ルカ11:14-26 『ルカ53 聖霊か、悪霊か』 2016/03/20 松田健太郎牧師

ルカの福音書11:14~26
11:14 イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、おしがものを言い始めたので、群衆は驚いた。
11:15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言う者もいた。
11:16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。
11:17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。
11:18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。
11:19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。
11:20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。
11:21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。
11:23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
11:24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言います。
11:25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
11:26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」

イエス様は、見えない神の形であると、聖書には書かれています。
イエス様がしたこと、話したことを通して、私たちは神様の思いを知る事ができるということですね。
イエス様の周りには、いつでも助けを必要とする人たちがあふれていました。
その人たちには福音が伝えられ、病が癒され、空腹が満たされ、そして悪霊が追い出されました。

見えない世界の事は、私たちにはわかりにくいものです。
現代の社会で生きていると、悪霊なんて昔の人が無知だったから信じていたことではないかと思ってしまったりもしがちですが、そうではありません。
悪霊は現代に生きる私たちにも関係のある問題ですし、実は身近な脅威だったりもします。
今日はこの聖書箇所を通して、悪霊の働きについて学んでいきましょう。

① 神の国は来ている
イエス様は悪霊を追い出していました。
すると、口を利くことのできない人がしゃべりだし、周りにいた人たちの中には大きな驚きが巻き起こったと書かれています。
でもそこには、それを見ているパリサイ派のユダヤ人たちの姿もありました。
パリサイ派のユダヤ教徒たちは、自分たちの権威を脅かすイエス様を敵対視し、何とかイエス様を貶めようとしていたのです。
彼らもそれを見て、おそらく驚いただろうと思います。
しかしパリサイ派の人々は、イエス様はベルゼブルの力によって悪霊を追い出しているのだと訴え始めました。

ベルゼブルというのは、バアル・ゼブブというカナンの言葉が変化したものだと言われています。
蠅の王というような意味の言葉ですが、この場合はカナンの偶像の神というより、サタンを表しています。
パリサイ派の人々は、イエス様がサタンの力によって悪霊を追い出していると言ってひどい中傷をしたのです。
それに対してイエス様は、3つの事を通して反論しました。
第一に、イエス様はこのようなたとえ話をしています。
「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。」(ルカ11:17~18)

戦いの時、有効な戦略の一つは、敵を調略したり、情報を操作して、内部に争いを起こさせることです。
もしも、悪魔たちの中で争いがあって、悪魔の頭がほかの悪魔を追い出したりしているようであれば、私たちは悪魔を恐れる必要は何もありません。
勝手に自滅するのを待てばいいのです。

でもこの問題、考えようによっては恐ろしい話ですね。
私たち自身を振り返ってみたとき、私たちクリスチャンはなんと互いに争い、一致がないことでしょうか?
私たち自身が、悪魔の策略にすっかり乗ってそのような争いを起こしてしまっています。
だからこそ私たちは、いつも神様を見上げて、互いに赦しあい、愛し合う心を持っていたいものですね。

第二の反論は、パリサイ派の人々もまた、悪霊の追い出しをしていたという事です。
イエス様の技が悪魔によって起こされたものなら、あなたの仲間たちはどうなんだという話です。
そして第三は、イエス様による悪霊の追い出しに効果があったという事です。
パリサイ派の指導者たちによる悪霊追い出しは、気休めのような物でしかありませんでした。
しかしイエス様が悪霊を追い出すと、悪霊はたちまちその人から出て行ったのです。
そしてイエス様は、このように続けます。

11:20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。

イエス様の命令によって悪霊が追い出され、去っていくなら、そこには神様の支配があるという事です。
気休めではなく、悪霊が追い出されるというその事実が、イエス様の権威が神様から来たものであることの証拠です。
そしてそれは、神の国が地上にあることの証でもあります。
神様が約束を守られたという福音が、彼らとともにあるという嬉しい知らせなのです。

