ルカ18:1-8 ルカ86『失望せずに祈り続ける』 2016/12/11 松田健太郎牧師

ルカの福音書18:1~8
18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

私たちがクリスチャンとして生きていく上で、聖書をどの様に理解し、実践するかという事はとても重要な事です。
それが一つ間違えると、神様のイメージがまるで変ってしまったり、御心とは全然違う事をする事になってしまいます。
今日の聖書個所も、時によって間違えた受け取り方をされてしまいがちな所です。
ここでイエス様は、祈りについて教えてくれています。
イエス様は祈りついて、どのような事を伝えようとしているのでしょうか?
今日はしっかりその事を考えていきたいと思います。

① いつも祈るべきであり、失望してはならない
今日のみことばを理解する上で大切な事がひとつあります。
それは、この話は前回までの話と繋がっているという事です。
章で分けられているためわかりにくいですが、私たちはいつでも、どんな前後関係の中でその話がされているかという事を考える必要があります。
では、これまでイエス様はどんな話をしていたでしょうか?
先週までの復習をしてみましょう。
『神の国』についての話が、ここしばらくのイエス様の話のポイントでした。
神の国は、私たちが神様を王として、イエス様と共に生きる時に、私たちのただ中に始まるものです。

しかし問題があります。
それは、罪によって壊れてしまったこの世界に生きる限り、神の国は完成していないという事です。
神の国の完成は、私たちが天国に行く時まで起こらないのです。
神の国に生きているはずの私達にも、地上にいる間はたくさんの問題に直面します。
すべての人が神様を信じているわけではありませんし、私たち自身もまだまだ工事中ですから、たくさんの失敗をしますし、人間関係には摩擦が起こる事もあります。
ある時は、私たちが大きな迫害を受ける事もあります。
また、この世界での成功は神の国のあり方とは全然違いますから、私たちはいろいろな所で思わぬ苦難に直面してしまいます。
神の国はいつ完成するのでしょか?
それは、イエス様の再臨まで待つ必要があるのだという事を、私たちはこれまでの所で学んできたのです。

この頃、イエス様と共に歩もうとする人たちは、大きな困難の中にありました。
「神様の支配は本当に来るのでしょうか? いつになったら悪が裁かれ、神様を愛する者たちが報われるのでしょうか?」と言う人たちがたくさんいたのです。
「失望しないで祈り続けなさい」というイエス様のこの言葉は、神の国の完成を待ち望む人たちの疑いや、不安に対する答えなのです。
「神様はあなたの祈りを無視しているのではありません。神の国の完成は必ず来て、悪が裁かれ、正しい人たちが報われる時が来ます。絶望せずに祈り続けなさい。」
これが、イエス様のこの話の中心的なメッセージですね。

イエス様がまだいた頃でさえ、すでにこのような思いが起こっていました。
イエス様が天に帰ってしまってから、すぐに戻って来るだろうという予測を裏切って、すでに2000年近くの月日が経ってしまいました。
私達もまた時として、「イエス様は来ないのではないか?」と思ったり、「自分は本当に神の国に入っているのだろうか」と不安に感じる事があるのではないでしょうか?
イエス様は言うのです。
「絶望せずに、神の国を求めて祈り続けなさい。決してあきらめたり、離れてはいけない。」
いつまでも、主と共に歩み続けたいですね。

② 意地悪な裁判官?
さて、この話はそのまま祈り方について適用する事ができます。
私たちは祈りに対する応えに関しても、不安に思ったり、あきらめたりしてしまいがちだからです。

皆さんは、自分の祈りは聞かれないと思っていませんか?
あるいは、「これは御心じゃなかった」と勝手に思い込んで、あきらめてしまってはいないでしょうか?
「いつも祈るべきであり、失望してはならない」とイエス様は教えているのです。

イエス様がたとえ話で話した裁判官の話は、当時にはよく起こっていた事でした。
裁判とは、本来正義を明らかにするためのものですよね?
しかし当時のイスラエルでは、公正であるべき裁判がわいろによって曲げられてしまう事も少なくなかったのです。

