ルカ17:20-21 『ルカ84 神の国はどこにあるか?』 2016/11/27 松田健太郎牧師

ルカの福音書17:20~21
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

皆さんは、『神の国』と聞くとどんなものだと思いますか?
あるいはこの言葉は、マタイの福音書では『天の御国』として記録されている言葉です。
『天の御国』と聞くと、どんなものを連想するでしょうか?
これまでに何度もお話ししている事ですから、この教会にはご存知の方も多いかと思います。
しかし、何の予備知識もない状態でこの言葉を聞くと、日本人の多くは、死んでから行く天国の事を連想するのではないでしょうか。
しかし、死んでから行く天国については来週お話しするので、今日は話しません。
それでは、『神の国』『天の御国』とは一体どんなものなのでしょうか?
『神の国』は、イエス様がいつも話題の中心としていた事です。
たとえ話を通して、『神の国』とは何かを教え、奇跡を通して『神の国』を表し、いつでも人々を『神の国』に招いていました。
そんなわけで今日は、改めて『神の国』について考えてみたいと思います。

① ユダヤ人が考える『神の国』
さて、『神の国』と聞いた時に、私たちは『天国』を連想するかもしれませんが、ユダヤ人たちはそれとは少し違う事を想像していました。
多くのユダヤ人たちが考えていた『神の国』とは、選ばれた神の民であるユダヤ人たちが世界を支配する国の事です。
キリスト教でも、中世の頃はこのような『神の国』のイメージが持たれていたかもしれません。
『神の国』がある特定の人たちによる支配によって起こるとしたら、侵略すことが正義だという事になります。
そう考えると怖いですね。

ユダヤ人たちがこのような『神の国』のイメージを持つようになったことには理由があります。
それは、彼らがアッシリア帝国やバビロン帝国、ペルシャ帝国、エジプトやシリア、そしてローマ帝国による支配の中で長い間苦しんできたという経験があるからです。
ユダヤ人たちにとっての全盛期は、ダビデ王やソロモン王の時代でした。
そして、旧約聖書の預言の中には何度となく、メシヤ(救い主)が王として地上に表れ、世界を支配する事が描かれています。

セレウコス朝シリアによる時代には、ついにマカバイによる独立戦争が起こり、イスラエルはハスモン朝として独立を果たすこともできました。
その戦争を導いたユダ・マカバイこそ旧約聖書に描かれているメシヤかと思われましたが、その時代はすぐに終わり、ローマ帝国による支配が始まってしまいました。
だからユダヤ人たちの中には、今度こそイスラエルを独立させ、『神の国』を広げていくメシヤを期待する思いが強くなっていたのです。
まずは、こういう背景があった上で、パリサイ派の人たちとの対話があったという事です。

② 神の国は人の目で認められない
さて、パリサイ派のユダヤ教徒たちは、イエス様にこのような質問をしました。
「神の国はいつ来るのでしょうか?」
パリサイ派の人たちは、なぜこんな質問をしたのでしょうか?
これは、彼らが「イエス様ならこの答えを知っているに違いない」と思ってした質問ではありません。
パリサイ派の人たちは、イエス様を敵対視していましたから、イエス様への挑戦としてこのように聞いたのであり、場合によっては議論するための質問だったのです。

そういう意図を理解していますから、イエス様はこの質問に明確には答えません。
イエス様はこんな風に答えました。
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

この話の第一のポイントは、「神の国は、人の目で認められるようにしてくるものではない。」という事です。
それはつまり、地上の王国ではないという事です。

先ほどもお話ししたように、この時代のユダヤ人の多くは、神の国とは地上の王国だと思っていました。
彼らが体験していたように、自治権が認められているだけで実質はローマ帝国の支配下にあるような状態ではなく、イスラエルが一つの国として成り立った時、そこには神の国があると信じられていたのです。
しかし、「そら、ここにある」とか「あそこにある」と言えるようなものではないと、イエス様は言っています。

もしかすると、私たちクリスチャンの中にも、神の国とは目に見える地上の王国であるというイメージがあるかもしれません。
皆さんは、教会の中にだけ神の国があると思ってはいないでしょうか?
人々を教会に連れてくれば、神の国に連れてくることになり、教会が大きくなることが神の国の拡大になると思い込んでいないでしょうか?
しかし神の国は、ある場所に存在するというようなものではないのです。

③ 神の国はあなたのただ中にある
それでは、神の国とはどんなものなのでしょうか?
イエス様は、「神の国はあなたのただ中にある」と言いました。
それはいつか来るものではない。
そして、どこか遠くの国で起こるのでもない。
神の国は、私たちのただ中にあるのです。

それでは、神の国はどのようにして私たちのただ中に起こるのでしょうか?
第一にそれは、神様の支配の具体的な表れとしておいでになった、イエス・キリストを信じる信仰によって起こります。

私たちはこれまで、神様に背いていました。
創造主である神様を無視していました。
そして、自分が自分自身の王として、自己中心的な生き方をしてきました。
神の国を体験するために、私たちはその様に神様なしに生きようとしていた自分の間違いを認め、方向転換して神様を受け入れ、従う必要があります。
そうして私たちは、神様の完全な支配の中に入る必要があるのです。
それは、文字通り神様が私たちのただ中に王として住まわって下さる生き方です。
そこに神の国はあるのです。

第二に神の国は、神様を王とする私たちの交わりの中に起こります。
イエス様は、「あなたのただ中に」ではなく、「あなたがたのただ中に」と言っているのです。
神様は、私たちと共に関係を持つと同時に、私たち同士の関係も大切にしているからです。
ヨハネの手紙には、このように書かれています。

Iヨハネ 1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。

ここで言われている“交わり”という言葉は、ギリシア語のコイノニアという言葉ですが、これは私たちが一体となるような深い関係ですね。
ひとりひとりが持つ個性や役割は違いますが、そんな私たちが一つに繋がる時、そこに神の国があるのです。

それでは、神の国とはどんな所なのでしょうか?
神の国とは、まさに神様が最初に創造したこの世界であり、私たちがあるべき姿として生きる場所です。
神様から離れて罪人となってしまった私たちは、地上にいる限りそれを完全に体現する事はできませんが、私たちはそうして生きる中で、本来の私たちへと回復していきます。

そこには愛があり、喜びがあり、平安があります。
私たちは罪の鎖からも、死の恐れからも解放されます。
私たちが自分の力ではできない事も、神様とともに成し遂げることができます。
疲れた私たちを癒し、絶望する私たちを励まし、立ち上がらせてくださいます。

それはまさしく、前倒しの天国です。
この地上にいる間、私たちは完全な状態になることはできません。
しかし、罪によって壊れ、不完全な状態となってしまったこの地上にあっても、神の国に生きる時、私たちは天国の前味を味わう事ができるのです。
皆さんも、神の国を味わってみたいと思いませんか?
あなたも、神の国に招かれています。
求めれば、どなたでもその門をくぐる事ができるのです。
祈りましょう。

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