ルカ8:26-39 『 ルカ32 自分を取り戻した時 』 2015/08/23 松田健太郎牧師

ルカの福音書8:26~39
8:26 こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
8:27 イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
8:28 彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないないでください。
8:29 それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて監視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
8:30 イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊がおおぜい彼に入っていたからである。
8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所へ行け、とはお命じになりませんようにと願った。
8:32 ちょうど、山のあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。
8:33 悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。
8:34 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
8:36 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々は恐ろしくなった。
8:37 ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
8:38 そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。
8:39 「家に帰って、神があなたにどんな大きなことをして下さったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分をどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

 

先週は、イエス様が弟子たちとともにガリラヤ湖を渡り、その途中で嵐に遭ったという話でした。
あまりにも大きな突風で舟が沈みそうになり、弟子たちは寝ていたイエス様をたたき起こして助けを求め、イエス様が風と波を叱りつけた事によって、嵐は静まったのでした。
そうやって湖を横断したイエス様は、ゲラサ人という異邦人たちが住んでいる地域に到着しました。

そこでイエス様たちは、悪霊に取りつかれて墓場に住み着いている人と出会います。
私たちは、この人のように鎖に繋がれて、裸で墓場をさ迷っているような、見るからに悪霊に取りつかれた人たちを見る事は滅多にないかもしれません。
それは、このような悪霊の働きが現代にはないという事ではなく、社会が変わっていくにしたがって、悪霊の働き方も昔とは変わってきたという事に過ぎないのです。

現代の人々も、このゲラサ人と同じように、悪霊の影響を多く受けています。
そして多くの場合、私たちはこのような悪魔や悪霊の影響を受けている事に気づかないでいるのです。

そこで今日は、イエス様が悪霊を追い出した話を通して、悪霊について学びながら、私たちにできる事を考えていきたいと思います。

① 悪霊につかれた人
悪霊につかれた人には、一体どんな事が起こるでしょうか?
このゲラサ人に起こった事から、このような事が見えてきます。
まず第一に、悪霊につかれたこの人は、墓場に住んでいたという事です。
悪霊につかれた人たちの多くは、孤独な状態です。
彼らは神様から離れ、人々からも離れようとするのです。
あるいは、本人が望んでいても、人々の中に入っていく事が難しい状態だったりします。
彼らが孤独な状態でいる限り、神様に近づく事もないからなのでしょう。

第二に、悪霊につかれた人々の心は、悪霊が好むような状態であるという事です。
悪霊が好むところ、それはこの人が住んでいた、墓場のような所です。
現代のような整備された墓地と違い、当時の墓場は死体がそのまま葬られた場所で、暗く、荒れすさんでいて、腐敗臭が漂っています。
多くの現代人の心の中は、まさにこのような状態になっているのではないでしょうか。
そのような心の状態だからこそ悪霊が好み、悪霊が住み着くからますますそのような状態になっていくのです。

第三に、悪霊につかれたこの人は、鎖と足かせに繋がれていたという事です。
悪霊につかれた人の心は、鎖と足かせによって繋がれてしまっているのです。
現代を生きる多くの人々の心も、鎖と足かせによって繋がれて、自由を失っています。
鎖や足かせとなっているのは、私たちの価値観や、周りの人々からのプレッシャー、それがさらに依存症を引き起こしたり、人間関係の中で新たな鎖を作ったりして、ますますがんじがらめになっていくのです。

悪霊はものすごく大きな力で、人々を支配します。
彼らは悪霊の影響下で、悲しくて、苦しい状況の中に閉じ込められてしまうのです。

② 悪霊が恐れるもの
出は私たちは、どうやってこの力に抵抗し、悪霊を追い出す事ができるのでしょうか?
私たちは、悪霊が恐れるものが何かを知るなら、それを追い出す事も簡単になるのではないでしょうか?
悪霊が恐れるもの、それはイエス様です。
このように書かれていますね。

8:28 彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないないでください。

この人の体を使ってはいますが、この時にこの言葉を叫んだのは憑りついている悪霊の方です。
悪霊はイエス様を恐れ、自分には近づかず、何もしないでくれと懇願しているのです。
そして悪霊は、このようにも言っていますね。

8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所へ行け、とはお命じになりませんようにと願った。

底知れぬ所とは、黙示録に出てくる言葉です。
イエス様が再臨する時、悪霊は底知れぬ所に千年の間閉じ込めれることになるのです。
その時、全てのクリスチャンがよみがえって、千年の平和な時代が起こります。
そして千年の後、悪魔悪霊たちは再び解放されて、最後の戦いを挑みます。
その戦いに敗れ、彼らは永遠の裁きを受ける事になると聖書には書かれているのです。
悪霊はそれを知っているわけですね。

