ルカ9:49-56 『ルカ44 寛容は愛の中から』2016/01/10 松田健太郎牧師

ルカの福音書9:49~56
9:49 ヨハネが答えていった。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。』
9:50 しかしイエスは、彼に言われた。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなた方の味方です。」
9:51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
9:52 ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に入り、イエスのために準備した。
9:53 しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
9:55 しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
9:56 そして一行は別の村に行った。

先週は、弟子たちが議論していた「一番偉いのは誰か」という事に関してお話しました。
天の御国で一番偉いのは誰でしょう?
それは、能力によるのではなく、ルックスによるのでもなく、小さい者、弱い者が一番偉いという事でしたね。
私たちは、自分の小ささ、自分の弱さを認める時に、神様の力が最も働くからです。
だから私たちは、自らの力を誇るのではなく、自分の弱さを誇りましょうというのが、先週のメッセージのポイントだったわけです。
さて、今日の聖書箇所は、『ヨハネが答えて言った』と言う言葉から始まっています。
という事は、今日の聖書箇所の話は、「小さい者が偉い」というイエス様の言葉に対する、ヨハネの答えだったという事がわかりますね。
「小さい者が偉いのだ」というイエス様に、ヨハネはこのように答えたわけです。

9:49 ヨハネが答えていった。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。』
9:50 しかしイエスは、彼に言われた。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなた方の味方です。」

まぁ、見事なまでに、何もわかっていませんね(笑)。
でも、ヨハネはイエス様に反論したかったのだと思います。
「先生はそう言いますけど、わたしはこんな事をしたんですよ。わたしは偉いでしょう?」と言いたいわけです。
私たちの考え方は、イエス様の考え方からどれほど遠く離れている事でしょうか。
分かっているつもりでいて、私たちは全くの見当外れなのです。

今日のメッセージも、“弱さ”“小ささ”と関係している話ですが、先週のお話のテーマが「謙遜」という事だったのに対して、今日のテーマは「寛容さ」です。
イエス様は、私たちに何を教えてくれているのでしょうか?

1. 反対しない者は味方
さてある時、イエス様の弟子のひとりだったヨハネが、ひとつの光景を目撃しました。
ある人が、イエス様の弟子でもないのに、イエス様の名前を使って悪霊を追い出していたのです。

遡って少し思い出してもらいたいのですが、以前弟子たちも、悪霊を追い出す権威をイエス様から与えら、送り出された先で悪霊を追い出していた事がありました。
しかし、この時イエス様の名を使って悪霊を追い出していた人は、イエス様から悪霊を追い出す権威を与えられていた弟子たちではなかったのです。
そこでヨハネは、その人を呼び止めて、イエス様の名前を使って悪霊を追い出したりしないようにと言いました。
彼にしてみれば、「勝手にイエス様の名前を使うなんて!」と思ったのでしょう。

“弱さだ”“小ささだ”という話しをしていたのでは、こういう輩を付け入らせる事になってしまう。
「秩序を持って、権威というものを守るためには、時には厳しく注意することも必要ではないですか。」と、ヨハネは言いたかったのかもしれません。
でもイエス様は、それに対してあっさりこのように言ったのです。
「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなた方の味方です。」

私たちは、すぐにグループを形成し、仲間を作ろうとする傾向を持っています。
もちろんそれ自体が悪いわけではありません。
でも、自分と気の合う人、同じ考えの人だけを自分の仲間として、それ以外の人たちを排斥してしまう事を、イエス様は求めていないのです。

ヨハネは、イエス様といつも行動を共にし、悪霊を追い出す権威を直接与えられた自分たちだけが、イエス様の名前によって悪霊を追い出す事ができると考えていました。
しかし、実際に悪霊は実際に追い出されていたのですから、この人の信仰は確かなものだったはずです。
その上、今はイエス様の仲間と言うだけで迫害されてもおかしくない時代です。
そのリスクを負ってでも、イエス様の御名によって悪霊を追い出していたのだから、グループに属していなかったとしても、弟子の心を持っていたのです。
同じイエス様を信じる身にありながら、自分のグループに属さないから認めないというのはおかしな話ではないでしょうか。

