ルカ4:1-13 『 ルカ10 荒野での試み(後) 』 2015/02/15 松田健太郎牧師

ルカの福音書4:1~13
4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
4:6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」
4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
4:10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、
4:11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」
4:12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた

イエス様は救い主としての活動を始めるに当たり、40日間荒野で断食をしました。
それは、悪魔の試みを受けるためだったと聖書には書かれています。
そして私たちは、イエス様が受けた試みについて、このしばらくの間学んできましたね。
第一の試みは、お腹がすいたなら、そこにある石をパンに変えなさいという誘惑でした。
それは、神の力を自分のために使うという誘惑であり、神様の計画よりも目先の必要を満たすべきだという誘惑であり、弱い人間であることを止めてしまえという誘惑でもありました。
イエス様は、「人はパンのみで生きるのではない。」という聖書の言葉によって、その誘惑を退けましたね。
第二の試みは、悪魔を崇めるなら世界の支配を渡すという誘惑でした。
その試みは、神様によるのではなく、人間的な権威や力によって救いをもたらそうとする誘惑であり、人間に与えられた自由意志を否定しようとする誘惑でした。
この誘惑に対してもイエス様は、「神様を崇め、神様だけに仕えなさい。」という聖書の言葉によって乗り越えたのです。
今日はいよいよ、3つ目の誘惑についてお話ししたいと思います。
そしてイエス様が、活動を始める前にこの試練を受けなければならなかった理由について、一緒に考えていきましょう。

① 神の子への挑戦
イエス様が受けた3番目の試みは、このようなものでした。

4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
4:10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、
4:11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」

荒野にいたイエス様は、幻の中でエルサレムに行き、神殿の頂に立たされました。
そしてサタンは、イエス様にそこから飛び降りるように言います。
神の子なら、奇跡によってその状況を乗り越えたらいいと言うのです。
しかもそれだけではありません。
これまでイエス様は、聖書の言葉によってサタンに対抗し、その誘惑を退けてきました。
でも今度は、サタンが聖書の言葉を使って、イエス様を説得しようとしてきたのです。

悪魔は神様の言葉を恐れるんじゃないかと、私たちは思ったりします。
でも私たちは、サタンもまた聖書の言葉を使ってくることがあるという事を覚えておく必要があります。
もちろん、サタンが福音を伝えるわけではありません。
サタンは、神様の言葉を捻じ曲げて理解させようとするのです。
エデンの園でエバに対して誘惑した時もそうでしたね。
真理の言葉を巧みに捻じ曲げて、神様を疑わせ、引き離そうとするのが悪魔の策略なのです。

ここが気を付ければならないところですが、私たちはただ聖書の言葉を真理だと信じていればいいわけではないのです。
考えてみてください。
キリスト教系のカルト宗教だって、彼らなりに聖書の言葉を信じているのです。
でも、そこにある教えは、全く違う者になってしまうわけです。
私たちが聖書の言葉を盲目的に信じているなら、私たちは案外あっけなく、サタンによって騙されてしまうかもしれません。
このようなずる賢いサタンに対抗していくためには、御言葉をただ丸暗記したり、断片的に理解するのではなく、神様の言葉をしっかりした理解をしていく必要があります。

そのためには、聖書の全体像を把握し、全ての聖書箇所を前後関係を考慮に入れた上で判断する必要があるのです。

② 主を試みない
さて、サタンが引用した聖書箇所とは、詩篇91篇の言葉でした。
このように書かれています。

詩篇91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

詩篇91篇の元々の意味は、危機的状態にある時、神様に身を委ねるなら必ず平安があるというテーマの詩篇でした。
しかしサタンは、この言葉を捻じ曲げて、自ら飛び降りて神様を試すような事をするように促したわけです。
それはまるで、これくらいの奇跡も起こせないで、本当に自分がメシヤだと思っているのかと言っているようでした。
「これも聖書に書かれている事なんだから、やってみるべきだ。成功すれば、多くの人たちがあんたを信じるだろうさ。」と誘惑したわけです。
イエス様は、サタンが御言葉のどこを捻じ曲げ、何をさせようとしているのか、明確に理解してました。
だからイエス様は、この誘惑に乗ってしまうことなく別の聖書の言葉で返します。

