ルカ20:27-40 『ルカ96 神様に生きる、いつも』 2017/02/19 David Hawley

初めに
イエスはエルサレムに向かう途中で、あそこで最初は群衆がメシアとして彼を歓迎します。イエスは一般の人々に人気があります。 しかし、ユダヤ人の指導者たちはイエスに対する彼らの反対を強め、彼の没落(ぼつらく)を計画しています。
ユダヤ人の指導者たちが今、イエスに立ち向かうために一緒になっているところです。 先週のメッセージで、ローマの占領者(せんりょうしゃ)に税金を払うことについてイエスをはさむように試みました。イエスは群衆の愛国心とローマの占領者の力の間に置かれた。
イエスは罠(わな)を逃(のが)れ、私たちに大事なことを教えました。他の義務を実行しながら、神にささげるべきものをさせること。しかし神にささげるべきものは私たち自身です。私たちは神のものです。神の銘は私たちに刻印(こくいん)されています。
復活は本当か:立法との矛盾?
今週の箇所では、またイスラエルの指導者はイエス様を試した。ユダヤ人の別のグループであるサドカイ派は、神学の疑問でイエスを試そうとします。
ユダヤ人の指導者にはおもに2つの派がいます。
一つはパリサイ派です。宗教熱心の人々で立法を守るために立法を解釈して日常生活をどうするべきを考えて一般の国民に教えたりするグループです。
別のグループ、サドカイ人は、ユダヤ社会の上位階級でした。彼らは祭司のほとんどでしたし、寺院を管理したグループです。彼らは旧約聖書の最初の5冊のみを信じていました。旧約聖書のモーセが書いた書物以外予言書などは認めませんでした。パリサイが教える伝統を信じておらず、彼らは普通の人々がどのように生きるべきかにあまり興味がありませんでした。サドカイ派は宮、司祭、政治などのほうを大切にしたものです。
サドカイ派は復活を信じていませんでした。(預言者:イザ26:19、ダニエル12:2、エゼキエル37で教えられました)、また精霊(せいれい)や天使たちも信じませんでした。
群集はエリートであるサドカイ派好きではありませんでした。 一方、群衆はパリサイ人を尊敬しました。
さて今日はサドカイ派の人はイエスに彼ら並にイエスを試します。

彼らが選んだ問題は、復活についてでした。群衆は、預言者または聖書以外なユダヤ人の教え(マカバイ記、知恵の書)で教えられたように、復活を信じる傾向がありました。大いに苦しんでいた人や継続人の子がいない人々にとっては、復活は慰めでした。
サドカイ人がだした神学問題は、財産の継承に関する法律と復活の関係の問題でした。なぜなら彼らは特に霊的ではなく、金持ちのエリートでしたからです。
サドカイ派は、モーセの法律の上、復活がありえないを証明するためにある物語を語った。

28 「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。

これは「レビラト婚」という戒めです。(申命記25:5-10、実例はルース記4:1-12)。結婚した男が子なしで死亡(しぼう)した場合、その兄弟の一人は相続人を設けるためにその女性と結婚しなければならないという戒めは命じらた。この戒めは、人の行、イスラエル人が約束の地に入ったときに、神から与えられた土地の継承を保つためのものでした。

29 ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、 30 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、 31 七人とも同様に、子をもうけずに死にました。 32 のちに、その女も死にました。

この物語では、女性と結婚した男性がいます。彼は子供を持たずに死んだ。人の行と財産を継承する子を設けるために、立法どおり彼の兄弟の一人が女性と結婚する。しかし、この夫も子供を残すことなく死ぬので、次々に全兄弟彼女と結婚し、子なしで死ぬ。最後に女性も死ぬ。家族の誰もが死んでいる、子供がいない、継承する人はいない。

それではもシーンの準備ができたのでサドカイ人は難題でイエスを試します:

33 さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。

難しい問題ですね。本当に復活があれば、誰がその女性の正当な夫ですか? 7人の夫が皆よみがえられたら、天国で誰が夫になるのですか?
7人じゃなくても二人の夫の場合でも同じ疑問がありますね。現実な問題です。
今までの啓示ではこの論議は正しい。
今までの啓示ではこの論議は正しいでしょうか。寡婦の再婚を考えると復活はありえないことでしょうか。
イエスはどう答えますか?群集には復活が希望を与える話で人気の信念です。でも実際には復活はナンセンスかもしれません。それがサドカイ人の考えです。

復活はどういうもの
でも彼らはまったく復活は理解していないです。それでイエスはまず復活はどういうものかを短く説明して答え始めます。

34 イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、 35 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。 36 彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。

天国に結婚はありません。
私たちは永遠に生き、死ぬことはできません。イエスはここでぞれを言うことは興味深いですね。
私たちは天使のようになり、天使は結婚したり死ぬことはないでしょう。
復活にあずかるものとして神の子でもあります。復活すると私たちが新しい死ぬことのない永遠の身体は与えられます(ココ15:42-44、50-54)。
イエス様によれば、新しい天地では結婚も死もない。
おそらく推測に過ぎないですが、人々が永遠に生きる場合、子孫によって人類を維持する必要はありません。
しかし、結婚のもうひとつの目的、「愛」と「一体となる」のはどうなるでしょうか?
復活後あたらしい天地では、私たちは神様との親密と愛の溢れる関係だけで満足するでしょう。社会の面でも人間関係はすばらしいものになるでしょう。
さて、このイエスの教えはいままでの啓示にないです。新しい情報です。人々は以前これを知らなかった。しかし、サドカイ派はモーセの五冊の律法であるトーラからも、復活が正しいことを知っていたはずです。

