ルカ12:49-53 『ルカ63 投じられた火』 2016/06/12 松田健太郎牧師

ルカの福音書12:49~53
12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。
12:50 しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。
12:51 あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
12:52 今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。
12:53 父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」

今日の言葉は何だか、「イエス様どうしちゃったんだろう」というくらい、怖いというか、凄みのある言葉ですね。
イエス様の言葉は、時として理解することが難しく、その解釈によっては到底受け入れることができないような言葉もないわけではありません。
今日のこの個所に記されていることは、思わず目を疑い、耳を疑うような、飲み込むことが難しい言葉の一つだと思います。
キリスト教に反発する人ならば、喜んでこの個所を取り上げ、キリスト教は戦争を好む危険な宗教だと言うかもしれません。

皆さんはどう思われたでしょうか?
イエス様は、平和の王であるはずではないでしょうか?
イエス様が生まれた時、天使たちは「地の上に平和が御心にかなう人々にあるように。」と歌ったのではなかったでしょうか?
今日の御言葉を読み解きながら、イエス様が私たちに伝えたかった事を受け取っていきたいと思います。

① 投じられた火
さて、最初からすごくわかりにくい言葉ですね。

12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。

まずはこの言葉が戦争の火を思わせるから、怖く感じてしまうのだと思います。
「その火が燃えていたらと、どんなに願っている事でしょう。」って、どれだけ好戦的なんだという話になるわけです。
もちろんこれは、戦争の事を表しているのではありません。
ここで言われている火とは、何のことでしょうか?

結論を言ってしまうと、ここで表されているのは聖霊の火の事なのです。
「イエス様は聖霊と火とのバプテスマを授けられる」とバプテスマのヨハネは言っていましたね。
また聖霊が人々の上に臨んだ時には、頭の上に炎のような舌が見えたと記されています。
これは、イエス様が世界に聖霊の火を投じるために、地上に来られたという話なのです。

しかし、聖霊を表すのに“火”と言う言葉が使われることはあまり多くありません。
多くの場合は、“水”とか“風”とか、“油”と言う言葉が使われています。
この時イエス様が、わざわざ“火”と言う言葉で聖霊を表現した事には意味があります。
実は聖書の中で“火”という言葉が使われる時には、“きよめ”とか “裁き”という事を意味している時が多いのです。
つまりここでは、聖霊の働きの中でも、“罪のきよめ”と、“裁き”の働きが強調されている部分なのです。

聖霊は、私たちの心の内に住んで、神様の言葉を伝えてくださいます
そして聖霊は、金属の不純物が炎によって焼き尽くされるように、私たちの心の不純物を焼き尽くしていく。
そうして私たちの心には、罪が明らかにされ、示されていきます。
私たちが自分では気が付かなかったような罪さえも、聖霊は明らかにし、私たちに示すのです。

ある時僕は、自分の中にある赦せない思いを示されたことがありました。
別のある時には、自分の中に人を見下したり、差別したりするような心があることが示されました。
それは誰かに指摘されたのではなく、自分自身の中にそのような思いがある事が分かったのです。
もしも誰か他の人に、「あの人の事を赦せてないんじゃない?」とか、「実はあの人を見下しているでしょう?」と言われたら、僕はとてもそんな事を認めることができなかったと思います。
でも、今まで当たり前のように思って気が付かなかったことが、ある時突然わかったわけです。
そこには、聖霊の働きがあります。
聖霊の働きがいかに大切かという事が、わかるでしょうか?