イエス様と言う光の前では、どんな闇も存在している事ができません。
だから、闇に属する悪霊は、光であるイエス様を恐れるのです。
私たちもまた、イエス様と言う光を心の内にお迎えし、その光に従い、光とともに歩むなら、悪霊の力を恐れる必要は全くありません。
イエス様が心の内にいて下さるなら、そして私たちがその光を自らの中心とするならば、悪霊と言う闇はそこに存在することはできないからです。

③ 闇の中に来て下さる主
私たちは、このように感じてしまうかもしれません。
「こんな汚い心の中に、イエス様をお迎えする事なんてできない。」
「もっときれいな状態になってから、イエス様をお迎えするべきではないだろうか?」
もしそう思うなら、イエス様がこのゲラサ人の地に来て、悪霊から彼を解放したのだという事を思い出していただきたいのです。

イエス様はこの男性に、「名は何と言うのか。」と聞きました。
「レギオンです。」と悪霊が答えてしまっていますが、気を付けて読んでみると、イエス様は悪霊につかれたこの男性に対して名前を聞いている事がわかります。
イエス様は、裸で、狂ったように叫び、汚くて、誰も気にもかけなかったこの男性に名前を聞いて、個人的な関係を持とうとしたのです。

イエス様は、そもそもこんな所に何をしにやってきたのだと思いますか?
ゲラサ人の地にイエス様がなぜ来たのか、その理由については聖書に書かれていません。
でも、この出来事の後、イエス様はすぐに帰っていってしまうんですよね。
それを考えてみるとイエス様は、この人と出会い、癒し、解放するためにやってきたのではないかという事が見えてくるのです。
このみじめで、悲しい状況にあるこのたった一人の人を救うために、イエス様はわざわざガリラヤ湖を越えて来てくださった。
しかも、嵐に巻き込まれ、舟が沈みそうになりながらも、イエス様は彼を救ったのです。

イエス様は、私たちに対しても、同じように関わって下さることを皆さんは信じるでしょうか?
イエス様は私たちを訪れ、心の扉の前に立ち、個人的な関係を築きたいと願っておられるのです。
私たちが心の扉を開くなら、イエス様は私たちの心の内にあがり、共に食事をして下さるのです。
イエス様というこの光を、心の内に迎え入れませんか?
そして、その光の中で生きていくのです。
その時、私たちは自分を縛っている鎖や足かせから解放され、悪霊の支配から自由になる事ができるのです。

④ 自分を取り戻した時
イエス様は、悪霊を近くで飼われていた豚の中に移し、この男性を救いました。
この悪霊は、自らを「レギオン」と名乗りましたが、それは6千によって構成されると言われる、ローマ帝国の軍団です。
この男性の中には、軍団と言えるほど多くの悪霊が巣食っていたのです。

悪霊が移された豚たちが狂ったようになり、身を投げて死ぬと、墓場で狂ったようになっていた男性は正気に戻り、普通にものを言うようになりました。
その様子を見ていたゲラサ人たちの中には、恐れが湧き上がったのです。
こんな事は誰も見た事がない。
見た事がない事が起こると、人々の中には恐怖心が起こるものです。
そして恐怖に取りつかれたゲラサ人たちは、この恐ろしい力を持ったイエス様と弟子たちに、ここから去るようにと願い出ます。

何と残念で、何と愚かな事でしょうか。
イエス様は、彼らを全てのものから解放する力を持ったお方でした。
しかし人々は、そんなイエス様を恐れ、追い出してしまったのです。
なぜだと思いますか?
それは、人々は変化を恐れ、嫌うものだからです。
彼らがイエス様を受け入れていたら、ゲラサ人たちの中にはどんな素晴らしい事が起こった事でしょうか?
しかし私たちの中には、そこから解放されたら素晴らしいと思っていても、変わることや光の中に入る事に対する恐れが起こったりもする物なのです。

さて、そんな悪霊から解放された男性の方には、一体何が起こったでしょうか?
彼は全てから解放され、正気を取り戻しました。
私たちが悪霊に取りつかれた人を見た時、私たちはその人が最初からそういう人なのではないかと思ってしまうかもしれません。
しかしこの人は、悪霊に捕えられ、正気を失い、われを忘れてしまっていたのです。

はっきりした思考の中で、彼はイエス様と共に行き、について行きたいと願いました。
でもイエス様の考えは、彼の願いとは違うものでした。
イエス様はこの地に留まって、この地にいる人たちに、イエス様の事を伝えるようにと命じたのです。

彼らはイエス様を拒絶し、押し返しました。
でも、彼らのひとりであるこの、悪霊から解放された男性が、この人々に伝える事によって、福音がこの地の人々を変えていく事を、イエス様は期待していたのです。

その後、この地方の人々がどうなったのかはよくわかりません。
多くの人たちは、イエス様を拒絶したように、この男性も拒絶したでしょう。
しかし、中には受け入れた人たちもいたかもしれません。
私たちにもまた、このような役割が与えられているのです。
日本というこの地にあって、私たちはこの地の人々に福音を伝える働きが委ねられています。
ひとりでも多くの人たちに、この福音が届くことを、心から願い、祈ります。

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