ですのでイエスはトーラーのみを使って彼らに答えます(出エジプト記3:6a参照)。

37 死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。
出エジプト記3:6a: また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。

「私はxxの神である」、現在形ですよね。神は「今でもあなたの祖先の神、アブラハムの神、イサクの神、そしてヤコブの神である」と言っています。彼らはモーセの時代ですでに死んでいました。それではなぜ神は「私はかれらの死人の神です」と言うのですか?
イエス様は説明をします:

38(神)は、死んだ者の神ではなく、生きている人の神であり、すべて彼が生きているからです。

神は常にすべての人の神であり、死はそれを変えることはできません。
イエスの説明はとてもシンプルで深遠(しんえん)です。聞いた人々は皆が驚いた。
God’s faithful love
その答えをもすこし考えましょう。神は生きているもの、死んだものかかわらず、すべての人々との関係を保ちます。なぜでしょう?
それは単に神の御心です。神様の意志、決心です。神様は私たちを神様との関係を持つために我々を作りました。それは神様は世界と人類を創造する前からの決心です。
釜様は決して私たちにたいする望みを変えないでしょう。これに関して神の心を変える方法はありません。そして、その関係への呼びかけを避ける場所もありません。

詩編139:7-12。
7 わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。
11 「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
12 あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。
神は、目に見えないけれどどこでも何時でもそこにおられます。私たちがそれを知っているかどうか、私たちがそれに反応するかどうか、あるいは私たちが死んでいるのか生きているのかにかかわらず、神様はそこにおられます。

神様は私たちに関して望んでいる関係はどいうものでしょうか?農夫と遠い国にすむ主人とのような関係でしょうか。あるいは命令に従うだけで神様を知らない奴隷のようなものでしょうか?
神が私たちから望んでいる関係は、創世記から黙示録まで、聖書全体を通じて示されています。それは信頼と愛の関係です。
イエスは私達への欲望について父に話している祈りに耳を傾けましょう:

John 17:24 父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。 25 正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。 26 そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。

これは御心です。私たちへの間様の望みです。このイエスの祈りはあまり美しく、章全体をやみたい。
神は忠実で忍耐強く、人類への約束と彼の御心を必ず実行します。したがって、復活が確実に起こります。

ヨハネ5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

生きてもしんでも、私たちは神様の支配、権威、御心から離れることはありません。
神様に従う者は、たとえ彼らが死んでも、常に彼と契約関係にあるでしょう。
神様を拒否し、彼を知らない人は、彼らが生きているか死んでいるかにかかわらず、常に彼の判断のもとにいます。

我々はすべきこと
さて、それらどのように反応するべきでしょうか?
私たちは、神との親密な関係のために神によって創造されたものであることを理解する必要があります。神様は御心を変えないので、その事実を変更することはできません。従うしかありません。

神との関係には3つのタイプがあります
無関心
私たちは神の存在を無視し、神様のものだということをみとめないことですね。
私たちは、神が存在しないかのように生き、私たち自身の道徳(どうとく)的判断を下し、神から独立して自分自身を正当化します。
その結果、私たちは自分たちを他の人と比較し、私たちを気分良くするためにそれらを置く。
宗教的な関係
私たちは、神の恵みを得るための方法として神の価値観を行い、神の法律を使って自分自身を正当化できるように努力しています
しかし、神の律法は心を深く見て、私たちが罪人であることを恥と混乱させます
そして、私たちは、神が私たちのためにできることを中心に、放蕩息子(ほうとうむすこ)の兄のように、誇り高く、許されず、不平等です。
これは実際には無関心とほとんど変わりません。
福音による信頼と愛の関係
神がイエスの犠牲と聖霊の賜物によって一方的に関係を回復させたことを受け入れる。この関係のために私たちのために作られたものです!
神と一緒に歩くことを学び、私たちの生活の中で働く愛と力によって回復されます。
我々の失敗や成功にかかわらず、私たちは謙虚(けんきょ)で自信があります。

私たちは、神に関係する福音愛の道を選ぶ必要があります。
私たちは、時にに無宗教的で神が存在しないかのように暮らし、時に宗教的で自分自身や自分と他の人々を宗教的な業績で裁いたりします。どちらも間違っています。
私たち良く思い出すべきことは福音のこと、どうして、何によって神様が私たちを受け入れた、そしてその理由と目的です。
神を知り、彼との関係で生きることを学ぶ必要があります。時々、私たちは神を追い払うかもしれません。愛の関係に色んなことがあります。私達は神様と一緒にいることを学んで成長する必要があります。

ですから
 神と和解しよう
イエス様は、あなたを作った神様に帰って、彼の許しを受けて、彼の子供になるようにあなたをお招きします。
私たちは、自分の良心ではなく、イエスの犠牲に頼るようにと思い起こさなければなりません。神の救いは賜物です。
 神様が私たちと親密関係を構築する御心に従いましょう
イエス様は、私たちが彼と常に交わることを望んでいるので、イエス彼はドアに前に立っていて、叩き、私たちとの交わりに招待されるのを待っています。
これが私たちのために作られたものであることを思い出さなければなりません。これに優先順位を付ける必要があります。
 彼を喜ばせないものを脇(わき)に置いて、彼が望むように生きていきましょう
神の道は良いです。抵抗すると傷つけるばかりです。従うことは喜びをもたらします。
私たちは、私たちを完璧にするという神の約束のために、私たちの努力が無駄ではないという希望を強め、罪の闘いを続けましょう。
祈りましょう。

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