イエス様がこの話をしている時には、まだ人々の上に聖霊が与えられていませんでした。
そして、そこには苦しみが伴うことを、イエス様は知っていたのです。

12:50 しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。

イエス様が受けるバプテスマとは何のことでしょう? それは、十字架です。
聖霊の火が世界に投じられる前に、イエス様は十字架にかけられて死に、その三日目に復活する必要がありました。
そこには、たくさんの苦しみが伴います。
イエス様はその苦しみを乗り越えて、罪の赦し、新しい命、そして聖霊の火を注ぐという祝福を、私たちに与えようとしていたのです。
なぜなら、イエス様が私たちを、命を投げ出すほどに、心から愛していたからです。

② なぜ罪から離れる必要があるのか
それにしても、私たちに罪を示すという事が、どうしてそれ程大切だったのでしょうか?
「罪の赦しがあるなら、私達は変わらなくても、そのままで良いんじゃないですか?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
「仕方がないよ。人間だもの」とか、「そのままのキミでいい。」とか言われると確かに心地いいですよね。

でも神様は、私たちがそのままでいいとは思っていません。
神様は、私たちが罪の中に留まることなんて、少しも望んではいないのです。
なぜなら罪とは、私たちを傷つけ、歪め、痛みを与えるものだからです。

私たちが罪の中にあるという事は、神様がもともと創って下さったままの、素晴らしい私たちの状態ではなくなっているという事です。
歪んでしまった状態のままでいることが、幸せな状態であるはずがないですよね。
神様は、私たちが罪に甘んじながら、そこそこ幸せであることを望んでいるのではありません。
私たちが最高の状態になり、最高の幸せを味わう事を望んでいるのです。

僕の中にあった赦せない心は、赦すことができるように導かれました。
僕の中にあった、人を見下す心は、尊敬をもって人と接するように導かれました。
そうは言っても、今までの僕ならしようとも思わなかった事ですから、決して簡単にできる事ではありません。
そこには今でも戦いがあります。
しかし、自分の力だけではとてもできそうになくても、聖霊の助けを受けるなら、それは可能になっていくのです。

③ 分裂をもたらす主
私たちが罪から離れ、あるべき姿になるためには、どうしても痛みが伴う事もあります。
歯の矯正を経験された方はいらっしゃるでしょうか?
歯がガタガタの状態だと噛み合わせがうまくいかなかったり、いろいろ病気を引き起こすこともあるそうです。
そこで矯正しようと思うわけですが、これもなかなか大変です。
矯正にも痛みが伴うし、器具を付けたまま生活する煩わしい期間をどうしても経験しなければならないからです。

聖霊の導きに応答して、私たちが罪から離れる事にも、そのような痛みや、煩わしさが伴います。
私たちは、自分自身の生活や習慣を変えなければならない事もあります。
変化のためには、私たちは自分の快適な状態(コンフォート・ゾーン)から出るという決断も必要なのです。

これまで避けて通ってきた人に、向き合わなければならない事もあるでしょう。
そして、それが人間関係の摩擦を起こしてしまう事だってあります。
イエス様はこんな事さえ起こると話しています。

12:51 あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
12:52 今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。
12:53 父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」

どうして、分裂が起こるような事になるのでしょか?
それは、必ずしもすべての人が、私たちの本当の問題と向き合う道を選ぶわけではないからです。

神様と共に歩もうとする人たちと、自分の罪を認めず、神様と共に生きる道を選びたくない人たちの間には一致がありません。
何となく信じて、天国という結果だけを求めている人たちと、神様との関係を心から味わい、喜びに満たされている人たちとの間にも、一致はありません。
色々妥協して、そこに触れないようにするなら、表面的な平和を保つことができるかもしれません。
でも、心からの関係を誰かと築こうとするならば、私たちは必ずそこに向き合う事になるでしょう。
イエス様は、その事を言っているのです。

でも私たちは、そこに争いが起こるのを止めようとするあまり、あるいは自分が変わることを嫌がるあまり、聖霊の火までも鎮め、消そうとしてしまってはいないでしょうか?
イエス様が聖霊の火を投じるためにこの世界に来たのに、聖霊の火はまだこの世界で燃え上がることなく、くすぶってしまっているようにも感じます。
それは、私たちクリスチャンの責任でもあるのです。
イエス様は、すでに聖霊の火を投じられました。
その火がどれだけ早く燃え広がっていくかは、私たちがそれにどのように応答するかにかかっているのかもしれません。
聖霊の火を、燃やし続けていこうではありませんか。

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