4:12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」

イエス様が引用したのは、これまでと同じく申命記の言葉です。
これは、荒野をさ迷うイスラエルの人々が、神様を信頼する事ができず、水を出すという奇跡を要求して神様を試したことに関して言われている言葉でした。
私たちが、どうして神様を試すような事を言うのかと言えば、私たちが神様を信頼していないからです。
私たちの中には疑いがあって、どうも信じる事ができません。
神様がもっとわかり安く、すごい奇跡を私たちに見せて下さったら、もっと多くの人たちが神様を信じる事ができるはずなんじゃないかと思った事はありませんか?
でも、それこそ悪魔がした誘惑の内容だったわけです。
「スゴイ奇跡を見せてやれば人間は信じる。神殿の上から飛び降りて見せればいいじゃないか。」
でも、スゴイ奇跡を見たら信じるというのは、信仰ではありません。
たとえ奇跡を見て、体験して、それによって信じる事ができても、実はそういう信仰は長続きしないんです。
事実、2匹の魚5つのパンで5千人の人たちが満腹になった後も、イエス様の言葉を理解できなかった多くの人々は帰ってしまいました。
イエス様といつも一緒にいて、たくさんの奇跡を経験していたはずの弟子たちでさえ、奇跡の度に驚き、イエス様がいれば大丈夫だという事を信じる事ができず、ローマに捕えられた時には裏切ってしまいました。
エルサレムに来た時には「ホサナ、神の子!」とイエス様を讃えた人々も、イエス様が十字架に架けられるとそれを嘲笑い、「お前が本当に神の子なら、奇跡を起こして自分を救って見ろ。」と言いました。

信仰とは、こういうものだと聖書には書かれています。
へブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
信仰とは、見たから信じるようなものではなく、見なくても信じ、確信する事なのです。
だからイエス様は、今はみんなが奇跡ばかり求める不信仰な時代だ、と悲しんだのです。

マタイ12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。

そう考えてみると、私たちはどれだけ神様を信じる事ができないかがわかりますよね。
そしてだからこそ、悪魔の誘惑に簡単にやられてしまうのです。
しかし、神様の言葉を信じるなら、私たちはそのような誘惑に負ける事はないと、イエス様は教えてくれたのです。

③ 誘惑を打ち破ったイエス様
こうしてイエス様は、悪魔の3つの試みをすべて退けました。
それによってサタンは、少しの間イエス様の元を離れたと聖書には書かれています。
イエス様は、悪魔の誘惑に勝利したのです。
これは、私たちにはどのような意味を持っているのでしょうか?
なぜイエス様は、わざわざ悪魔の誘惑を受ける必要があったのでしょう?
まずは、私たち人間がどうだったか、思い出して下さい。
人は、悪魔の誘惑に敗北して罪人となり、神様から離れてしまいました。
それによって悪魔の支配が始まり、世界は闇に包まれてしまったのです。

この時、神様が人間として生まれ、アダムやエバと同じように誘惑を受けました。
しかしこのおかたは、悪魔の試みを見事に打ち砕き、勝利したのです。
最初のアダムによって始まった罪が、最後のアダムであるイエス様によって贖われ、死が打ち砕かれたように、アダムが負けた誘惑に、イエス様は勝利して打ち砕きました。
ここから、神の国の回復は始まったのです。

私たちは今この時も、悪魔の試みを受け、神様から引き離され、信仰の力を失うように誘惑されています。
悪魔は人間を救われないようにし、あわよくばクリスチャンから救いさえももぎ取ろうとしています。
私たちが、悪魔に勝利しなければ救いを手に入れる事ができないとしたら、私たちにはほとんど希望がないでしょう。
私たちはどんなに頑張っても、自分の力で悪魔に勝利する事はできないのですから。
考えてもみてください。
完璧な状態だったアダムやエバでさえ負けてしまったのですから、霊的に死んだ状態から始まっている私たちが、悪魔に勝利することは絶対にムリなのです。

しかし私たちの希望は、そんな悪魔に打ち勝ったイエス様が共におられる事にあります。
私たちが勝利できなくても、まずはイエス様が勝利してくださっている。
イエス様の勝利によって、私たちは救いを受ける事ができるのです。

それだけではない。
主が今も共におられ、私たちの内に聖霊が住んで下さる。
私たちはその力により頼む時、私たちを引き離そうとする悪魔の働きに勝利し、より神様に近づくことができるのです。
私たちが、自分の力で悪魔に対抗するのではなく、神様によって勝利する時、そこから神の国は回復していくのです。

 

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