ルカ7:11-17 『 ルカ24 悲しむ者を顧みる主 』 2015/06/28 松田健太郎牧師

ルカの福音書7:11~17
7:11 それから間もなく、イエスはナインという街に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んで担ぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。
7:13 主はその母親を見て、かわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。
7:14 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う。起きなさい」と言われた。
7:15 すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
7:16 人々は恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がその民を顧みてくださった」などと言って、神をあがめた。
7:17 イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。

イエス様が人を甦らせた話は、福音書の中に3つ描かれています。
ひとつはラザロを甦らせた話、ひとつは会堂管理人のヤイロの娘を甦らせた話、そしてこのやもめの息子を甦らせた話です。
よみがえりという奇跡は、私たちに3つの希望を与えてくれます。
イエス様は人々を蘇らせることを通して、どんな希望を与えてくれたのでしょうか?

① 悲しむものを顧みられる
第一の希望は、神様が私たちの悲しみ、絶望を顧みられる方だということです。

私たちは、人生の中でいろいろな痛み、苦しみ、悲しみを経験します。
そんな苦しみ、悲しみの中にあるとき、私たちは「どうして神様はこんな状況に置かれたのだろうか?」とか、「神様は私を見捨てたのだろうか?」と思うことがあります。
中でも最も大きい痛みのひとつは、子供を失う悲しみではないでしょうか。
我が子には、自分よりは長く生きて欲しいものです。
自分の子供の死を体験することは、本当に大きな痛み、苦しみだと思います。

さて、先週のメッセージでも話しましたが、7章に出てくる話は6章でイエス様が話したメッセージの実践なんです。
イエス様は、平原の説教でこのようなことを言っていた事を覚えているでしょうか。

 「いま泣くものは幸いです。やがてあなた方は笑うから。」(ルカ 6:21b)

この言葉は、なかなか簡単には飲み込めない言葉です。
理屈としてわからなくはないけれど、悲しみの中にある時には、とてもじゃないけれど受け入れられない。

我が子を失った悲しみの涙を、誰が、どうやって笑いに変えることができるでしょう?
ちょっとやそっとの慰めの言葉なんて、到底かけられない。
下手なことを言おうものなら、返って相手を傷つけることになってしまうでしょう。
しかしこの時イエス様は、死んでしまったこの男の子を甦らせることによって、この女性に笑いを取り戻したのです。

イエス様は、嘆き悲しみの中に私達を捨て置かれる方ではありません。
イエス様は私たちの悲しみを知り、その悲しみを顧みてくださる方なのです。

② 死を打ち破る主
でも、亡くなった全ての子供たちが、この時と同じように蘇るわけではありません。
僕が知っている中にも、お子さんを失って深い悲しみの中にいる方がいらっしゃいます。
確かに、死んだ人たちの全てが、すぐに生き返るわけではないのです。

イエス様がよみがえらせたのは、先ほど言った3人だけでした。
それは、ただ生き返らせることが、本当に大切なことではないということです。
ここで大切なのは、イエス様は死という呪いを打ち破ったという事実なのです。
実を言うと、この時に起こった出来事は、イエス様がした本当に素晴らしい出来事の型でしかありません。
この時に生き返った子供は、その後何年生きたのかわかりませんが、やがてまた死ぬ時が来たのです。
もう一度死ぬために、しばらくの間甦ったに過ぎません。
それでも母親の慰めになった事は言うまでもありませんが、完成した形ではないのです。

イエス様が本当に与えようとしていたもの、それは永遠の命です。
そしてイエス様は、イエス様の十字架を通して、父なる神様との関係を回復する全ての人に、この永遠の命を与えようとしていたのです。

この永遠の命こそ、ふたつ目の希望です。
死は、別れを伴う悲しい出来事です。
でも、イエス様は私たちに永遠の命を与え、その恐れ、悲しみから開放してくださいました。
イエス様がもう一度地上に来られる時まで、私たちはその復活に預かることはできませんが、それは神様によって保証された出来事なのです。

③ 魂を甦らせる主
さて、ではこの出来事は、私たちの未来への約束であって、今の私たちはただ耐えて待つしかないのでしょうか?
いいえ、生命の源である主は、今すぐ私達に命を与えることが出来るお方です。
イエス様は、罪のために霊的に死んだ状態にあった私たちに命を与え、私たちを霊的に生き返らせて下さるのです。

私たちが抱える苦しみや、悲しみの原因は何でしょう?
それは、罪です。
盗んだり、人を傷つけたりという、私たちが行動の中で起こしてしまう、行いとしての罪も私たちの苦しみや悲しもを作るものですが、それ以上に私たちの罪の根源、神様から離れて自らを神としている状況こそが、私たちを苦しめているのです。

神様が最初、この世界を作った時、それは全て良いものであり、素晴らしいものでした。
しかし罪がこの世界に入り、私たちは神様から離れ、私たち自身が神となり、神様が作ってくださったのとは違う生き方を始めた時、人生には苦しみと悲しみが始まったのです。
しかし、その苦しみや悲しみがどんなに深く、また大きかったとしても、私たちには本当の慰め主であるイエス様がいるのです。

そのイエス様は、昨日も今日も、とこしえまでも変わらぬお方で、この時ナインのやもめを慰め、哀れまれたように私たちを深く哀れみ、どんな人の目からも涙を拭ってくださいます。
イエス様ご自身が、今も生きておられ、そして私たちに新しい命を与え下さるのです。
私たちの失われた魂に命が与えられた時、私たちの心には喜びが満ち、神様の愛に満たされます。
私たちは新しい命を得てからも、そのことを忘れ、疲れ果て、意気消沈することもありますが、またイエス様に立ち返るなら、その度に何度でも力が与えられ、私たちは力を得るのです。
なぜなら、イエス様こそが生命の源だからです。

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