ルカ16:1-13 『ルカ77 不正の富で友を作る』 2016/10/02 松田健太郎牧師

ルカの福音書16:1~13
16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
16:5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
16:6 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
16:7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
16:8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
16:10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
16:12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

今日も引き続き、イエス様のたとえ話です。
このたとえ話は、イエス様が弟子たちにしたものでした。
先週までのたとえ話はどうだったかと言うと、パリサイ派の人たちに話していたという事を覚えているでしょうか?

パリサイ派の人々は、イエス様が汚れている罪人たちと食事をともにする事を非難し、嘲笑っていました。
そこでイエス様は、失われた羊を羊飼いが探す話、なくした銀貨を女が見つける話、そしてふたりの失われた息子たちの話しを通して神様の心を教えたのです。
神様は、罪人をも愛している事、そして失われた人々を取り戻したくて、心を痛めているのだという事、それが神様の思いでした。

イエス様がパリサイ派の人々をやり込めるのを、弟子たちはそのそばで見ていました。
そして、それを見ていた弟子たちは、パリサイ派の人々に対して「ざまあみろ」と思っていた事でしょう。
その事に気づいたイエス様が、今度は弟子たちに話したのが、今日のたとえ話なのです。

私たちには理解する事が難しく感じるたとえ話ですが、イエス様はこの話を通して、弟子たちに何を教えようとしていたのでしょうか?

① たとえ話が意味するところ
そもそもこのたとえ話は、どういう事がポイントになっているのでしょうか?
「不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。」とイエス様は話していますが、何がそう抜け目ないのかという事さえ、私たちにはわかりにくいかもしれません。
まずは、そこから考えていきましょう。

この話には、二人の人物が登場します。
“ある金持ち”と、その財産を預かって管理している“財産の管理人”です。
財産の管理人は、主人の財産を管理しなければならなかったのですが、実はその財産を乱用してしまいました。
そしてこの管理人は、財産の乱用が発覚し、仕事を解雇されることになってしまいます。
放蕩息子が父親の遺産を乱用した事と繋がっている事がわかりますね。

さて、この管理人はどうしたでしょうか?
この男は考えたのです。

16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』

彼は、まだ仕事があるうちに主人の債務者たちを呼んできて、どれくらいの借金があるのか聞き込みを始めました。
ある人は、「油を百バテ(およそ37ℓ)借りている」と言いました。
そこで管理人は、「あなたの証文がここにあります。これを五十バテと書き変えなさい」と言ったのです。

さて、この話はこの当時の商いの習慣がわかっていないと、理解する事ができません。
まずお話しする必要があるのは、ユダヤ人は律法によって、仲間にお金を貸したときに利子をとる事が禁じられていたという事です。
そこで彼らは律法を破らずに商売をするために、直接お金で取引するのではなく、油や小麦などの取引を通して、お金を貸し出す仕組みを作っていたのです。
まぁ、単なる屁理屈なんですが、彼らには大切な事でした。

さて、油の利子はいくらだったかと言うと、100%だったのです。
つまり、100バテ借りていた人は、返済するときに200バテ返さなければならないという事になっていたのです。

しかし管理人は、その証文を50バテと書き直させました。
そうする事によって、油を借りていた人は、100バテ返せば良いだけになり、利子の分が免除されたことになります。
それと同時に、主人の方には貸していた分がそのまま戻って来るので、利益はないけれど、損失もないという事になります。

管理人は、小麦を借りていた別の人にも同じようにしました。
100コルは(370ℓ)の証文を80コルと書き変えさせたのです。
小麦の利子は20%なので、借りている人は借りた分をそのまま返せば良くなりました。
主人にも、損はありません。

借金をしていた人たちは、管理人に感謝をしつつ、主人の顔も立てました。
主人にとっては、今回は利益がなかったものの、客たちは喜んで商売が繁盛するようになりますから、主人は管理人を叱る事はせず、その抜け目なさを誉めたというのがこのたとえ話の意味なのです。

② 不正の富がもたらす情熱
イエス様が、こんなビジネスで成功する方法のような話をしたことを、意外に感じる方も多いのではないでしょうか?
それは、私たちクリスチャンは、正直に、清く、正しく、美しく生きる事が美徳だと思っているからです。
しかしイエス様は、「あなたもこの不正な管理人のようになりなさい」と言ったのです。
それは、どういう事なのでしょうか?

ビジネスの世界で生きている人たちは、あらゆる手段によってチャンスを拓き、利益を作っていきます。
その知恵と言ったら、大変なものです。
人は自分の欲しいもののために情熱的になる事ができるし、賢くなる事もできるのです。

もちろん私たちは、不正をしなさいと言われているわけではありませんし、自分の欲望にどん欲になりなさいと言われているわけでもありません。
イエス様はこうも言っています。

16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

富に仕えるのではなく、神様に仕えなさいとイエス様は言っているのです。
それは、私達が自分の中にある不正の富すらも用いて、神様のために用い、仕えていくという事です。

しかしそのために、私たちは自分の中にある全ての思いを否定するのではなく、それを認め、受け止めていく必要があるのです。
イエス様はこの様に言われています。

16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。

私達が、自分の中から湧き上がる思いを認める事が出来ず、それを押し込めてしまうのであれば、それは自分自身にウソをついているのと同じ事です。
そしてそれは、私たちが心から喜び、楽しんで何かをする力をも、押し込めてしまう事に他なりません。
私たちがそんな表面的なものを求めるなら、神様がどうして私たちに、真の富を任せる事なんてできる事ではないのではありませんか。

もうひとつ、想像してみていただきたい事があります。
私達が不正の富のためにひねり出す知恵や、燃やす情熱・・・。
もしそれが、神の国のために用いられるならば、その知恵や情熱はどれだけの力を発揮し、どれほど素晴らしい働きとなっていく事でしょうか?

そのような知恵や情熱は、私たちが嫌々やる事の中には起こってきません。
私達が、喜び、楽しみ、全身全霊の好奇心を持って進めるところに、そのような知恵や情熱は力を発揮します。
私達が、そのような情熱を傾けてする事ができるのは、どんな事でしょうか?
そして、それを神様のために用いるとすれば、どのような方法があるでしょうか?

直接神様と関係がなさそうな事かもしれませんが、それを用いて神様に仕える事はできるかもしれません。
それを通して神様を賛美する事は出来ないでしょうか?
それを通して、人と繋がり、福音を伝えるきっかけを作る事はできないでしょうか?
それを通して、人を助けるとしたら、どんなことができるでしょうか?
神様は、そのような所にこそ力を注いでくださり、そこからさらに新しいものが生まれていくのです。

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