私たちも、同じ事をしている様に思います。
同じクリスチャンなのに、あの人の信仰はどうとか、あの教団はどうと批判ばかりして、認めないという事が起こってきます。
そんな事は、あの人は目に属していないから体の一部ではないとか、足だから体じゃないと言っているようなものです。
私たちはそれぞれ別の目的や役割を持っているからこそ、ひとつの体として意味があるはずではありませんか。
私たちはその事を、いつでも心に留めている必要があるのです。

2. 天から火を呼び下して
さて、場面は変わって、イエス様がサマリヤの地を通った時の出来事です。
ユダヤ人とサマリヤ人はとても仲が悪かったですから、普通ユダヤ人がサマリヤの地を通る事はありませんでした。
イエス様がわざわざサマリヤを通ろうとしたのは、彼らに福音を伝えたいという思いがあったのかもしれません。
しかし、サマリヤの人々は、イエス様一行を受け入れようとしませんでした。
福音に耳を傾けないどころか、宿泊する場所さえ拒絶されたのかもしれません。
それを知って激怒したのは、またしてもヨハネとヤコブです。

9:54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」

スゴイ事を言いますね。
とりあえず、「お前が天から火を呼び出して彼らを焼き滅ぼせるわけないだろう。」とツッコミを入れてあげたいです。(笑)
イエス様の名前で悪霊を追い出していた人を止めさせたことと言い、彼らはいちいち言う事やる事が穏やかではありません。
ヤコブとヨハネの兄弟は、短気で怒りっぽい性格なので、イエス様から『雷の子(ボアネルゲ)』というあだ名を付けられていくらいでした。
彼らにしてみれば、イエス様に対してこんな失礼な態度をとるなど、許せない事だったのでしょう。
しかしイエス様は、憤るそんなふたりをまたしても戒めたのです。
例え相手が失礼な態度を取り、受け入れなかったとしても、その事を憤り、懲らしめる事は正しい事ではないと、イエス様は言ったのです。
ここにも、私たちの寛容さが求められています。
自分の仲間ではない人たちを受け入れるどころか、自分を受け入れようとしなかったり、敵対するような人に対しても寛容であるようにとイエス様は言うのです。
聖書は、私たちにこのように教えています。

ローマ12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

しかし、私たちもまた、ヨハネのようにすぐに怒りに駆られてしまうものです。
場合によっては、神様に変わって自分が相手に制裁を加えてしまいたくなるような衝動もあります。
私たちもまた、雷の子(ボアネルゲ)なのです。
神様の仕事は、神様に任せましょう。
私たちには、他に心配するべき事がたくさんあるのですから。

3. 寛容さは愛の内から
エイブラハム・リンカーン大統領の逸話に、このような話があります。
リンカーンは、敵に対して紳士的過ぎると批判されたことがありました。
敵はみんな抹殺するべきだというその批判に対して、リンカーン大統領はこう答えたと言われています。
「友人にしようとしている私たちの敵を、どうして殺す事ができようか。」
これこそ、神様の思いです。
多くの人が、神様は不寛容で、怒ってばかりいると勘違いしているようです。
皆さんの神様に対するイメージは、そんな風になってしまってはいないでしょうか?
聖書にはこう書かれています。

詩篇 103:8 主は、あわれみ深く、情け深い。
怒るのにおそく、恵み豊かである。

エゼキエル 18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。――神である主の御告げ――彼がその態度を悔い改めて、生きる事を喜ばないだろうか。

神様は怒るのに遅く、寛容な方です。
そうでなければ、この世界はとっくの昔に滅んでいた事でしょう。
神様は私たちが間違っていても、私たちを抹殺するべき敵とみなすのではなく、回復されるべき、迷える友だと思って下さっているのです。
そのような神様の愛に触れ、それをいっぱい受ける中で、私たちも少しずつ変わり、寛容になっていく事もできるのだと思います。
雷の子(ボアネルゲ)と呼ばれていたあのヨハネも、神様の愛をいっぱいに受け、聖霊の助けとともに少しずつ変えられていったひとりでした。
彼が晩年に書いた手紙(ヨハネの手紙1~3)では、愛と言う言葉がたくさん出てきます。
あの怒りっぽかった雷の子ヨハネは、いつしか「愛の使徒」と呼ばれるまでに変えられていったのです。
そんなわけで今日のメッセージは、「愛の使徒」ヨハネのことばで締めくくりたいと思います。

Iヨハネ 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者は神から生まれ、神を知っています。

4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神様の愛が、私たちを変えます。
そのような神様の愛を、いっぱいに受け取ろうではありませんか。

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