ルカ20:41-44 『ルカ97 キリストは誰か?』 2017/02/26 松田健太郎牧師

ルカの福音書20:41~44
20:41 すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。
20:42 ダビデ自身が詩篇の中でこう言っています。『主は私の主に言われた。
20:43 「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』
20:44 こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」

エルサレムに入ってからのイエス様は、様々な人たちからの質問を受けました。
祭司長と律法学者は、イエス様が何の権威で福音を語り、神殿で商売をしていた人たちを追い出したのかを問いました。
彼らは次にスパイを送り、ローマ帝国に税金を払うべきかどうかを質問させました。
その後には、サドカイ派の人々が復活の事について質問しましたね。
どの質問も、イエス様から真理を引き出そうとするような質問ではありません。
イエス様を何とか引き落とし、恥をかかせ、あるいは失言を引き出そうとする、罠にかけるための質問でした。
イエス様はその質問に対して、すべて完璧に答えて見せ、質問者を打ちのめしたのです。

ここで今度は、イエス様が質問をもってサドカイ人たちに迫ります。

20:41 すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。

イエス様は、いつも受け身の方ではありません。
私たちの訴えを聞くだけでなく、時に応じて私たちに語り掛け、関わって下さる方です。
イエス様は、どのような意図をもってこの質問をしたのでしょうか?

① イエス様はダビデの子か?
ここに『ダビデの子』という言い回しが出てきます。
これは、へブル的な言い方で、「ダビデの子孫」という意味があります。
人々はなぜ、救い主はダビデの子孫として生まれてくると考えていたのでしょうか?
それは、救い主の預言に関して、旧約聖書にこのように書かれているからです。

エレミヤ 23:5 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。
23:6 その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『【主】は私たちの正義』と呼ばれよう。

多くのユダヤ人たちがこの事を知っていて、キリストはダビデの子孫として生まれてくると信じていました。
さて、ここで皆さんに質問です。
イエス様は、ダビデの子孫でしょうか? そうではないでしょうか?
そう、イエス様はダビデの子孫として、この地上に生まれてきたのです。
もう一年以上前ですが、2015年のクリスマスにそのような話をしたのを覚えているでしょうか?
イエス様を産んだマリヤも、父親であるヨセフもダビデの血筋でした。
そこから、このルカの福音書のメッセージ・シリーズが始まったんですね。

キリストがダビデの子孫であることは、旧約聖書に預言されている事であり、イエス様自身がダビデの子孫である。
だったら、何も問題はないじゃないですか?
ところがイエス様は、それを否定するような話をここでしているのです。

20:42 ダビデ自身が詩篇の中でこう言っています。『主は私の主に言われた。
20:43 「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』
20:44 こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」

イエス様はなぜ、わざわざこの事実を否定しようとしているのでしょうか?

② 地上の王としてでなく
ここで少し、この時代のバックグラウンドについてお話ししましょう。
この時代ユダヤの王となっていたのは、ヘロデ・アンティパス王でした。
ヘロデ王はユダヤの王ですが、ダビデ王の子孫ではありません。
彼らはイスラエル人ですらなく、エサウの子孫であるエドム人でした。
エドムは数十年前に、ローマ帝国によって国を滅ぼされましたが、ユダヤ教に改宗する事を条件として、ユダヤに吸収されていたのです。

しかし、それから数年後、ヘロデ・アンティパスの父ヘロデがローマ帝国のマルクス・アウレリウスの力を借りてユダヤの王となり、それと引き換えにユダヤは、ローマ帝国の属領となったのです。
セレウコス朝シリアの圧政からやっと独立したばかりのユダヤ人たちはその事を怒りましたが、ローマ帝国とヘロデ大王は力によって彼らを押さえつけていました。
それ以降、ユダヤ人たちはローマ帝国からの独立を願い続けていたのです。

そこに起こって来たのは、聖書に記されている救世主の預言への期待でした。
「今、ユダヤはエドム人の王のもとに、ローマ帝国の支配下にある。今こそ、ダビデ王の子孫であるメシヤが地上に現れ、私たちをこの圧政から救い出して下さるのではないか。」
人々の中にあるダビデの子孫としての救い主のイメージは、このような政治的な王としてのイメージに直結してしまっていたのです。

いつもイエス様のそばにいた弟子たちでさえ、そのようなメシヤを想像していました。
イエス様がロバに乗ってエルサレムに入城した時、歓声をもって迎え入れた人々も、イエス様を新しい王として迎え入れたのです。
だからイエス様はこの様に話しました。
『救い主がダビデの子孫であり、地上の王であるなら、ダビデが救い主の事を「私の主」と言うのはおかしいでしょう。ダビデが救い主を「主」と呼ぶなら、救い主はダビデの子孫以上の存在であるはずです。』

イエス様は、旧約聖書に預言されていた通り、肉体的にはダビデの子孫としてこの地上に来ました。
しかし、ダビデ王朝を復活させ、ユダヤが世界を征服する地上の王となるために来たのではありません。
それでは、キリストとはいったい何者なのでしょう?

③ あなたにとってキリストは誰か?
ヨハネは、イエス様は世の初めから父なる神様とともにおられた“ことば(ロゴス)”であり、闇に輝く光だと記しています。

ヨハネ 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

しかし、ヨハネがこの事に気づいたのは、イエス様が復活し天に帰った後、ペンテコステの日に聖霊が与えられた時の事でした。

後に、復活したイエス様と出会ったパウロにも聖霊が与えられ、彼は手紙の中でこのように書きました。

ローマ 1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

私たちは、イエス様がそのような方だと心から認識し、信じているでしょうか?
自分たちの常識の枠に当てはめて、勝手に納得してしまっていないでしょうか?
あるいは、自分に都合の良いイエス様像を作り上げて、偶像にしてしまっていないでしょうか?
イエス様は神のひとり子であり、私たちの罪を自らの血によって贖い、神様との関係を回復させるためにこの地上に来た救い主・キリストなのです。

イエス様が引用しているダビデが詩篇の言葉、「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで」というのは、全世界がキリストに服従する時が来るまでという事です。
今はまだ、世界はキリストに逆らっています。
だから、神様が世界を完全に支配する裁きの時が来るまで、イエス様は父なる神様の右に座して、大祭司として私たちのためにとりなして下さっています。
また、私たちひとりひとりの内に与えられた聖霊を通して、私たちを導いてくださいます。
しかしやがて、世界が終わりの時を迎える時、イエス様はもう一度この地上に戻って来られます。
その時、世界中の全ての人々がイエス様を神として見上げ、ひれ伏すことになる。

最後の審判の時、私たちはそれを、裁かれる側として目にする事になるでしょうか?
それとも、神様の側に立って見るでしょうか?

ひとりでも多くの方々が、イエス様と共に歩き始める事ができますように。
祈りましょう。

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