ルカ2:8-20 『 ルカ3 救い主の誕生 』 2014/12/28 松田健太郎牧師

ルカの福音書2:8~20
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
2:19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

2014年、最後のメッセージですね。
クリスマスは終わってしまいましたが、ルカの福音書をシリーズとしてお話ししているので、そのままイエス様の誕生の話が続きます。
まぁ、まだまだクリスマス気分を味わいつつ、イエス様の降誕をいつでも喜んでいきたいですね。
それでは早速、み言葉を見ていきましょう。

① 預言の成就

ルカ2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

ヨセフやマリヤは、ナザレという田舎町に住んでいました。
本当に何の特徴もない町で、多くの人は名前すら聞いたことがないような町です。
しかし、その頃イスラエルを支配していたローマ帝国の皇帝アウグストが、住民登録をするようにと命令があったのです。
これによって人々は、自分の戸籍が登録してある生まれ故郷に戻らなければならなくなったのです。

ダビデの子孫であるヨセフとマリヤの戸籍は、ダビデの町ベツレヘムにあったので、そこに行かなければならなかったのです。
そして皆さんご存知のように、イエス様はベツレヘムの町で生まれる事になったのです。

イエス様はどうして、ナザレの町ではなく、ベツレヘムの町で生まれたのでしょうか?
そして、どうしてわざわざ、その出来事が聖書に記されているのでしょうか?
それは、救い主はベツレヘムで生まれるという事が旧約聖書の中で預言されているからです。

ミカ5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

何度もお話ししている事ですが、聖書の役割の中で最も大切なものは、人類が罪に陥った時から神様が計画し、約束していた救い主(メシヤ)が誰かという事です。
旧約聖書にはそのヒントがたくさん隠されていて、ミカ書のこの言葉もその内のひとつですね。
先週お話ししました、救い主は処女であるマリヤから生まれましたが、これもイザヤ書に700年も前から預言されていた事でした。

イエス様が救い主とお生まれになったという事は、今から2000年前にたまたま生まれてスゴイ事をした人を教祖にしたてて、救い主と呼んだのではないんです。
これはこの世界が始まってまだ間もないころから予定されていた事であり、何千年も前から長い期間をかけて記されてきた約束の成就だという事です。

② 赤子となられた
今日のお話の2番目の事は、救い主は赤子となって来られたという事です。
みなさんの中で、赤ちゃんが怖いという方はいらっしゃるでしょうか?
赤ちゃんの声が聞こえてきたら、怖くて逃げだしてしまうという人には、僕は会った事がありません。
むしろ赤ちゃんを見ると、誰でもニコっとしてしまうのではないかと思います。

神様がもしも、その存在をそのまま表すような姿で現れたとしたらどうでしょう?
冠をかぶり、偉大な王として天から降りてきたとしたら、誰もが恐れて逃げ出してしまうのではないかと思います。
しかし神様は、これ以上にないほど無力で、無防備な姿を私たちにさらして、この地上に来ました。
神様は、私たちが近づけるようにして下さいました。
神様は、私たちを招いておられるのです。

今日の聖書箇所には、救い主の誕生を真っ先に教えてもらった人たちとして羊飼いが登場しました。
羊の世話をするために礼拝に出ることができない羊飼いたちは、昔から宗教的に汚れた人々とされていたのです。
その羊飼いたちの前に天使が現れます。
ただならぬ聖なる光を目にした羊飼いたちは、みんな恐れて縮こまりました。
恐がって震え上がっている羊飼いたちに天使は言います。
「恐れることはありません。わたし達は、救い主がお生まれになったと言う、素晴らしい知らせをあなたたちに届けに来たのです。」

聖書の中で神様が登場する時は、多くの場合光に包まれるようにしてやってきます。
その光は、神様の栄光の輝きだと言われます。
そして聖書では、それを見る人たちは、神様の光を目の当たりにして恐れおののくのです。
なぜでしょう?
それは、神様の聖なる光の前では、わたし達が持っている傷や汚れ、罪というものが全て明らかにされてしまうからです。

