『ひとつの体として』 2016/04/17 松田健太郎牧師

エペソ4:1~6
4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
4:4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

今日は、礼拝のあと信徒総会があります。
そこで今日は、いつもお話ししているルカの福音書を離れて、信徒総会に備えた話をメッセージでしたいと思います。
聖書個所は、パウロがエペソの教会に宛てて送った手紙に書かれている言葉です。
何がテーマなのかというと、『一致』ですね。

3人いれば派閥が起こると言われるくらい、私たちは一致するという事が難しいものです。
ましてや50人も60人もいれば、一致することがどれだけ難しいことかわかりますよね。
教会の総会というと、どの教会も大変のようで、年度が替わるこのシーズンは、色んな教会の牧師からため息が聞こえてきます。
パウロがわざわざ『一致する』という事について手紙の中で書いたのは、やはりエペソの教会でも一致が大きな問題となっていたという事でしょう。
しかしパウロは、手紙の中でこの言葉を何度も繰り返すほど、『一致』が教会にとって大切だと考えていました。

私たちが一致することは、どうしてそんなに難しいのでしょう?
難しくても、教会が一致するという事が大切なのは、どうしてなのでしょう?
そして私たちは、そうすれば教会に一致をもたらすことができるのでしょうか?
今日はその3つの疑問について考えることを通して、私たちの一致について考ええていきたいと思います。

① なぜ一致が難しいのか
それではまず、なぜ一致することが難しいのかという事から考えていきましょう。
一致することって難しいですよね。
夫婦でさえ、一致することは難しいなぁという事を、いろいろな時に考えさせられます。
ふたりでも難しいのですから、何十人という規模になったら、それはもう不可能なのではないかと思えてきます。
私たちが一致することは、どうしてこんなに難しいのでしょうか?

それは、私たちがそれぞれ違う人間として創られているからです。
世界にひとりとして同じ人間はいません。
今現在というだけでなく、人類の歴史上、同じ人間はひとりとして存在しません。
遺伝子的には同じであるはずの一卵性双生児でさえ、成長していくにしたがって違う個性が出てくるから不思議です。
神様は、それぞれの目的に従って、私たちを違う個性、違う才能、違う性質を持った人間として創造しているのです。
私たちは違う人間として創られているのですから、考えてみると一致することが難しいのは実は当たり前のことなんですね。

一致するという事を考える時、私たちはこの『一致する』という事と、『画一的になる』という事を勘違いしてしまう事があります。
教会は、『一致する』という事に一生懸命になるあまりに、画一的なクリスチャンの理想像のようなものを作り上げ、全てのクリスチャンがそのようになる事を求めてしまう事があるのです。
そして、トップダウンのピラミッド構造の組織を作って、上の命令は絶対に服従をするという教会ができあがります。
実際に、そういう組織的な教会はたくさんありますね。

聖書の中では「私たちは成長してキリストの似姿になる」という事も言われていますから、みんなが同じになる事がゴールだと考えてしまうのも無理はない事かもしれません。
でも、それでは、神様がなぜ私たちに個性を与えたのかという事がわからなくなってしまいます。
そして、神様はたくさんの人を作る必要もなかったでしょう。
同じ人間は一人で十分です。
同じ人間がたくさんいても、気持ち悪いだけですね。

私たちは、それぞれ違う人間として創造されていて、物事の見方や考え方が違うのは当たり前のことなのだという所からスタートしなければ、私たちは本当の意味で一致するという事の意味を理解することはできません。
そして一致するという事の意味を理解することがなければ、本当の意味で一致するという事はありえないのです。

② どうして一致する必要があるのか
では、本当の意味で一致するというのはどういうことなのでしょうか?
また、私たちは違うものとして創られているのだから、違うのが当たり前なのに、どうして一致する必要があるのでしょうか?

そもそも違う人間として創られているなら、無理して一致しようとしなくても、違うままでいいじゃないですか?
バラバラなのは当たり前のことで、私たちはひとりひとりが神様との関係を深めていけば、それで十分なのではないかと思えたりします。
それでは、どうして私たちは一致する必要があるのでしょう?
その答えとなる、別の聖書個所を見てみたいと思います。

Ⅰコリ 12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

私たちが一致していく必要があるのは、別なものとして創られた私たちが、ひとつの体として機能するようにも創られているからです。
私たち一人一人は別の役割、別の目的を持っていますが、その私たちが組み合わされて、ひとつの体となっているのです。
もし私たちが一致する事がなければ、体の一部が勝手に動き出すことになってしまいます。
それでは、到底ひとつのからだとして目的を果たすことはできません。

そして、もし私たちがキリストのからだとして一致する事を拒むなら、私たちは切り離された手や内臓と同じです。
私たちはそれだけで生きていく事はできず、やがて必ず死んでしまう事になるでしょう。

③ どうすれば一致するのか
では、私たちはどうすれば一致する事が出来るのでしょうか?
トップダウンで厳しく指導したり、画一化することなく、かといってバラバラのままでもない、キリストの体として一致した状態は、どのようにして創ればよいのでしょうか?
そこで、もうひとつ聖書個所を読んでみましょう。

コロサイ 1:18a また、御子はそのからだである教会のかしらです。

私たちはキリストのからだだという話をしました。
そして、私たちのかしらはイエス様なのです。

私たちはキリストのからだの一部として、それぞれの視点が違います。
だからそのままでは、一致する事はできません。
私たちが一致するためには、自分それぞれの視点だけで考えるのではなく、かしらであるイエス様の視点を通して物事を考えていく必要があるという事です。
イエス様は、このようにも言っています。

ヨハネ 10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。

でも、イエス様が地上にいた頃ならともかく、天に昇ってしまった今、どのようにしてイエス様の声を聞き分けることができるのでしょうか?
実はこれ、僕が牧師になってから一番よくされる質問につながってくるものでもあります。
それはつまり、「どうすれば、神様の御心を知る事ができるか」という事でもあるのです。

皆さんはどう思われますか?
「神様の御心なんて、わかるはずがない」と完全にあきらめてしまう人たちもいます。
でも、アブラハムも、モーセも、ダビデも、ソロモンも、みんな神様が語り掛け、彼らはそれに応答しました。
そして今、神様は聖霊を通して私たちに語り掛けてくださると聖書は教えています。
ただ、神様の御心を知るためにはいくつかの前提条件があって、ポイントをちゃんと押さえておく必要があるのです。

① 心から神様の御心を求める事。

ルカ 11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

② 聖書の言葉が私たちのうちに留まっている事。

ヨハネ15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

③ 神様の御心を自分の考えよりも優先している事。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

このような心の状態にあるときに、私たちは神様の声を聞き分ける事ができるようになっていきます。
そして神様は、聖書を通して、祈りを通して、教会の人々を通して、身の回りの出来事を通して語り掛けてくださるのです。

さて、今日の午後からの信徒総会、私たちは自分の思いや考えではなく、神様の御心を第一に求めていきませんか?
例えば多数決で決めたり、リーダーが勝手に決めてしまう事によるのではなく、私たちが心をひとつにして祈り求める中で、みんなが平安の中にあり、神様のもとに一致する事ができる決断をしていきたいと思うのです。
最後にもうひとつ御言葉を読んで、メッセージを終わりたいと思います。

箴言 19:21 人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。

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