②  聖霊か、悪霊か
続いてイエス様は、このようなたとえ話をしています。

11:21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。

このたとえ話で“強い人”と言われているのは、悪魔の事です。
悪魔はあまりにも強く、私たちがどうやって力を合わせても、私たちの力で悪魔と戦うことはできません。
罪という悪魔との絆があるために、私たちは悪魔から離れることができず、悪魔の支配の下に置かれているのです。

しかし、悪魔よりもっと強い方がいます。
それは神様ですね。
神様が悪魔に打ち勝つと、私たちは悪魔の支配から解放され、神様の分捕り物となるのです。
それはイエス様が地上に来ることによって、現実となりました。
イエス様が私たちの罪を背負い、十字架で命を投げ出し、私たちを買い取って下さったのです。
その時私たちは悪魔の支配から解放され、今度はイエス様の十字架が、私たちと神様を結ぶ絆となったのです。

イエス様はこのように言っています。

11:23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。

イエス様の十字架によるのでなければ、私たちは悪魔の支配から解放されることなく、私たちがイエス様とともにいるのでない限り、悪魔から離れることがないからです。

悪魔や神様との関係に中立はありません。
悪魔なんて関係ないと思っていたとしても、イエス様によって解放されない限り、私たちは常に悪魔の支配の中にあります。
私たちは、ふたつにひとつの選択をする必要があります。
悪魔の支配の中に留まり続けるか、十字架によって解放されて神様の分捕り物となるかです。
皆さんは、どちらの道を選ぶでしょうか?

③  悪魔が住む家とならないために
さてこのようにして、神様の権威によって悪霊は追い出されたわけですが、イエス様の話はまだ終わりません。
悪霊というものは厄介なもので、追い出してしまっただけでは十分ではないとイエス様は言っています。

11:24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言います。
11:25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
11:26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」

神様の権威によって、確かに悪霊は追い出されます。
私たちの心は一新されて、開放感に満たされるでしょう。
でも悪霊にとっては、私たちは長年住み慣れた家なのです。
しばらくさ迷ってから帰ってくると、家は掃除され、きちんと片付けられています。

悪霊は混とんとしていたり、ドロドロしていたり、乱雑とした心を好みます。
それが片付いてしまっていたら居心地が悪い。
そこで仲間を連れてきて、またもう一度荒らしてやろうとします。
そうすると、悪霊が追い出される前よりも大変な状況に陥ってしまうという事になるわけです。

ではどうすればいいのでしょうか?
問題は、悪霊が追い出された後が空き家になっていることにあります。
私たちの内側が、空き家の状態ではなくなっている必要があるのです。
そこに誰が住むのですか?
私たちの内側に住むことができるのは、聖霊ですね。
この話がされていた時にはまだでしたが、私たちには聖霊が注がれて、聖霊に住んでいただく必要があったのです。

なので、クリスチャンになって聖霊が与えられた私たちは、もう悪霊によって完全に支配されてしまうという事はありません。
しかしそれでも、悪霊の誘惑、攻撃を受けて苦しめられることがあるのではないでしょうか。
もしかするとそういう時は、このイエス様のたとえ話のように、悪霊が仲間を連れて戻ってきている状態にあるのかもしれないのです。

わたし達がこのような事に煩わされないようにするためには、どうすればいいでしょう。
ひとつは、わたし達の心の底でくすぶっている罪を、神様の御前に持って来て、取り扱っていただくことです。
わたし達の力では、罪の力に勝つことは難しいですが、神様の助けと共に罪から離れて行く事ができれば、悪霊はわたし達に深く関わる事も出来なくなっていくでしょう。

また、いつでも聖霊に満たされているという事です。
聖霊が心の内に住んでいてくださっても、私たちが聖霊にすべてを明け渡していなければ、そこに悪霊が入り込んできます。
いつでも神様を見上げ、いつでもイエス様の愛に包まれ、いつでも聖霊の喜びに満たされていましょう。
心に隙間がなければ、悪霊が影響を及ぼす力はずっと軽くなるはずです。
そして、悪霊の入る隙もなく聖霊の満たしの中にあれば、わたし達はもっと霊的に成長し、わたし達と神様との関係はますます深まっていくのです。
祈り求めましょう。

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