お店の薄暗い照明の中で良いなぁと思っていたものが、家に帰って開けてみたら大していいものではなかったという経験をしたことはないでしょうか?
クラブやバーでナンパして、一緒に外の明るいところに出てきたらびっくりとか(笑)。

わたし達は、自分は正しい人間だと思っていたいものではないでしょうか?
わたし達は大体、自分は死んだら天国に行くだろうと考えているのです。
そんなに悪い事はしていないし、自分は地獄に行くほどは悪くないだろう。
でも、神様の光の前に自分自身が明らかにされた時、わたし達は自分が思っていたほどいい人間ではなかったことが明らかにされます。
実は今も、忘れてしまっているだけで、よくよく考えると僕たちの中には悪い物、汚い物がたくさん潜んでいたりするのではないでしょうか?

だからわたし達も、実は過去を恐れていたりします。
年末は一年を振り返らせられる時でもありますが、わたし達の中には、ずっと目を伏せていたいような、できれば忘れていたい過去が誰の中にもあるのではないでしょうか?
そこに光が当てられたら赤面するような、穴があったら入りたくなるような闇が有るものなのです。

そんなわたし達を気遣うように、神様は自分の光を覆い隠して人として地上に来、しかも赤子の姿で生まれてきてくださいました。
そこに神様の愛があります。
そして神様は、わたし達を招いているのです。
「恐れなくていい。わたしの元に来なさい」と。

③ 羊飼いは応答する
さて、救い主の誕生を教えられ、羊飼いたちは赤子のイエス様の元に招かれました。
今日のお話で大切な3つ目のポイントは、招かれた羊飼いたちは、御使いの招きに応えて、イエス様の元に行ったという事です。

神様は、人類を救うために御子イエス様を地上に送り、十字架によって罪を贖いました。
その救いに招かれているのは誰でしょうか?
良い人ですか?
良く祈る人ですか?
たくさん伝道した人ですか?
聖書の事をよく知っている人ですか?
そうではありません。
全ての人が、救いに招かれているのです。

誰でも、どんな人でも、犯罪者であってもこの救いに招かれています。
しかし、全ての人がこの救いに預かるわけではないのです。
では、誰が救いに預かるのですか?
良い人ですか? よく祈る人ですか…?
そうではないんですよね。
その招きに応えて、救いを受け取った人が救われるのです。

あるデパートがこんな広告を出したとします。
「今日はクリスマスなので、一万円相当のプレゼントを差し上げます。」
でも、世界中の人がこのデパートでプレゼントを受け取るわけではないですよね。
世界中誰でもこのデパートでプレゼントを受け取ることができます。
「あなたは条件を満たしていないので、このプレゼントを受け取れない。」という事はありません。
でもデパートが世界中を回って、無理やりプレゼントを受け取らせたりはしないですね。
実際に受け取るためには、このデパートに行って、プレゼントを受け取らなければならないのです。

神様の救いにも同じことが言えます。
世界中誰でも救いを手にする事ができます。
神様は、全ての人をこの救いに招いている。
でも、その救いに預かるためには、イエス様の元に行って、プレゼントを受け取る必要があるのです。

しかし、そこには少し問題があります。
多くの人たちは、このプレゼントを受け取りに行かないという事です。

イエス様はこのように言いました。

マタイ7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

狭い門とは、少しの人たちしか入れない門の事ではありません。
誰でも入る事ができるけれど、多くの人は目に留めず、素通りしてしまう門の事です。

日本人の気質では、これはちょっと不利ですね。
人が並んでたら、何の行列かわからないけどとりあえず並んでみるという気質が日本人にはありますから。
だから日本人はなかなかクリスチャンにならないのかもしれません。
でもだからこそ、私たちはこの知らせ、福音をひとりでも多くの人たちに伝えていく必要があるのです。
「ここに素晴らしいプレゼントがありますよ!」
「誰でも手にする事ができます。ただ、それを受け取れば良いのです!」

このプレゼントをまだ手にしていない方がいたら、今すぐ受け取って下さい。
後で僕に話して下されば、すぐにでも洗礼の準備を始めましょう。
そしてすでに受け取っている私たちは、他の人たちにこの事を伝えるために、祈っていきましょう。
お祈りします。

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