エズラ9:1-6 『 エズラ5 残された罪の根 』 2014/10/05 松田健太郎牧師

エズラ9:1~6
9:1 このような事があって後、長たちがわたしのもとに来て、言った。「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、
9:2 彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」
9:3 わたしはこのことを聞いて、衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座り込んだ。
9:4 また、この捕囚の民の悪事に対するイスラエルの神の裁きの言葉を恐れる者は皆、わたしのもとに集まって来たが、夕べの献げ物のときまで、わたしはぼう然として座り続けた。
9:5 夕べの献げ物のときになって、かがめていた身を起こし、裂けた衣とマントをつけたままひざまずき、わが神、主に向かって手を広げ、
9:6 祈り始めた。

エズラ記から、最後のメッセージです。
捕囚によってバビロン帝国に捕えられていたユダヤ人たちは解放されて、エルサレムでは破壊されていた神殿が再建されました。
さらに、祭司であり、律法学者でもあったエズラがエルサレムに帰還した事によって、律法についての教育がされるようになりました。
まだまだこれからの事ではありますが、神殿では正しい礼拝が捧げられるようになり、ユダヤ人たちの中にはイスラエルの民としてのアイデンティティの回復が始まろうとしていたのです。
未来は明るく、希望に満ちているように見えました。
しかし、最後の最後に大変な問題が残っていたのです。

それが、エズラ記の9~10章に書かれている事なのですが、簡単に言ってしまうなら、ユダヤ人たちの雑婚問題です。
雑婚というのは、ユダヤ人たちが他の国や民族の人たちと結婚してしまうという事です。
エズラが、ユダヤ人たちの地域のリーダーたちからその事を聞くと、彼は愕然とし、色を失ってその場にへたり込んでしまいます。

え!?
他の国の人たちと結婚したら、いけないんですか?
うち、国際結婚なんですけど!?
彼らにとって何が問題だったのか?
そして、彼らはその問題とどう向き合っていたのかという事を、今日は学んでいきたいと思います。

① 雑婚問題
さて、まずは雑婚の何が問題だったのかという事を見ていきましょう。
ユダヤ人たちにとって、雑婚がそれほど大きな問題として取り上げられたのは、何よりもまず、彼らが他の民族と結婚する事が禁じられていたからです。
申命記には、このような神様の言葉が記されています。

申命記7:1 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。
7:2 あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。
7:3 また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。

捕囚によってバビロン帝国にいる間に、禁じられていたこのような民との結婚が行われていた事がわかります。
逆に言えば、ここに書かれている民族以外との結婚であれば、それほど大きな問題とはならなかったのです。
例えばエステル記では、エステルはペルシャ人の王の妃となっていますが、それは罪として取り上げられたりしていませんね。

それでは、なぜこの民族との結婚は禁じられていたのでしょうか?
その理由が、申命記の続きのところに書かれています。

申命記7:4 彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。

ここに挙げられている民族は、元々カナンの地にあって大きな罪を犯していた人たちでした。
彼らが崇拝していた偶像は、赤ん坊を生贄として捧げたり、神殿娼婦たちとの性行為によって祝福を得ることができるというような邪悪な神々でした。
そして人々を堕落させようとする影響力は非常に強いもので、イスラエル人たちはすぐに取り込まれて真の神様への信仰を失っていきました。
彼らと結婚すれば、霊的に弱いイスラエルの人々は、すぐに彼らの影響を受け、偶像崇拝に走ってしまう事がわかっていたからです。

そんなの、だったら相手に影響を与えてしまえばいいじゃないかと思うかもしれません。
そうできたなら、どれほどよかったでしょうか。
しかし、まだ聖霊を受けていなかったこの時代の信仰者たちは、自分たちが与える事ができる影響よりも、罪の誘惑によって堕落する力の方が圧倒的に強かったのです。
聖霊が与えられているはずの私たちだって、この世の文化に引っ張られて、いとも簡単にクリスチャンではないかのような生き方に変わってしまいますよね。
聖霊の助けがなければ、罪の力に抗う事は不可能に近いのです。

