ルカ5:17-26 『 ルカ15 罪を赦す権威 』 2015/04/19 松田健太郎牧師

ルカの福音書5:17~26
5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。
5:18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
5:19 しかし、大ぜいの人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。
5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
5:21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
5:22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。
5:23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。
5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。
5:25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
5:26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。

久しぶりのルカの福音書です。
前回のメッセージでは、イエス様はツァラアトという病気を癒したことについてお話ししましたね。
イエス様はこの人に「癒やされた事を、誰にも言ってはいけない。」と念を押しました。
病気を治す事がイエス様の目的ではなかったからです。
しかし、イエス様が起こした奇跡の噂はたちまり広がってしまいました。
「あの、イエスという人の所に行けば、どんな病でもたちまちにして癒されてしまう。生まれつき目の見えない人の目が開き、歩けない人が踊りだし、死人まで蘇る。」
そんな噂を聞きつけて、我も我もとたくさんの病人が、イエス様の元を訪れるようになってしまったのです。
たくさんの人たちが集まるようになったのは、悪い事ではないように思います。
でも、イエス様の一番の目的は、人々を癒す病院を作る事ではなく、神の国の福音について、ひとりでも多くの人たちに伝えるという事だったんです。
ところが、集まって来る人たちの願いは、病気を癒して欲しいという事でした。
そんなある時、中風という病に冒された人が、イエス様の元に連れてこられたのです。

① 中風の人
皆さんは、中風という病気を知っているでしょうか?
これは、脳卒中や脳出血の後遺症として表れる症状で、体が思い通りに動かなくなる事。
つまり、全身あるいは半身麻痺の状態をいうのだそうです。
体が動かないので、この人は床に寝たままの状態で、友人たちに運ばれてきました。
彼の友人たちは、イエス様の噂を聞きつけて何とか癒してもらえないかと思ってやって来たわけです。
しかし、そこにはあまりにも多くの人たちが集まっていて、イエス様の目の前にたどり着くことが困難でした。

せっかくここまで連れて来たのに、このままでは順番が来る前に一日が終わってしまう。
友人たちは思いを巡らして、ひとつの方法を思いつきました。
彼らは中風の友人を連れて、その家の屋上に登ったのです。
この当時のイスラエルの家は、多くの場合屋根の部分が平らになっていて、登る事ができる作りのものもありました。
彼らはそうして屋上に上ると、なんと家の屋根に穴を開け、そこから中風の友人をイエス様の前に吊り降ろしたのです。
当時のイスラエルの家は簡単な作りでしたから、穴を開ける事も、また直すのも簡単ではあったでしょうが、それにしても何と非常識で迷惑な話でしょう。
でも彼らがイエス様を信じ、中風になった友人を助けたい思いで必死になった結果、そこに残された希望は、イエス様でした。
彼らの愛と信仰が、困難を突破させて中風の友をイエス様の元へと連れて行ったのです。
わたし達が、愛と信仰をもって行動するなら、そこには突破口は必ず開かれます。
時には失敗する事もあるかもしれませんが、このような信頼と大胆さをもってイエス様の元に行きたいものですね。

② あなたの罪は赦されました
さて、その家の人にも、周りの人たちにも大迷惑をかけた彼らでしたが、イエス様はその事に怒るでもなく、彼らの信仰をよしとされました。
そしてこの中風の人に向かって、このように言ったのです。

5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。

「あれ? いやいやちょっと待ってください。」
彼らは、中風を癒してもらうためにここまで来たのです。
罪を赦してもらうためではありません。
イエス様はどうして「罪を赦す」なんて言われたのでしょうか?

なぜならそれは、罪こそが私たちの問題の本質だからです。
罪とは何でしょう?
それは、神様に背き、自分や他のものを神とし、神様が創って下さったように生きていないという事です。
私たちはこの罪の問題を解決する必要があるのです。

自分の罪を認めたくない多くの人達は、罪の赦しをちゃんと受け取ろうとはしません。
それどころか、自分を被害者だと思ってしまっている事も少なくありません。
「どうして自分がこんな目に合わなければならないんだ。」
「あいつがちゃんとしていれば、こんな事にはならなかったのに。」
親のせいにしたり、上司のせいにしたり、恋人や配偶者のせいにしたり、時にはアダムとエバや、神様のせいにしたりしてはいないでしょうか?
神様に背いてきたわたし達自身の罪を思えば、わたし達が受ける苦しみはむしろ当然の結果です。
その事を理解しようともせずに、自分の罪を認めることなく、痛みや苦しみだけを取り除こうというのは、あまりに虫のいい話ではないでしょうか・・・。

