取り付けたわけですが、扉が付けられるまでは、城壁は完成ではありません。
どれだけ高く頑丈な壁があったとしても、扉がなければ、敵はその穴からどんどん侵入してきてしまいます。
そうは言っても、全部壁になってしまっていたら、私たちは外界との関わりを断って孤独なまま生きてかなければならないという事になってしまいます。
私たちが入れるべきものは招き入れ、必要な時には閉じて身を守る。それが扉です。
私たちは何を招き入れ、何を締め出すかという事をしっかり選択する必要があるのです。

城壁の扉が完成した時、ネヘミヤはこの城を管理するハナニとハナヌヤという兄弟に、このように命じました。

7:3 私はふたりに言った。「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。」

私たちもしっかりと見張りを立て、出入りを管理する必要があります。
では私たちは、どのようなものに注意して、招き入れるか締め出すかを選択する必要があるのでしょうか?

② 悪い言葉を締め出し、良い言葉を入れる
私たちが見張る必要のある者はたくさんあります。
テレビや映画、ネット上にあふれているサイトなど、どんな情報を受け取るかという事は、私たちに大きな影響を与えます。
どんな人間関係を作っていくかという事も、私たちに大きな影響を与えるでしょう。
でもここでは、一つの事に絞ってお話をしたいと思います。
それは、私たちにとって最も身近で、日常的で、影響の大きいもの。言葉です。
なぜならば、言葉こそ私たちの人格を形作っていくものだからです。

体の細胞は、6年くらいですべて入れ替わるという話を聞いたことがあるでしょうか?
私たちの体は古くなっていく一方で、新しい細胞が作り出されているのです。
新しい細胞はどうやって作られるかと言えば、私たちが食べる物からできています。
私たちが食べる物は私たちの体を作っているのですから、私たちが健康に生きていくためには、食べる物に気を付けて行く必要があるわけですね。

同じように、私たちの心は、私たちが受け取る言葉によって作られているのです。
私たちの心がネガティブな言葉ばかり食べていたら、私たちの心はネガティブな思いによって作られていく事になります。
私たちの心が、乱暴で汚い言葉ばかり食べていたら、心もまた攻撃的になっていったり、逆に殻にこもってしまう事になるでしょう。
トップアスリートや社会的に偉業を成し遂げた人たちの自伝などを読めばわかると思いますが、多くの人たちは子供のころから、素晴らしい言葉を投げかけられて育った人たちではないでしょうか。

だから、幼いころに、どのような言葉をかけて子供たちを育てるかという事は、大人たちに与えられている大切な責任だと思います。
子供たちは、受け取るべき言葉を選ぶことがまだできないからです。

しかし、否定的な言葉にあふれた環境で育ってきたからと言って、悲観的にならないでください。
なぜなら、体の細胞が新しくなっていく様に、心もまた新たにされていくからです。
私たちは、これまで悪い言葉を受けてきた過去を変える事はできません。
ならば私たちにできるのは、これから私たちの心が、どんな言葉を食べていくかという事なのではないでしょうか。

では、どのような言葉を食べればいいのでしょうか?
イエス様はこのように教えてくれていますね。

マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

私たちの体はパンによって作られるかもしれません。
でも、私たちの心は神様の御言葉によって作り上げられていく必要があるのです。

否定的な言葉、攻撃的な言葉は締め出し、良い言葉や御言葉を心の内に蓄えていくとき、私たちは自分自身を健康的に保ち、さらに新しいものとされていくのです。

③ 悪い言葉を出さず、良い言葉を出す
さて、扉は入れるためだけのものではありません。
何を外に出し、何を出さないようにするかという事を決めるのも、扉の役割です。
イエス様は、「口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。(マタイ5:11)」と言いました。
またパウロは、「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ4:29)」と言っています。
どういう言葉を出さないようにし、どういう言葉を出すようにするべきかは明確ですね。

でもそれは、本当に難しい事なのではないでしょうか?
イエス様の弟であり、後に教会のリーダーとなっていったヤコブは、このような言葉を残しています。
ヤコブ3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

言葉を操る事は、どうしてそんなに難しいのでしょう。
それは、私たちの心にあるものが出てくるのが、言葉だからです。
私たちの心が汚いのだから、汚い言葉が出てきてしまうわけです。
だから私たちの人格は癒されなければならず、回復させられていく必要があるんですね。

私たちの心の癒し、人間性の回復はすぐに起こるものではありません。
聖霊の導きに従いながら、私たちは一つ一つの問題に取り組んでいき、少しずつ癒され、本来あるべきはずだった私たちの姿へと回復させられていくのです。
今はまだ、工事中です。
工事のあるところには、煙も立ちますし、騒音も出ます。

癒やされている途上にある私たちがする行動を見て、嫌な思いをする人や、傷ついてしまう人もいるかもしれません。
だからこそ私たちは、互いに赦し合い、愛し合いながら生きていく事も必要ですね。

私たちは自分の事は赦してもらいたいけど、人の事を赦す事はなかなかできなかったりします。
でもそんな時、私たち自身がまず、赦されなければならない人間なんだという事を思い出してみて頂きたいのです。
私たちは聖霊の慰めや励ましを受けますがそれだけでなく、お互いに赦しあい、愛し合う心で、互いの城壁を立て上げていく事もできるのですから。

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