ひとりのやもめがいて、その人を苦しめる人がいました。
当時のやもめはとても弱い立場にありましたから、その弱さにつけ込んで苦しめられることも少なくなかったのです。
しかしその事を訴えても、裁判官はわいろによって強い立場の方に有利な判決を出してしまいます。
このたとえ話に登場するのは、神を恐れず、人を人とも思わないような裁判官でしたから、なおさらお金がないやもめには不利な状況でした。
そこで、やもめはどうしたでしょう?
彼女は、この裁判官の所に何度も出向いて、「正しい裁判を行って、悪い方を裁いてください」と訴えたのです。
それがあまりにも頻繁で、あまりにもうるさいので、神をも恐れない裁判官も観念して、まじめにこの訴えを取り上げたという話です。

多くの人たちは、神様はまるで、この意地悪の裁判官の様だと理解しているようです。
そこでこのたとえ話も、「このやもめのように、何度もあきらめずに訴えかければ、神様は私たちの願いを聞いてくれる。」という理解がされてきたのです。
しかしイエス様は、「神様はこの意地悪な裁判官の様だ」と言ったのではなく、その反対だと言っています。
「こんな意地悪な裁判官でさえ、うるさく言えば聞いてくれる。しかし私たちの父なる神様はあなた達を愛し、あなた達のための最善を備えて下さる方でしょう。その神様が、あなたの訴えを聞いていないと思いますか? そんな事、あるはずがない!」
それこそが、イエス様が言いたかったことです。

「熱心に祈らないと神様は耳を傾けて下さらない」と勘違いしてはいないでしょうか?
私がどんなに苦しんでいるかを神様に教えようと、必死になってはいないでしょうか?
熱心さや、善い行いというわいろを用いなければ、祈りは聞かれないと思ってはいないでしょうか?
あるいは、神様は出し渋っておられるので、熱心に祈って、神様の手から自分に必要なものを奪い取らなければならないと思っていないでしょうか?
それは、自分の尺度で神様を理解しようする、大きな勘違いです。

イエス様はこのようにも言っているではありませんか。

マタイ 6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
6:8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

神様は、私たちが願うより前に、私たちが本当に必要なものを知っています。
今は物事がうまく進んでいなくても、私たちは落胆する必要はありません。
神様が本当に聞いてくださっているのか、心配する必要もありません。
神様は私たちを愛し、私たちの必要も知っていて下さるお方なのですから。

③ 祈り続ける
しかし私たちは、それによって今度は逆の方向に考えすぎてしまう傾向を持っています。
神様は私たちの願いを知って下さっているのだから、私たちは祈る必要がないと思ってしまうのです。
あるいは、一度だけ祈ったらそれでおしまい。後は神様にお任せして、頭の後ろに手を組んで待つだけだと考えてしまうかも知れません。
しかし、そうではありません。
イエス様は、『いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるため』にこの話をしているのですから。

私たちは、いつでも祈るのです。
祈りとは、神様との対話ですね。
祈りを通して私たちの心が変えられ、私たちの願いが神様に御心と一致していきます。
そして私たちは、神様に従って、行動する必要があるのです。
それは、福音を伝えるという事かもしれません。
会社や組織を作って、ある地域に働きかけるという事かもしれません。
それがどのような事であれ、私たちは神様に従って行動するのです。

神様の計画は数年後、場合によっては数十年先に起こるという事もあるでしょう。
その間、私たちは祈り、神様に従って行動し続ける必要があります。
それではなぜ、神様はすぐにそれをなして下さらないのでしょうか?
それは、神様の御心が実現していくプロセスもまた、私たちには大切な事だからです。

それなのに私たちは、神様に祈ったことが実現しないと言ってどれほど嘆いてきたことでしょうか?
神様の御心ではなかったと勝手に判断して、あきらめてしまったために、どれほど多くの御業を体験できなかった事でしょう。
私たちは、決してあきらめて投げ出すのではなく、また祈りっぱなしで忘れてしまうのでもなく、心から祈り続けようではありませんか。
そして、神様に従い続けようではありませんか。
神様は、その約束を決して破らないお方なのですから。

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