さらにエズラを愕然とさせたのは、このような雑婚問題が、バビロンで生まれた新しい世代の人たちによって起こされたのではなく、イスラエルとしての生き方を知っていたはずの、古い世代の人たちによって始められ、広がったという事実でした。
バビロンで生まれた人たちが、何も知らずに他の民族と結婚していくというならまだしも、イスラエル人として生きていく事がどういう事かを知っていたはずの人たちがこれを始めたというのは、より深刻な状況だったという事です。彼らは、バビロン帝国での生活の中で信仰を失い、自分の欲望のままに生きようとしていたのです。
あるいは、70年後に解放されるという約束を信頼できなくて、ユダに帰る事をあきらめてしまっていたという事です。

せっかく解放されて、全てが整ったのに、中身は腐っていた。
大きなけがをして、入院をし、長い治療生活とリハビリを終えて、やっと退院し、これから新しい人生を始めるぞと思ったその矢先、内臓がガンに犯されている事がわかった。
彼らが直面していた絶望は、それほど大きいものだったのです。

② 恐ろしい決断
愕然としてへたり込んだエズラでしたが、それでも気を取り直し、宮で祈り始めました。
そこには次第に、心を痛めているたくさんの人たちが集まってきます。
エズラの祈りは、周りにいた人たちの心を動かし、どんどん人が増えていき、その場は罪を悔い改める人々で満たされていきました。

悔い改めの輪は大きくなり、やがて辺りは人々の鳴き声でいっぱいになっていきました。
その中で、ひとつの動きが起こり始めるのです。
それは、自分たちが取り込んでしまった異邦人を、自分たちの中から排除するしかないという決断の思いでした。

エズラ10:2そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シェカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。
10:3私たちは、私たちの神に契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。
10:4 立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」

エズラが言わせたのではありません。
神様の御前に悔い改めようとする人たちの心から、絞り出されるように出てきた答えでした。

それは一度結びついた相手を外科手術的に切り離すという、大きな痛みを伴う決断です。
妻と離別し、女子供たちを強制的に追い出すというのですから、人道的に考えても酷い手段です。
だから当然、反対する人たちもいました。
もっといい方法があるのではないか?
もう少し、痛みが伴わい手段を見つけられるのではないか?
しかし、そうするのでなければ、彼らは内側から腐っていき、滅びるしかないのです。

彼らにとってこれは、文字通り身を引き裂くような、苦渋の決断だった事でしょう。
でもイスラエルは、神と人とを結ぶ祭司としての役割を与えられた民であり、救世主をこの地上に送り出す使命を与えられた民族です。
ここで、途絶えてしまうわけにはいかない。
エズラたちは涙を流し、身を震わせながら、女子供たちを追い出す道を選択しました。

③ 罪を生み出す罪の痛み
私たちは、軽い気持ちで神様の御心に背き、軽い気持ちで罪を犯します。
「これくらいいいじゃないか。」
「神様は優しくて寛大だから、きっと赦してくれるよ。」

確かに神様は、赦して下さるでしょう。
そのために、御子イエス様が十字架にかかり、死んで下さったのですから。
でも私たちは、そもそも神様が、どうして罪から離れるように言っていたのかという事を思い出す必要があります。

私たちが罪から離れるようにと、神様が私たちに教えているのは、神様の好き嫌いが激しくて、私たちを思い通りにしたいからではないのです。
罪は想像以上に自分自身を傷つけ、愛する人々を傷つけるものだからです。
そして一つの罪は、新たな次の罪に繋がっていき、どんどん大きくなっていくものなのです。

イエス様は言いました。

マタイ5:29 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

目をえぐりだすのは、楽しい体験ではないでしょう。
手を切って捨てるのは、嬉しい事ではないはずです。
もちろんこれは、文字通り目をえぐりだしたり、手を切るという事ではありませんが、それに劣らない痛みが伴うものだったりもするのです。

ある人たちは、捕まって長い月日を牢獄で過ごす事になるまで、ドラッグを止める事ができません。
ある人たちは、家族がバラバラになってしまうまで、不倫を止める事ができません。
ある人たちは、相手を自殺に追い込んで、自分自身も一生も傷を負ってしまうまで、いじめを止める事ができません。
私たちが気楽に罪を犯すとき、その行動が後にどんな痛みを伴う事になるか、その恐ろしさをエズラ記の9~10章は教えてくれているのです。

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