わたし達の病気、人間関係の問題、労働の苦しみ、そして死・・・。
すべてはわたし達の中にある罪から起こった問題です。
もちろん、罪が赦される事によって、罪から起こる問題の全てが直ちに取り除かれるというわけではありません。
しかし、自分の罪を認め、方向転換し、罪の赦しを受け取って、もう一度神様との関係を築きなおしていかない限りは、わたし達の中から問題がなくなる事は決してないのです。

③ 罪を赦す権威
その時、「あなたの罪は赦された。」という言葉を聞いて、異常なまでの反応を示した人達がいました。
どんな教えをしているか見張るために来ていた、パリサイ派の人々と、律法学者たちです。

5:21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
彼らにとって、イエス様が「あなたの罪は赦された。」などと言うのは聞き捨てならないことでした
罪を赦す権威は、神様だけに赦されている物だという事を知っていたからです。。
彼らの中にその様な思いが起こっているのを知ったイエス様は、この様に言いました。
5:22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。
5:23 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。

さて、「あなたの罪は赦された。」と言うのと、「起きて歩け。」と言うのと、どちらがやさしいと皆さんは思いますか?
これは一瞬、迷ってしまうかもしれません。
罪を赦す事は神様にしかできない事ですから、これはとても難しい事だと思います。
でも、「罪は赦された。」と“言う”だけ簡単です。
本当に赦されたかどうかなんて、誰にもわからないのですから。
でも、「起きて歩け。」という言葉には結果が伴わなければなりません。
中風の人が起きて歩くかどうか、つまりその言葉が真実かどうかは、誰の目から見ても明らかになるからです。

もしも起きて歩く事がなければ、言ったイエス様はすぐに嘘つきだという事になります。
そういう意味では、「あなたの罪は赦された。」と言うのは口だけで何とでも言えることですが、「起きて歩け。」というのは簡単に言うことができる言葉ではないのです。
イエス様はこのように続けます。

5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
5:25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。

すべてが、イエス様の言葉の通りになりました。
そしてこの言葉が実現した事によって、「罪は赦された」という言葉もまた、真実だという事が明らかにされたのです。
イエス様は、私たちにも同じ言葉を投げかけます。
「あなたの罪は赦されました。私が十字架にかかって、死んだからです。」
私たちは、その言葉をどう考え、その言葉にどう応えるでしょうか?
これが、私たちに問いかけられている事なのです。

パリサイ派、律法学者たちはどうだったでしょう?
恐らくパリサイ派の人たちは、何だかんだ言い訳をつけて、ここで起こった出来事を深く考えもせず、尻尾を巻いて逃げかえったのでしょう。

じゃあ、この中風の人たちはどうだったでしょうか?
彼がどう反応したか、「起きなさい。」と命じたイエス様の言葉に対する反応の中で、彼の信仰を見る事ができます。

5:25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。

体が麻痺して、友達に連れてこられた人が「起きなさい。寝床をたたんですぐに帰りなさい。」と言われたら普通ならどうすると思いますか?
そんな無茶な話はないし、せめて「足腰の筋肉が丈夫になるまでは待ってください」と言うかもしれません。
私たちは何だかんだ言って、信じないための言い訳をする事もあるからです。
でも彼は、イエス様の言われた通りに従って、その場で立ち上がり、寝床をたたんで帰って行きました。
私たちも、神様の言葉に対してはこのように応える必要があります。
イエス様が言ったなら、従う。
なぜならイエス様は真実の方だと私たちは知っているはずからです。

もう一度たずねます。
「イエス様の十字架によって、あなたの罪は赦されました。あなたはもう、罪の奴隷ではなく、永遠のいのちの中にあるのです。」
皆さんはその言葉をどう受け取るのでしょうか?
信じて、新しい命を受け取りませんか?
イエス様の導きに従って、歩み始めてみませんか?
そこには、たくさんの祝福があると約束されているからです。

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